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“自分探し”といえばなぜ“インド”なのか?

自分探しの自分とは?

はじめに

   自分探しの自分とは何なのか。学生時代は自分を探すフェーズである人が多いように思うし、特に近年は自分のやりたい事を表明することが強く求めていると思う。クリエイティブに生きろと強制される。ボーッと生きているわたしには辛いことだ。

 一方で、幼い頃から自己決定のようなものを示す人もいる。キングカズが小学校の頃にはブラジル留学を決心していたと聞いてビビったの記憶している。一方で、夏目漱石が30歳になってなお道に迷っていたと聞いて安心したものだ。まあ、迷っても漱石だから今考えれば安心する材料は微塵もないのだけれど。私自身も確固たる自分、ブレない自分に憧れているし、そう思う人も多いのではないかと思う。

“自分”とは正規分布である

 今回の記事の本質とも言える主張として、自分=正規分布というのがある。哲学的な定義は知らないけど、自分という意識はまるで正規分布のような確率分布で表されるのではないかと思っている。おそらく多くの要素、形質が複合的に集まって形成されていると考えられる。わかりやすいように一つの形質、例えば「優しさ」でみると優しさの強度という直線の上に正規分布のグラフが描かれるようなものだ。

   一番高い山の部分が自分の優しさの期待値、平均値が来る。これが通常において自分が自分の優しさの強度と自認している点と考えられる。だが、自分の優しさが確率分布していると考えれば、それは常に一定でない。時によって表れる優しさの値は異なる。その確率は正規分布分布等しく平均値と分散で表現できる。

  つまるところ、我々は自分の優しさを点推定するのではなく、区間推定すべき、というか正規分布を仮定すべきなのではないかと思う。さて、複数の形質が混ざりあった自分という意識もやはり正規分布を仮定するのがよいのではないかと思う。そのように考えれば、統計的な視点に立って自分探しをどうやってやれば良いか見えてくる。

自分探しをするには?

①サンプル数をたくさん得る

  サンプル数が多くなれば、標準誤差が小さくなり、母数の推定精度が上がる。実生活であればたくさんの事に挑戦して、たくさんの事に触れて、それによって湧き上がる喜怒哀楽といった感情を自分で記録・記憶するのがそれにあたるのではないかと思う。逆にそれしか自分を知る方法がないとも言える。

②偏りの無いサンプリングを心がける

  偏った調査では偏った結果しか得られない。環境効果の影響が出ないように色々な条件のもとサンプリングする。つまり色んな所で色んな事に挑戦し、その時の自分の心の機微をつぶさに観察するのである。全てに均一には無理でも、一度は挑戦したいものだ。

③外れ値を安易に除外しない

  サンプル数を増やせば、得られた異常な値が分布の一角を担う需要な値だということが判明するかもしれない。例えば、消したい過去や一時の気の迷いは自分ではなかったと思いたいが、ただ隠れていた自分が表出しただけということも考えられる。自分の思いたい自分に錯誤しないことだ。

④確率分布を形作る母数は区間推定した値である

  例えば区間推定している限り、推定した平均値も確率的にばらついている。要は確固たる自分がそこにあり、それが自明なものと考えないことだと思う。これは上述しているように自分とは多数のデータから推定するものであると同義であるが、別の意味も持つかもしれない。理想的なサンプリング環境とは異なり、我々は時間的な制約を受けて、歳をとるからである。真値とは異なるかもしれないが、観測値から推定する限り、年齢を経るとその自分という確率分布の形が変わっていくだろう。これは自分が永続的なものではなく、それが変わっていくものだという私の感覚にもよく合う。

No サンプリングNo自分探し

  そんなわけで、何もせずに悶々と自分とはなんだろうか、なぜ自分は自分のことを理解出来てないんだと悩んでも答えが出てこないというのは当然の事と考えられる。自分から湧き上がる衝動に駆られて、行動して、出来事に巻き込まれて、それに反応する自分を観察してようやく自分を見つけることが出来る。

瞑想は無駄?

