コロナ罹患後、味のしなくなった世界で

数日前にコロナに感染した。
コロナの知人と濃厚接触をしたわけでもないので、どこからかもらってきてしまったのだろう。初日は37℃代の発熱と鼻汁があった。3日目には熱が引いたが今までに感じたことのないような咽頭痛があった。そして4日目の今日、咽頭痛は引いたが味覚と嗅覚は消失した。
今は住んでいたアパートを退去し、実家に戻っていて、毎日母親が作ってくれる料理を食べている。今日はコロナに感染して沈んでいる私を励まそうと力を入れて料理を作ってくれたらしいが、全く味がしない。
味のしない夕食は、総括するには些か早いが、まるで私の今年1年間を表すかのような虚しさを孕んでいた。

今年に入って、なんというかツキに見放されているような感じがある。
生来私は医学と同じくらい部活に精を出す人間で、根っからの体育会系だと自負している。USMLE※1をstep2CKまで5年のうちに終わらせることができたのは、間違いなく3年ぶりの東医体※2の開催を見据えていたからである。(「私にとって」は4年ぶりとなるが話すと長くなるので割愛する。)
6年に入ってからは、久方ぶりに道場にて竹刀を振るった。それも医学部の剣道部と体育会の剣道部を兼部しながらである。
全ては東医体で団体個人優勝し、有終の美を飾るため。

しかし、第一の悲劇として東医体の中止が決まった。
半ばやけになりながらも、「医学生の本分は医学であり、コロナのパンデミックに拍車をかけかねない東医体は中止するしかなかったのだろう。」と自分に言い聞かせた。
自分にはまだ体育会のインカレへの出場権が残されている。まずは体育会でレギュラーを取ろう。

かくしてこの絶望は、より私を部活へと駆り立て、私は1-5年生まで一度も掴むことができなかった体育会のレギュラーの座を掴むことができた。ディフェンスメカニズムで言う「昇華」が上手く機能した帰結であったのだろう。私は有頂天になった。なぜならば、弊学の体育会剣道部はそのレギュラーの大半が中高時代の全中インハイ、ないしは大学でのインカレで全国経験を詰んだ猛者たちの集まりだからである。そのチームメンバーの一員に抜擢されたことが誇りであった。

しかし時勢はそれを許さなかった。(いや、時勢というのは烏滸がましい。己の体調管理の不徹底が招いたことである。)
インカレ予選一週間前の朝、体に違和感を感じたものの、練習に顔を出さないわけにもいかないと判断し、家にあった検査キットを使って調べた。私としては、「一応」検査して陰性の証明だけできればよい、その後すぐに稽古へ向かおう、と考えていたのだが。

鼻腔に綿棒を突っ込んで粘膜を擦り取り、それを干渉液チューブに入れて、テストデバイスに滴下する。

シャツにまとわりつく汗は冷や汗なのか?あるいは。。。

COVID19 positiveを示すラインが鮮紅色に染まる。そして頭が真っ白になる。

今、隔離期間でやることもないのでこうしてブログを書いて頭の中で起こったことを整理してみた。「努力の割には不甲斐ない結果」だの言うやつがいるかもしれないが、もはや結果すら出せずに選手人生が終わりに向かっているのだからそれ以上に救いようがない。
まずは自分の体調を治すことに専念し、来るべき大会でチームメイトが勝ち進みインカレ本戦への出場権を獲得できるように、ただ祈るのみである。

白米を噛み締める。
麦茶で流し込むが、味はやはり、しない。

※1 USMLE:アメリカの医師国家試験
※2 東医体:医学部医学科生だけの体育大会


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