談笑さんが落語をこっちに連れてきた!
「眞藤くん、それ、落語じゃないから」
ですよねーと、相手のマジ顔を見ながら、僕は相槌を打つしかありませんでした。
話のお相手は当時小学館の取締役をされていた岩本敏さん。岩本さんは昔からの落語ファン、というかマニアです。長く編集長を務められた雑誌『サライ』にもそれが色濃く反映されていて、当時の落語特集のしつこさ、もとい、充実は当時を知るひとなら首が振り切れるくらい頷いていただけることでしょう。
そんな岩本さんに、つい僕が「落語といえば僕ら日テレの『笑点』くらいしか接点がなくて…」と話したところ、ズバッと切り返されたのが冒頭のやりとりです。
岩本さんとは僕が最初の会社にいたときに初代編集長として雑誌『サライ』の媒体説明に来られて以来の仲。
それから取締役になられても、退職されて三重で農業に就かれても、なぜかご縁が途切れることがなく。僕は人生の転機を迎えるたびにご挨拶にあがり、鰻とかカレーをご馳走になりながらいろいろと教えていただきます。
例えば電通グループへ転職したあとで転勤することになったとき。
「岩本さん、どうも僕、30代が楽しくて仕方ないんですが、40代はどうなっちゃうんでしょう?
「それは君、もっと面白くなるに決まってるじゃないか。僕なんか年を追うごとに面白くなってたまらないんだよ」と明快な言葉が返ってきます。
それを伺うと僕も勇気百倍になるわけです。
岩本さんの年齢は僕よりも10いくつか上。
いわば人生の先輩。
毎回お会いするたびにこの話を伺っていて、7年ほど前にも「50代でものすごく楽しいんですが、60代はどうなっちゃうんでしょう?」と、偶然居合わせた那覇のシアトルズベストコーヒーで伺ったら「そりゃもっと面白くなるに決まってるじゃないか、僕なんて…」と答えをもらいました。
もはや毛利家が正月に親兄弟集まって「して、徳川はいつやっつけましょう?」と幕藩時代260年間延々と問答していたような様式美さえ感じます。
そんな岩本さんからズバッと返されたそのとき、そりゃそうだよなあと思ったのが落語を意識した最初の経験でした。
思い返せば通っていた大学があった池袋にも寄席があります。
大学が好きすぎて5年間も通ったのに結局一度も行きませんでした。
なぜかな?と思いを巡らせてみると、先入観があったせいでそうなったような気がします。
僕が小学生のころ、もう50年ちょっと前になりますかね、その頃はテレビで夕方に落語が放送されていました。我が家では普段テレビをつけなかったしニュース以外の番組は僕が見るお子様向け番組か、兄や姉が見るドラマだけ。でも友達の家に遊びに行くとじーちゃんばーちゃんが足のついたブラウン管のテレビに映る落語を大笑いしながら見ています。
その笑いが、当時の僕にはわからなかった。なんだか古臭いことやってるなーとしか見えなかったのです。
画面の中は羽織姿の和服のじーさんが座布団に座って話してるだけ。しかも出囃子は太鼓と三味線。
「仮面ライダー」と「帰ってきたウルトラマン」に興奮する僕には、まだわからない世界だったんです。
僕が育ったのは九州の熊本。
もちろん寄席の常設館などありません。
地元の焼酎メーカーがテレビ局イベントのスポンサーになって、年にいっぺん新春寄席をやるくらいです。
落語という世界が実に縁遠い。
高度成長以降に地方で多感な時期を過ごした僕らには、落語という生活文化がすっぽりとなかったのです。
そんな時代を経て、話はつい数年前に飛びます。
電通九州を辞めたのは2021年の12月。それまでの5年のあいだ僕は熊本広告業協会の事務局長も務めていました。
僕の前の事務局長は大変真面目で実直な方だったのですが、引き継いだ僕はほら、アレですから、結構振れ幅大きい感じで。
恒例イベントの広告セミナーでは佐藤尚之さんに始まり、田中泰延さん(たしか電通辞められてすぐのころ。青年失業家の話を会社員や役員が集まって伺うというシュールなイベントに…)、安部広太郎さん(コロナの時節柄、ズームでの講演でした)や境治さん(この方は最初の会社の先輩です)にご登壇いただきました。
そんな催しのほかに年度末の総会懇親会というものもありまして。
事務局長としては懇親会の出し物で頭を悩ませるわけです。
