何処かに行きたいまま生きている話

こりずに自分のことについて書きます。
もやもやしているから何か書いてみたら気分も変わるかな、と思って。

私はどんな人かと言われて、恥も外聞(あってないようなものだけれど)も投げ捨てて言うなれば、【自己肯定感が低い人】というのが正解だと思う。
私という人間を詳らかにしてみれば、自分に自信の無い女が存在している。

思えば子供の頃からコンプレックスの塊だ。

太っていたし、要領な悪いし、人は怖いし、私なんかがと周りと比べてはびくびくしていた。
けれど、仲良くしてくれる人や気を許せる人が少なからず居てくれたから、私は私を嫌いになりきれない。多分とても幸せなことなんだろうけど。

それでも、いつもどこかへ行ってしまいたかった。

1人でいるのも好きだったけれど、友達と遊ぶのも好きだった。家族で何かした記憶は無いけれど、母や弟と他愛もなく話すのは好きだ。
でも、いつも怯えていた。
私は私が周りからどう見えているかが不安で仕方なかった。
そして、それは今も変わらない。

有難いことに、褒めてもらえることがあって、けれどそれをまともに受け止められた試しがなくて申し訳なさでいっぱいになる。

大人っぽい、頭の回転が早い、きちんと仕事をしてくれている、責任感がある、覚えるのが早い…etc.

それを、私は私の良いところと思えなかったし、今も思えない。
最近やっと認められたのだけれど、私は私に全く自信が無いんですね。
仕事が出来ている自信がないから、とにかく慎重になるし、けれどやるしかないから日々ばたばたと過ごしている。
不安だからとにかく先輩や上司、周りに確認してしまう。
自分の知識に不安しかないから、とにかく小さいことでもメモをとって確認しながら仕事をする。
優先順位はとにかく期限の早いものからしか片付けられない。
周りの人に沢山仕事がいっている気がして仕方なくて、だからこそ出来ることをやらなきゃと気持ちが焦っている。
あげたらキリがないんだけど、社会人になってからいつもこんな感じです。

自信満々に仕事をしている人ってすごい。憧れる。私もそうなりたい。なれるかな。
子供の頃から大人になることが怖かった。
評価されることも、順位付けされることも苦手なのは、多分この低いままの自信が影響してるんですね。なるほど。自分のことを書きながら自分を今更理解した気持ちになっている。

しかも気にしいだから、ちょっとイラッとしてしまった事とか悲しい気持ちになったこととか、多少態度に出してしまっていると思うし、そんな態度は本当に良くなかった…と落ち込むことばかり。今もそうです。反省。

それでも私は図太いので、明日も仕事に行くし、びくびくしながら仕事をする。
周りの人に恵まれているので、なんとか仕事もこなせている(気がしている)し、聞けば教えてくれる先輩に恵まれた。
途中色々あったけれど、適度な距離感を保つことで母とのふたり暮らしも安定してきた。
気の許せる友達とたまに遊びに行くことも出来てる。
お給料ももらえるし、思えばいじめられたことも無い。

だからあとは、自分なんですよね。

でもそれがむずかしい。自信ってどこにあるんでしょうね?
これだけたくさんお店があるんだから、自信を売って欲しい。処方箋と一緒に出してくれませんか。
マシュマロみたいな柔らかさで、チョコレートみたいな甘さがいいな。甘やかしながら自信を補充するの。

たぶん、認められたいし甘やかされたいんですよ。
そして、その評価を自分がきちんと認められる【私】になりたい。
ということは、もがいて苦しんでもなんとか生きていくしかないんだろうなあ。


もがくたびに、どこかに行きたいな、と思う。
ここじゃないどこか、誰も知らないところ。

大人になってからいつも願っている。
私はここじゃないどこかへ行くんだと。
そうしたらそこにお花でも備えようかな。
変わっても変わらなくても、少しでも自分を好きになれているはずだから。

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