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ストリートダンスの歴史背景を探る① ~大西洋三角貿易と黒人奴隷~

ストリートダンス(いわゆるヒップホップと言われるもの)の歴史についてなんとなく理解しているダンサーは多いと思います。先輩ダンサーや仲間からそういった類の情報を教えてもらったり、それをまた後輩や次の世代に伝える、そうやって半世紀以上もの間ストリートダンスの文化と価値観が伝えられてきました。

ストリートダンスの起源は1960年代あたり(らしいです)

ストリートダンスの歴史を語る際、引用されるのが「黒人」「黒人奴隷」「奴隷貿易」といったワードです。現在ではこれらの言葉は負のイメージがあり、どうしてもストリートダンスの歴史を語る際に偏った方向に誘導されていたり、「人道的」を盾に客観性が失われてしまうことがあり、、逆にストリートダンスの歴史背景を霞めてしまう原因を作っています。

目に見える事実ばかり注視すると、、その背景は見づらくなる。

なので今回は歴史がわからない方の為にもなるべく簡潔に、そしてストリートダンスの歴史には欠かせない「黒人」「奴隷」といった言葉を多方面の観点から考察して、固定されたイメージの鎖を少しでも外せることが出来たらと思います。
※参考文献などは最後にご紹介します。

黒人奴隷と大西洋三角貿易

「ストリートダンスはアメリカ社会に虐げられていた黒人達の自由と博愛を願う表現の発露だ!」といった表現は似たような言葉も含めてストリートダンスの歴史に少しでも興味を持つ人ならば聞いたことがあると思います。
しかし、なんでアメリカ社会に黒人がいるのか?なぜアメリカ社会には黒人奴隷が必要だったのか?その為の三角貿易とは?、、、etc というのは案外知られていません。

世界史でもこんな図は見たことあるはず。

1493年にコロンブスがアメリカ大陸を発見してから、16世紀はスペイン、ポルトガルから始まり、17世紀以降はオランダ、フランス、イギリスなどの西ヨーロッパ諸国がアメリカ大陸には相次いで植民地を建設しました。これらはヨーロッパに「価格革命」「産業革命」などの経済的革命をもたらし、現在の「国民国家」や「民族自決」などの近代思想を産むきっかけになったとも言われています。

アメリカ大陸の労働は主に現地の先住民族で賄っていましたが、疫病と戦争により、その数は減少。ヨーロッパ各国の犯罪人や貧民を送っても足りず、、17世紀の初めからはヨーロッパ各国ではアメリカ大陸内での労働人員の確保が急務となりました。

約100年ほどで20分の1にまで減少。

そんな折、目をつけられたのが西アフリカの黒人たちでした。
下の画像を見てもらうと、、北大西洋の海流はスペイン・ポルトガルの西側からアフリカ北西海岸沿いを通り、西アフリカ沿岸部の大きな流れにぶつかります。そしてカリブ海、東アメリカ沿岸を通り、ヨーロッパに帰る、という循環した流れがあります。17,18世紀はモーター動力もなければ、蒸気機関もない時代、、、海流は船の航路を決める上で大事な要素でした。
そしてこの海流に乗って西アフリカの黒人を「積荷」としてアメリカ大陸やカリブ海の島々に送り、それで得た物品をヨーロッパに運ぶ、そしてヨーロッパの最新兵器と外交的圧力でアフリカでの戦争や奴隷狩りを喚起する。大西洋三角貿易とは海流に沿う形で進められていき、黒人奴隷はその航路上にある都合の良い"商品"として注目されました。

三角貿易の航路と海流がほぼ重なっています。

奴隷貿易を支えた魚

多くの黒人奴隷をアメリカ大陸に送る傍ら、ヨーロッパ諸国は黒人奴隷を「商品」として維持することにも注力します。黒人奴隷もヨーロッパの人々と同じ、食べたり、寝たりしなければ「商品としての価値」を維持することができないのです。そのため、彼らの生活インフラを整備するのも貿易商人やヨーロッパ各国の政治家が注意を払わなければならないものでした。特に「食」は大きな問題でした。
人間に必要な栄養素は①炭水化物②脂質③タンパク質。安くて大量に調達できるもの、なるべく栄養価が高くて加工しやすい、そして長期間の保存ができる食べ物はないものか?それが「タラ」でした。

タラ。寒帯など寒い地域の海に生息している。普段は深さ200m程の海底にいるが、たまに大きな群れを作って回遊したりもするらしい。
タラは主にニューファンドランド島(現カナダ領)で多く獲れました。
その他の海洋資源にも恵まれる重要地域でした。
タラの塩漬け。17世紀頃は1匹まるまる乾燥して塩漬けにしたそう。
塩漬けのタラは水で何日も浸さないと食べられないくらい硬かったとか。。。

ニューファンドランドで陸揚げされたタラはすぐさま近くの村や街で加工され、魚と生活費需品を満載した船はアメリカ東海岸沿いを通って、砂糖や綿花の一大生産地であったカリブ海の島々に送られました。
そうやってカリブ海やアメリカ南部の奴隷たちは「生かさず殺さず」な状態を保ちながら、何世代にも渡って大西洋三角貿易を担う生産労働に従事する安定的な「労働商品」になっていきました。それは言い換えれば、黒人奴隷たちがネイティブアメリカンや他の先住民に変わる住人として、アメリカ大陸に定着させる要因の一つとなりました。

