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「ご本」の気持ちを思い出す。      『全部を賭けない恋がはじまれば』

「お誕生日おめでとう」
父母から渡される、プレゼント。
小学生の頃まで毎年渡されるそれは、「まるぶん書店」か「長崎書店」の薄い包装紙に包まれた一冊の本だった。

必ずそのお店の本だったのは、その二つの書店が父の職場のすぐ裏のアーケード街にあったからだ。
並びには玩具屋もあった。
けれどどうしたことか玩具をもらった記憶はない。


幼稚園の頃の絵本から始まって、小学校の中ごろまで。
友人たちは誕生日にプラレールとかグローブやバットを買ってもらっていた。

しかし我が家はずっと本。

もしかすると当時の我が家の経済状況ではそれくらいしか許さなかったのかもしれない。


それでも僕は誕生日に父から渡される「ご本」が楽しみだった。
アルセーヌ・ルパンは次に何をやるんだろう?
シャーロック・ホームズとワトソン君は次にどんな事件に巻き込まれんるんだろう?
三銃士の次、フランスの動乱期に誰が冒険に挑んでいくんだろう?


誕生日の夜。
座敷(兼寝室の和室)に置かれた座卓には母の手作りのローストチキンとアップルパイ。
父が会社から帰ってくると同時にお誕生会が始まり、おめでとうの声と共にご本のプレゼントが渡される。
僕は待ちきれずに書店名が印刷されたセロハンテープを爪で端から剥がし、薄い包紙をペリペリとめくってご本を取り出した。

子供向けのその本は、箱に入っている。
キツキツの箱を両手で持って背表紙側を下にして上下に振ると、中からご本がでてくる。
ホームズの片眼鏡の顔が大描きされたツルツルの巻表紙。
その巻表紙に包まれて固い表紙と裏表紙。
表紙を開けて、扉のタイトルを見て、そこから続くカラーの口絵。
いま思うと映画の予告編みたいな感じだったんだろう。

いまでも持っている『巌窟王』。僕の全ての原点がここにある。


小学校高学年になると自分で本を買うようになった。
厚い硬い表紙の本は少なくなり、中学、高校と文庫本を読みまくった。

大学に入ってからはやや高めの本を買うようになった。
だがあの箱に入った、硬い表紙の、僕らを喜ばせるためにしっかりと装丁が整えられた本を手に入れるような感動はなくなっていた。


著者の稲田万里さんとは二度、お会いしたことがある。
noteの日曜興奮更新も読んでいたし。
語られるエピソードは実体験なのか、創作なのか。
実体験をもとにシチュエーションを創造したりしたのかな。

ふとした想像ではわからないけれど、ブログのようなウェブに無償でこのような世界観を過不足なく書ける才能に、毎回興奮していた。
ただ、あちこちにある性的な描写で興奮することはなかった。


稲田さんに最初にお会いしたとき、彼女が福岡出身であることを知った。
味噌は麦味噌ですよね。
お刺身にかける醤油は甘めのやつに限りますよね。
一気に親近感が湧く。

周りにいた人(田所敦嗣さんとか)たちが醤油は関東風だし味噌は米が好きっぽかったこともあって、その話題だけは二人で盛り上がった。

稲田さんの世界をもっと見てみたい。

二度目に会ったのはひろのぶと株式会社の株主総会のようなもののときだった。
そこで稲田さんの著作が進行中ということが告げられる。
期待感が否応なしに高まる。


そして10月31日。発売日。
僕が住む九州・熊本の書店では同日に発売されない。
テレビ番組が大都市とタイムラグなく放送されるようになったのも最近のことである(嘘松)。


2、3日遅れくらいだろう。
そう思って「長崎書店」と「まるぶん」をそれから毎日見て回っていた。
11月3日。

長崎書店に行ったら「あ行」の作家さんの新刊顔見せのスペースの一角がポコンと空いていた。
隣は池井戸潤さんの『ハヤブサ消防団』だ。
きっとここにあったに違いない(違うとは思うけど)。

きっとここにあったに違いない

次の日。
福岡の本屋さんに行った。
六本松の蔦屋にはまだ入っていなかった。
その足で博多駅前のバスセンターの上階にある紀伊國屋書店へ。

!!!!!

あった!
しかも平積み!

それから15分後、電車に乗って表紙をめくる。

廣瀬さんや、田中さんのtweetでニス版(とかクリア版と僕らは呼んでいた。廣瀬さんのnoteによるとUV印刷。これで通常CMYKの4版印刷なのが5版とか6版になる)があつ森いや敦盛いや厚盛りになっていることは知っていた。

厚盛りのそれは光を反射してテッカテカだ。

艶かしいというよりは、ヌメヌメポップ。


ところで。
この見返しの貼りはなに?
ものすごく丁寧に作られている感じ。

そして束(つか)の頭のガタガタはなに?
(天アンカットという製本手法であることを、廣瀬さんのnoteで知った)
小学生のころ岩波文庫を見て「さすがここを揃える手間を省いてより安くいい本を届けようとしてくれてたんだなー」と思ったことを思い出した。


加えて。
帯紙のこの小っちゃなハートのニス版はみんな言わないけど、なに?
ぱっと見で見えないところにも小枝、いや小技が。
この本を手にする人を喜ばせる小技がこれでもか!と施されている。


折り返しの部分でわかりやすいように表紙部分と比較してみた。


鹿児島本線のロングシートに座って書店でつけてもらったカバーを外して、ためつすがめつ、この本を触りながら。
僕はしばらくのあいだ、この装丁に感動していた。


この書の中で展開されているストーリーへの気持ちが否応なく高まる。
盛り上げるのは稲田ワールドの前知識だけではない。
本を持った、この感覚。
手に取る人のことを思って丁寧に作り込まれた、実態あるモノとしての本。
稲田さんの作品、磨き上げていただいた編集、それを価値あるご本として作り上げていただいた装丁・印刷・製本、そして書店の店頭にまで届けていただいた営業と、書店員の、そんな皆様の賜物だ。

と、忘れてならないのは田中泰延さんとひろのぶと株式会社の皆様にとっての初仕事だったことだ。
以後の仕事が軽くなるというわけではないけれど、試行錯誤も含めて大変な熱量で挑まれたに違いない。
その発露となった作品を僕は手にしている。


ふと「ご本」と呼んでいた記憶が蘇った。
両親からも、また書籍の作り手からも子供ながらに読者として大事にされている感覚。
その「ご本」が大事なモノであるという自分の感覚。
まさか令和になって、50代も終わりの年になって、その感覚が蘇ってくるとは思わなかった。

鹿児島本線のロングシートで揺られている。
左のお兄さんはスマホを弄っている。
右のお姉さんもだ。
二人とも目線をズラすとこっちの本も覗ける位置である。
さて、僕は大事な「ご本」を読み始めるぜ。
おもむろにページを僕はめくった。

「性欲」

扉ページのど真ん中に大きな文字。
たまらないではないか。

早々に第2刷。おめでとうございます。

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