仕事に行けなくなった話


自戒を込めて書きます。
私以上に辛くて苦しくて、泣きながらそれでも頑張っている方々が、どうぞちょっとでも心を落ち着ける日々が来ますように。
そして、今後の私の就職活動がなんとかなりますように。


朝起きて、お弁当を詰める。
化粧を施して、服を着替えて、鞄を持って、車に乗り込む。
あとは仕事場に行ってしまえば、だいたい何とかなる。

と、思っていた時期が私にもありました。

違和感を感じていたのは、いつからだっただろう。
仕事が憂鬱で仕方なくて、事務所開設当時からいるベテランさんの顔色を見ながら仕事をしてしまう自分とか、なんとか時間が経てばうまく関わっていけるだろうと思って、迷走しました。
御守りを何個も持つ、粗塩を身に着ける、近隣の神社に行って拝む、占いサイトでひたすら相談を投げかける……。たまにやっていたことではあったのですが、頻度がおかしかった。毎月のように何かしら上記のことをしていて、とにかく逃げたくて。辛いとかしんどいとか、言えなくて。
私という人間は、確かに生真面目といわれる人ではありますが、根が楽天的なので、まあ何とかなるだろう・とにかくやってみよう、という思考なのです。それが、これ。自分以外の何かに縋り付いている。そして私は、いつもの自分と違うことに違和感を感じずに、とにかくこの現状を何とかしたくて他力本願かつ斜め下の方向に突き進んでいました。
仕事中、時折外に出るタイミングで、敷地内の資材が落ちてきて死なないかなって思っていた。
トラックが突っ込んできてくれないかな、病気にならないかな。そうしたら仕事にこなくていいよね。
そんな事をこの一年ずっとずっと考えていて、がんじがらめになっていました。
やばいな、と感じたのは、7月。たくさん雨が降った時。川の水は降り続いた雨のせいで増水していて、流れも急でした。
運転して仕事に向かう途中で橋を渡るルートを通りながら、斜めにハンドルを切れば突っ込めるだろうなあ、と考えた時に、その思考を恐ろしくもなんとも思わなくて、ただ(なんていいアイディアなんだろう)と思ってしまった自分が居ました。今考えると、ばかみたいなんですけど。それだけ自分で自分を追い込んでたんでしょうね。

ーーもうだめだ、と口をついて出ていました。

運転しながらどんどん気持ちが冷えていって、仕事に行くと胸が苦しくて、泣きそうになりながら職場に行く。
それでも相談できる人が居なくて(というかして良いのか分からなくて)、何とか仕事をこなして(本当に何とかなってて良かったです。重大なミスとかしてたら更に病んでいた)、家に帰って部屋の隅で蹲っていた。
休んでいいよって同居の母に言われたけれど、仕事を休んでベテランさんに陰で何を言われるか怖くて休めなかった。失敗できない、間違えちゃだめだ、そんな強迫観念にどんどん支配されて。
仕事が辛いと相談した時にただぼろぼろ泣いてしまって、私は自分がもう保てないんだなと、そこでようやく察することが出来ました。
上司に退職を願い出て、どうやら私はそれでふつりと糸が切れてしまったようです。職場に行くのに動悸がする、手が震える、運転しながら泣いている…。無理を言って退職日を前倒しにしてもらい、私は今職場へ行かずに休憩しています。

今思えば、ここのところ身体は不調だらけでした。寝付きは悪いし、生理痛はつらい、生理前はずっと気分の落ち込みがひどく泣いてばかりいたこと。朝起きて母から「顔色が悪い」とこの三か月ずっと言われていたこと、お腹すかないからと夕飯をあまり食べられなかったこと。全部全部、私、自分自身から限界を伝えるメッセージを貰っていたんですよね。
これはもしかしたら甘えかもしれない。でも、私は自分を甘やかすことを選択しました。それでいいやって思ったから。死んじゃうくらい思いつめるより、一旦休んだ方が、絶対いいもんって。


