見出し画像

depression

2024年始まりました。もう1ヵ月も過ぎたけど。。
今年はちょこちょこと書けるといいな。
大作を求めず記録程度に。

友達が自分の内を打ち明けていたのを読んで
私も自分の内を綴ってみようと思う。

始まりは2021年5月の中旬。
当時私は小学校の教員として働いていた。運動会を終えて
きっと仕事と自分をつなぎとめていた糸が切れた。
休み明け仕事の準備をしようと思ったのに体が動かなかった。
1日仕事を休み、次の日もその次の日も学校に足が向かず、
挙句の果てには食べ物も水分も体が受け付けなくなった。

そこで選んだのは「心療内科」。
同気が行っていたところを紹介してもらい、一緒についてきてもらった。
自分に付けられた診断は「適応障害」。

生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対処することができない結果、抑うつや不安感などの精神症状や行動面に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気のことです。

Medical Note

適応障害と診断され2か月の長期休暇をいただいた。
私の場合原因が確実にあり、それに対してのみ対応できなくなる。
だから言ってしまえば、その原因以外は問題なく過ごすことができる。
少し話ができたりご飯が食べれるようになったりしただけで
「仮病?」って聞かれるくらいだ。
当事者にとってその2文字がどれだけの凶器になることか。

「 陰と陽 」

人間関係が原因で診断を受けたうえに信頼していた人に言われたことで
私の人間不信はいっきに進行した。
電車の中、狭い店内(KALDI、ビレバンなど)、ライブハウス
狭くて人がたくさんいるところは周りの音、情報が全て自分に
向かっているようで、息苦しくなった。息の仕方がわからない感じ。

大袈裟に聞こえるかもしれないけど、実際になってみないと
こればかりはつらさがわからないと思う。
唯一の理解者は同じ境遇の友達とお医者さんだけだった。

それを境に人からの圧力にも耐えられなくなった。
少し強く言われたり、間違いを指摘されたり、突き放されたり…
自分も驚いたけど、まず思考が停止する。酷ければ過呼吸。
言ってきた人はみんな敵だとだと思ってしまう。たとえ家族だとしても。
それは現在でも多少後遺症はある。
これを言ったら相手はどう思うかを気にしすぎてしまう。
だから結局自分の内にひた隠し、ため込む。悪循環もいいところだ。

そして、そのあと家族を苦しめたのは自傷行為。
まず生きた気がしなくなったら鮮血を見るためにリストカット。
血を見ることによって生きてるって自覚ができる。
私の場合は死にたくてではなく生きてる証が欲しくてしていた。
左手首に増えていく傷。足りなくて右手にも浸食。
今も少し痕が残っている。
一時期家中の刃物を全部隠されたほどだ。
考え事をしていて嫌気が差すと気づくと刃物を持っている。
それが癖になっていった。ちなみに今でもその傾向は抜けない。

自分の傾向として見えないストレスにやられ身体を蝕まれるんだ。
自分でも避けようがない。逃げられない。
不意打ちのようにふとした瞬間にやってくるんだから。

話を戻すけど、療養期間中は食欲の関係で生野菜と生魚、
油分が少ないお菓子食べられず気付いたら-10kg。
食生活を戻すのは地獄の日々だった。
食べては吐いて飲んでは吐いての繰り返し。
現在でも調子がよくないと依然と同じで戻す。

2か月休みを取り職場復帰したものの給食は食べられず
おかゆや雑炊を作って職員室で食べていた。
子供達にも当然心配されたが、致し方なかった。

仕事面では前年度にいたクラスに戻してもらい
ストレスなく楽しく仕事ができていた。
でも、人事の時期になり管理職との面談で辞める意思が
あることを伝えることができた。
仕事は好きだったがこのまま続けていても嫌いになりそうで
怖かったからだ。いわゆる逃げというやつ。。

実際に教員畑から外に出て息を吸えたことは功を奏した。
そんなこんなで今の自分がいる。

それからのエピソードはまだ尽きないけど、
とりあえず1回目の鬱との戦いは終わった。

怪獣のはなうた

期間を開け再びうつ症状が再発したことはいずれまた書こうと思う。
結局一度発症したらいつ再発してもおかしくないらしい。

今回は1度目の鬱症状について書いてみた。
自分にとって知られたくない過去ではあるけど
この病気を知ってもらうためにも記録してみた。
鬱と診断されることはとても怖いことだけど、
自分のことをしっかり見つめ直すいい機会になったので
その点では診断されてよかったなと。

そして、うつ症状から脱却するために向き合い
薬の投与、自分の趣味に没頭、気の許す人との会話で
症状の悪化を防ぎ、回復傾向に戻していくことを
積極的に取り入れてきた。とにかく人に甘えた。
自分でため込むのではなくどう思われてもいいから
思ったことはすべて吐き出す。
やりたくなければやらない。ストレスを察知したら
何も考えずすぐに薬を飲みベッドに入る。

たいした改善方法ではないけど自分にとっては
これが一番心を楽にしてくれるやり方だった。

このご時世同じような苦しみで悩んでいる人は
少なくないと思うからこそ、一人でも多くの人の目に
自分の体験談が映ればいいなと思う。

ここまで読んでくれた方がいてくださったら
とてもうれしく思います。
読んでくれてありがとうございます。


2024.02.28               kuru.





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?