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師に会いに行く旅ほど愉しく深いものはない

あることについてずっと考え続ける。

資料を読み込んで得た知識に自分の見聞きしたこと、
いろんな人と話して得た感覚や意識下に流れているものなど汲み取ったもの、
それらのものを頭の中で組み上げて仮説をつくる。

プランナーなら誰でもやっていることです。
ブランディングやセールスプロモーションであれば、いつもの仲間と「どう?どう?これ、どう思う?」と話して回ってアウトプットまで導き出していきます。

ソーシャルな課題を考えることがあります。
ソーシャルな問題について、リベラルアーツの知恵と普段の感覚から組み上げて考え、行動し、経験を積み重ね、さらにそれで知恵を深めているという方は意外と少ないものです。

僕は会社組織に属していて、机の前に座って情報を得たり組織や業界の仲間とセッションしたりして思考を深めていきます。
ソーシャルな分野についても考えるのですが、この分野については自分が深めた思考がこれでいいのかと不安になることがよくあります。

20年ほど前にソーシャルな広報の神様と呼ばれる方がいました。
その方とのチームに混ぜてもらった機会に彼に質問してみたことがあります。
「熊本が地域の文化を深め、世界に発信するレベルに練り上げるためには、東京的文化に同調するのではなく地域文化が独立するくらいの意識が必要だと思うのですが」
すると、
「それは、そうは思わないよ」
と、神様からひとことだけ返ってきました。

そのときは「一蹴された」とか思っていたのですが、今ならわかります。
質問する人を間違った。
人には誰でも立場や生業があるので、その立脚点から答えを返すことが多いもの。
悪意でも知識不足でもない。
思考の深さの差はあるかもですが。

そんなとき、組織の中にいながらにしてものすごく孤独になります。
相談する相手がいない。
自分の思考の節目ごとの到達点が正しいのか、間違っているのか。
間違っているとしたらどこの分岐点で間違いが生じたのか。
そんなことを確認するすべがない。
孤独感に苛まれるわけです。

前述の例で言えば、いまはグローカルというコトバが一般化し(むしろすでに陳腐化しているくらい)ています。
地方創生が多く失敗したいま、東京側ではなく地方の地域に自覚的な若者たちが出てきました。
たとえば八女の「うなぎの寝床」さんは八女の街の文化に立脚したビジネスを始められました。
八女以外の地域(海外の地域の場合もある)の地域価値も巻き込んで新たな世界観を提案するという活動をされています。


今年も春が巡ってきました。
先週の日曜日の朝、小雨降る裏山から聞こえる鶯の声を聞きながら、ここ数年考えている社会課題と生活者との新たな関係づくりについて考えていて。
ふと、一人の方の顔が浮かびました。
そうだあの方にお話を伺ってみよう。
いままでそんな気持ちになったことはなかったのですが、この方ならこのモヤッとした思考に示唆を与えていただけるかもしれない。

お電話差し上げたらお時間いただけるとのこと。
さっそく小雨降るなか、家を出ました。
足元はワークマンのレインシューズ。

いつものバス停留所から見る熊本城が、
旅の途中だという気分で眺めると、よその城のように見えますね。

バスを乗り継いで駅へ。
鹿児島本線で熊本から八代まで移動します。
車内で撮った写真をTwitterにアップしたら友人から行き先を予測したメッセージが。

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キヨシマくん、さすがのお見通し。
どこに行くとか全く書き込んでなかったのにね。

八代で肥薩おれんじ鉄道に乗り換える。
一両こっきりのディーゼルカー(子どもの頃はジーゼルカーって呼んでたな)には一人の先客が乗っていました。確か5歳なはず。きちんと子ども切符買ったか?