前の事務局長に尋ねると「僕は仲良しの熊本の劇団に歌のショーをやってもらったりしてた。なんなら連絡先教えようか?」と。でも同じものでは芸がないですよね。
で、たまたま、行きつけの店で隣に座った地域の先輩から「落語家の古今亭駿菊さん、どう?」という話になりまして。ちょうど熊本に地震の復興支援で来られる直前だったんです。
「その話、乗った!」
ということで、懇親会に出演していただくことになりました。
とはいえ、なにしろ僕もきちんと落語を聞いたことがないわけです。
相場観もわからんし、座布団持って行くから緋毛氈をかける台のようなものがあればいいからといわれても、要領がよくわからない。
それでもホテルの宴会担当の方と一緒になんとか設えて。
その懇親会は順調に始まり、偉い人の挨拶もそこそこに乾杯となり、しばらくご歓談の時間。
しばらくして座も温まりいい頃合いになりました。
古今亭駿菊師匠が控室から登壇されお噺が始まります。
すると。
それまでは話し声で満ちていた宴会場が、シンとなりました。
酒に口をつけながら聞く人もだんだん減っていきます。
駿菊師匠の話の間断や強弱に、聞き入る人が吸い込まれて行くようで、一斉に笑ったり、静かに聞き入ったり。
ああ、これが落語かと。
僕もその芸を楽しみながら、皆の様子を嬉しく楽しく見ておりました。
枕に引き続き、しっかりしたお噺がしばらく。ですがあっという間にお噺は終盤を迎えます。
スッと話が懐に入るように収まって、大変な拍手のなか、師匠は壇上から降りて行かれます。
そうして懇親会が終わりました。
出口でお見送りをしていると「初めてだった。面白かった!」と何人もの参加者が、なぜか僕と握手したりして会場を出て行かれます。
ああ、落語を知らなかったのは僕だけではなかった、熊本ではなかなか縁がないのだけれど皆がその面白さに浸ったのだなと、感慨もひとしおでした。
ですが。そのあとも熊本ですごしていると、やはり落語は縁遠いものなのです。
最近では「お寺de落語」というイベントを地元のお寺さんがやっておられますが、なかなか社会的なムーブメントになるほどではありません。
そんなある日、というか2023年5月のひろのぶと株式会社の株主総会でお会いした立川談笑師匠。
ステージの場面転換のちょっとした合間にサッと壇上にあがられ「せっかくだからこの時間もらっていい?」と、お話を始められました。
マイクを師匠が握り、いきなりお噺が始まります。
ああ、この空気感だ。気持ちを開いて見て聞いて、心がスッとして行く感じ。しばらくのあいだ、とても贅沢な時間を笑いながら過ごさせていただきました。
落語は心のデトックス。
肩から力が抜けて、生き方がふわりと楽になるような。
そういう笑い。
『令和版 現代落語論 〜私を落語に連れてって〜』(立川談笑著・ひろのぶと株式会社刊)を読了しました。本当はもっと早く読み終えるはずだったのに、企画書書いたり計画書書いたりしている間に時はたち、やっと年末に読み終えたので、罪滅ぼしのようにこれを書いてます。
このご本の文字を追いながら、噺の裏にはこのような登場人物同士の心情の交差があったのかとか、わかってきました。それを知るだけでも僕の心が拓かれて行きます。
そして読み終わったとき、ああ、ここでもいい体験をしました…と息をつきました。
談笑師匠も参加された今年のひろのぶと株式会社の忘年会は一昨日(2023年12月29日)。
参加したかったな。
ほんと残念。
でもまたどこかでご縁があるでしょう…と思っていたら。
ひろのぶと株式会社が胴元になって2月24日に渋谷で「立川談笑・立川吉笑 親子会」が行われると!
これは参加しなくっちゃ、です。
昨年5月の株主総会とご本に続いて、また談笑師匠やこのご本を作っていただいた皆さまにお会いできるのがとても嬉しいのです。おかげで落語がとても身近かなところにやってきました。いや、僕の心の中に落語の部屋ができたみたいです。
さて皆さん、2月24日は連休の真ん中の日ですからね。僕のような地方の方はホテルとエア、早く取るようにしてくださいね。ご一緒に心のデトックス、楽しみに参りましょう。
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