今思えば、仕事の業務が辛かったわけではないと思います。
もちろん、仕事自体は大変だったし覚えることも多かった。
昨年転職し、メモを取り、自分用に業務のマニュアルを作り、分かることも増えてきていました。
上司からもお世辞とは思いますが「初めての人にしてはちゃんとできているし、業務に関しても問題ない。覚えるのも早い方です」と最後に言ってもらえたことはうれしかった。
躓いてしまったのは、ベテランの方(仮にAさんとします)との関係でした。
小さい事務所でしたし、業務については常にAさんに聞いて行っていました。
ただやっぱり、一緒に仕事をすることが怖かった。ベテランさんですし、仕事はきめ細かく配慮している、出来る方です。仕事の面では尊敬できることがたくさんありました。見習わなきゃなって思っていました。
今回の件は私の不器用さが招いたことだと思っています。ちょっとだけここで吐き出してすっきりさせてください。自戒を込めて。私もこうならないように。

1個1個は多分たいして大きなことではなくて、積み重なってつぶれたんだと思っています。今まで如何に自分が辛かったか、大変だったかをずっと話してくださること(貴方は楽でいいわねって言われてるみたい)。
助言を求めて、「私は分からないから」と言われるたび、誰に頼ればいいか分からなくて。
「私は分からないけど、○○した方が良かったんじゃない?」と後から言われるたびに、じゃあ私の行動はダメだったのかな、と落ち込んだこと。
何も言わず無言でFAXや仕事を置いていかれ、何をすればいいか分からなくて私が業務を失敗したんじゃないかとか(本気で分からなかった場合は聞きました)、それがどんどん怖くなっていって。
前に辞めていった人の悪かったところ、他支店の人が何年もいるのに業務が出来ないらしいよという噂話。多分私も言われているんだろうなあと、聞くたびに心の奥がきゅっとなった。普段は気にしないのにね。
時短の方がフルタイムで働くようになって、私がやっていた仕事を「これ私がもらうから」って持っていかれてしまって、やることが少なくなってしまったことも悲しかった。
手が空いたから書類を綴っていこうとしても、「私も見ないと確認できないから、置いといて。やるから」って言われてしまったこと。私に任せる仕事はないって言われてるような。いや、ホント、全く仕事を手放してくださらなかったんですけども。
といいながら、他人の仕事量に関してはとても良く見ていて、他支店の人とか楽そうな人を目にするたびに「私はこんなにやってるのに!!」ってずっといっていた。胃が痛かった。すみません、って何故かずっと謝ってた。今考えると、私は私に回ってきた仕事はちゃんとこなしていたので私が謝ってどうするって感じですね…。
そして、一番つらかったのは、「私も確認しないとどうなってるかわからないから、貴方のやってるこの仕事が終わったら私に回して」でした。
在庫とかお客さんが関係するもの業務でもあったので仕方ないのかな。
それから、終わったものはAさんに見せるようになった。これこれこういう処理をしてあります、と説明もした。Aさんが「こうしたほうがやりやすいよね?」って言うのにも頷くしかなかった。共有しなくても良いだろうけどと思いながら、あとから私は知らないからって放られるよりは良いやと、逐一Aさんに報告して。
ミスを防ぐ・ダブルチェックという点においては、良いのかもしれません。でも、これ、私が仕事した意味ありますかねえ。って言うのが本音でした。
一年ちょっと、ずっとこの感じで、辛くなってしまいました。

もっとうまくできる方法があったんじゃないかと、今でも考える時があります。
上のことを苦にせず働ければなんとかなったのかも。悪い人ではなかったのですが。
他支店の人と会議とかで会うと、「やめないでね」って言われていたのに、頑張れなくて申し訳ないなあと思ったり。多分私の前に3人くらい入ってはすぐに辞めちゃったからだと思います。1から教えるのって大変ですもんね…。

2日くらい落ち込んでいたんですけれども、家でころころしていたら何だか気力が戻ってきたので(職場に行かなくてよくなったのもあると思います)、ハローワークに登録し、面接の予定を組んでもらったりしつつ、次はどんなことを職業に出来るだろうと思いながらこのnoteを書きました。

しんどかったし、辛かったし、苦しかったけど、優しくしてもらったこともあったから。私の中でこれは終わりです。
もちろん辛いことも悲しいこともたくさんあるけど、それでもその中でちょっと嬉しいことがあったとか、優しくされたとか、ご飯がおいしかったとか、そういう少しの幸せの方を大事にしていきたいなと思うのでした。

なにか明るいことをして過ごそう。好きなことと嬉しいことをためていけば、ちょっとしたキラキラは私を掬い上げてくれる。

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