  では座ってじっと行う“瞑想”は自分探しに役に立たないのだろうか?いや、むしろ多いに有益なものだと考えられる。なぜだろうか。これも“自分”は推定するものであるという立場から見れば納得感がある。自分のサンプリングは日々行うものだが、日常生活には様々な環境要因が存在する。つまり雑音が多い。

  これは雑踏の中で自分という人物から発せられる小声を聞き分けて理解するのが難しいと同じようなものだ。それでもサンプリングを多くすれば理解出来るようになるものの、兎にも角にも環境要因にされやすいのだ。こういうバラツきがあるものを観察する場合、科学者が行うのは環境条件を揃えるということを行う。

  試験設計をし、なるべく見たいバラツキ以外を均一にするあるいは限りなく少なくするのである。これは瞑想によく似ているのではないかと思う。暑くもなく寒くもなく静かな場所で、目を閉じ、体も動かさず、当然キツい匂いもしない。さらには勝手に浮かんでくる雑念にも反応しないにする。

  そうやって出来る限り雑音を抑えた上で、自分の心から小さく聞こえてくる囁きは本当の自分を表しているのではないか。その小さな声は、静かな空間においては非常に大きいものとなる。まるで分散分析で全分散に対して、相対的に見つけたい分散だけが大きくなっているときのように。

瞑想の追加効果

  瞑想にはもう一つ効果があるように思う。自分のバラつきだけを感じる世界には大きさの単位がない。平均値を突き刺す座標も存在しない。つまり、その確率分布は標準化されていると考えることが出来るかもしれない。正規分布であれば、平均0標準偏差1の標準正規分布と言うことが出来る。標準正規分布はよく調べられている分布である。

  標準正規分布表があれば、危険率も既知として扱うことができる。多くの人に使われてきたと言えるだろう。いや、実際は他の分布表がよく使われているかもしれないが。とにかく、瞑想で得られる自分は環境要因に依存せず普遍性が高いと考えられ、それを生活の柱にするのも悪くないことではないかと思う。

なぜインドなのか?

インドとはなにか?

  ここに至って本題にようやく移ろうと思う。なぜ人は自分探しに“北海道”や“インド”に行きたがるのか。だ。事前に「自分探し インド なぜ」とググったところ、その理由は人生観や価値観が変わるらしいし、自分を見つめ直せる場所だかららしい。今回は、自分探し=インドという文言はクリシェなのにふわっとした回答しか目に付かなかったと思って、自分探しについて考え始めた次第である。よく言われる“人生観が変わる→自分がわかる”の間には話の飛躍が感じるし、自分を見つめ直すなら鏡か瞑想が良いのではと私は思う。

  それでも直感的に自分探し=北海道が正しいと思ってしまうのは何なのだろうか。北海道とインドの共通点を考えた時に、それは「日常」と大きく異なるということになるだろう。本州と異なる気温、植生、動物や広大さを北海道に期待するし、インドには全てが異なることを期待する。違うことが大事なのだ。

日常効果の推定

  その違いは“日常の効果”を推定することを可能として、そのことが自分探しに有効なのだと私は考える。日常において観察される様々な自分は環境要因が付加して観察される。それは母数効果なのか変量効果なのか、自分の分散との交互作用があるのかないのか細かいことはわからないが、その効果は存在するのは間違いないだろう。

  通常時はその効果は自分の効果と混ぜ合わさって、分離することが難しい。つまり、日常の効果も推定することが難しく、“自分”を推定することも難しくなっている。しかし、圧倒的な環境の違う場所では、その環境効果が大きく、顕著で分かりやすいものとなると考えられる。日常との差分が大きすぎるのだ。

  環境の効果がわかれば、自分を推定しやすくなる。イメージ的にはランク落ちしている行列に、不完全なりにもランクを充足させてやって、解を導きやすくするようなものではないかと思う。ただし、そのためには旅に出る前の準備が必要である。上述のとおり自分のサンプル数が推定のための必須条件であるからだ。

日常も大事

  つまり、日常生活で自分をよく観察して、サンプル数を稼いでおかなければ、旅先で“自分”を発見出来ないのだ。これは日常に気を配らず、いざというときだけ特恵を得ようとする私の戒飭としたいところだが、往々として見かける事象ではないかと思う。また、旅先でもサンプル数を稼ぐのも有益であろう。

 そういう意味ではその時々の日常の機微を詠み、旅を詠い、俳句として記録を記す、そんな松尾芭蕉のような俳人は自分探しの名人なのかもしれない。おくのほそ道の“道祖神の招きにあいて”とかソワソワする自分が如実に出てしまっているような気がする。

結論

  結論として、自分探しには行動する自分とそれを冷静に観察し記録する自分が必要で、旅はその解釈を手助けしてくれるデバイスなのだと考えられる。

そんな事を考えている自分また観察して行こうと思う。

ではでは~

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