会いに行くのは水俣で和紙づくりの工房を営んでいらっしゃる伝統工芸師の金刺潤平さん。
初めてお名前を伺ったのは、僕が立教大学の栗原彬先生のゼミにいたとき。

そのゼミでは岡並木さんとかミシェル・フーコーとかイヴァン・イリイチとか竹内敏晴さんとか読みながら(全くわけわからんかった)、室原知幸の「蜂の巣城の攻防」や水俣病など近代化の途上で起きた「私と公の政治性」を研究する(いまだからこんな書き方ができるが当時は全くわからんかった)ようなことをやっていた。
文献を読みながら現象だけではなく心情まで、自分の身体を媒介として把握するなんてことをやっていました。
社会現実との対峙の仕方をここで教わったという気がします(格好つけてみた)。

そんなゼミだから「近代的開発」を疑ったりするわけですよ。
流れる車窓を見ながら当時栗原先生から尋ねられたことを思い出しました。
「新幹線ができる計画があるけどさあ、
 芦北とか水俣あたりは在来線を拡幅して新幹線にすることは
 できないのかなあ」
オウム返しに返答しましたね僕は。
「無理です」
基本的に単線区間だし、海辺をくねくねと進む区間があるし、何より道床が軟弱な区間がある。
先生は「話し相手を間違えた」と、そう思われたかもしれません。当時の僕は鉄野郎でしたから。

そんなことを思い出しながら水俣駅に着きました。
駅のトイレはとてもきれいでしたよ。
ウォシュレットばんざい。

駅から金刺さんが営む山の上の浮浪雲工房まで歩いていくことに決めてました。
しごとで水俣に来るときはいつもクルマです。でも今日は歩きたかったのです。
何が原因なのかわからない病気が蔓延して、水俣の方々が不安になったり疑心暗鬼になったりした、そんな気持ちで歩いた風景を自分で追体験してみようと思ったからです。

駅の観光案内所に地図的な観光パンフレットがあるかな?と思ったら、なかったのでiPhoneに案内してもらって歩くことにしました。
最初はお店が点在する地方幹線道を歩き、途中から山道を登り始めます。
iPhoneの地図が示す通りに歩いていくと、なんですかね、ほんと歩行者しかいけないような道を案内されます。

そうして山を登ること40分。
着きました。

さすがに汗をかきました。金刺さんの奥様に出していただいた絞りたてのみかんジュース。喉に染み入りました。

30分くらいお話を伺うつもりが、ついつい2時間も話し込んでしまいました。
その様子は別ブログ「アトムの国のカントリージェントル」にテーマを絞って書いていきます。


ブログの中では下記の2つの項目にコラムをアップします。
【水俣のこと】「愛すべき水俣の風景」
【欧州のこと】「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所」
自分の思考のプロセスをお話しし、金刺さんからいただいたサジェッションや事例によって整理できたことを書いていきます。

水俣は日本の近代化の中で私たちの大きな気づきの節目になったのですが、それを節目と考えずに一時期の事象として位置付けることへの違和感について。
さらにそのブログではアウシュヴィッツについてまとめてきたのですが、その路線で最後のまとめに入れそうなことなど。

これから書く中ですこし変わるかもしれませんが、そんな感じです。

この春、やっと思考に一段落つけることができ、さらにこの上に新たな思考と解決法を積み重ねられそうなところにこぎつけたという、なにか孤独から解放された感じ。

そんな感じで帰りもiPhoneの指し示す方向に従って山を降り始めたのですが。

おや?なんだか上り坂登ってるぞ?

歩きで登るレベルの上り坂じゃないぞーと思いながら息を切らして登って、
振り返ったら美しい鹿児島の海が遠くに広がっていました。

雨上がり。
眺めが晴れる。

この旅を象徴するような光景です。
こんなところに連れてきてくれたiPhoneという近代技術の集大成(液晶技術の到達点の一つ)に感謝しつつ。

無事水俣駅に帰り着き、電車を乗り継いで帰ってきました。

人に会いにいく。
師に会いにいく。
そんな旅でした。

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