カリブ海の主な砂糖生産地。
特にイギリス領バルバドス島はイギリスの砂糖生産地の中心地のような場所でもありました。
大規模砂糖プランテーションに従事する黒人奴隷。

ニューヨークの発展と自由黒人

ストリートダンスを語る上でどうしても外せないのが「ニューヨーク」
そんなニューヨークも最初からアメリカの中心地だったわけではありません。ニューヨークの歴史はWikipediaで調べられるとしてほとんど割愛しますが、17世紀前半にオランダの植民地「ニューアムステルダム」としてその歴史が始まり、1667年の第二次英蘭戦争の結果によってイギリスがその支配権を獲得、当時は5000人に満たない(1698年の人口調査)もので、このような町はアメリカではどこにでもある、ごくありふれた小さな町でした。

1660年のロウアーマンハッタン。この頃は町と言うより軍事拠点に近いイメージ。

18世紀の半ば、イギリスは3度におけるオランダとの争いに勝利し、アメリカ大陸におけるオランダの海洋権益を排除することに成功しました。ニューヨークはニューファンドランド〜アメリカ南部、カリブ海の島々を結ぶ航路の中間地点として重要な拠点となってきました。

ニューファンドランドから海岸沿いにニューヨーク、フロリダ半島を通り、ハバナ、バルバドス島、ジャマイカなどに黒人奴隷に必要な物資を供給していました。

古今東西、「中間」もしくは「仲介」という、生産者と消費者の間にいる人々が経済的に栄えるのは歴史によって証明できる数少ない真理かもしれません。
北東部海岸の海洋資源、そして説明をしていませんでしたが五大湖周辺の資源(ここら辺は塩や木材などの資源が盛んに採れました)それらが消費者である南部の黒人奴隷とその商人に売られるために北部一帯の都市、ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアなどの後の東海岸の大都市になる「中間点」に運ばれました。

ニューヨーク・ブロンクス地区を描いた古地図

そして北部都市に運び込まれた原材料は、タラは塩漬けや缶詰に、木材は住居や船の資材として、塩は食卓や工業用として、、さまざまに加工されて送られました。当然、原材料を加工するには設備と莫大な資本が必要です。そうしてニューヨークを始めとした北部の都市は資本主義的な経済、金融の中心地へと徐々に発展していくのでした。

1800年代始め頃、アメリカ独立戦争(1783年終了)も終わり、諸外国との対外戦争(英米戦争や米西戦争、米墨戦争など)、ナポレオン戦争(1815年まで)によるヨーロッパの混乱によるアメリカの貿易収入の拡大によってアメリカは北アメリカ大陸の覇権国家としての歩みを始めました。
加えて何よりも自前の「伝統的な歴史」を持たないアメリカは既存のシステムや慣習に囚われない新進気鋭の風潮が漂っていたこともあり、アメリカ北部都市の中でよく言えば「開明的」悪く言えば「利益重視」の思考が増えることに繋がりました。

そうした「開明的」思考に溢れる資本家の思考は常に「利益の最大化」を考えている人種です。開明的、つまり外に対する関心を常に払っている人は都合のいい部分だけを切り取って自分の周りに利益を拡散したいと願い、もしそれに反対しようものなら徹底的に抗う、といった宿命を負います。
その内の誰かがふと思ったのでしょう。
「加工された商品を黒人にも消費させればもっと利益は上がるはずだ!」
「黒人の消費を促進させるための法的整備を!」
「黒人にも自由を!」
という風に。

映画「それでも夜は明ける」の主人公ソロモン・ノーサップは自由黒人という設定です。

黒人に対する権利や自由の戦いは20世紀に入ってから出現したものではなく、資本家による利益の最大化、それを阻止しようとする既得権益者や保守層との政治対立によるもので18世紀から常に形を変えながら、アメリカ社会に溶け込んでいったのでしょう。


終わりに

今回は大西洋三角貿易と黒人奴隷といった視点を別の角度から見てみました。もっと詳しくできるのであればさらに多くの角度から見ることもしたいものですが、個人的にはただのダンサーであり、歴史家ではありません。あまりにも踏み込みすぎると自分の手に負えなくなってしまうのでここら辺で終わらせてしまうことを許してください。

「人間は見たいもの見たいと欲する」といったのは紀元前1世紀の共和政ローマで後に帝政ローマを作るユリウス・カエサルの有名な言葉です。黒人奴隷といった言葉のイメージは多くの人々の団結や共感を得るのはとっても好都合ですが、それゆえに思考の硬直が進みやすくもなります。そして当事者よりも周りの協力者や賛同者が過激的になりやすい人間の性故に、あまり関係のない人たち同士で不毛な争いすることにも発展します。
見たいと思うことを批判するのではありません、しかし一度立ち止まって考えさせてくれる、それが歴史の役割なのではないかと思います。
完璧でなくても良いのです。歴史や人間の欲望、事象には果てがりませんし、ゴールはないのかもしれません。しかし考え続ける、その姿勢が重要なのではないでしょうか?この記事はそのきっかけになれれば嬉しいと思います。

ということで次回はアメリカの南北戦争あたりから歴史背景を追ってみたいと思います。次回もお楽しみに。


KREIS Dance Community
NEMOTO


参考文献⬇︎
エリック・ウィリアムズ 著 中山 毅 訳 「資本主義と奴隷制」ちくま学芸文庫 (2020年)
越智 智之 著 「魚で始まる世界史 ニシンとタラとヨーロッパ」平凡社新書 (2014年)


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