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殺し屋と、黒猫、。・・・そんな物語もある、。深夜書店。

 なんとも物騒な題名だ。
 殺し屋と、黒猫、。・・・そんな物語もある、。深夜書店。
 
 実は、深夜書店には過去版は各シリーズ作品がすでにつくられていた。
 約8年前には原稿執筆で仕上げられているが、当然未発表作だ。
 なかなかに膨大な諸作品群でもあったりする。
 憑依、する半身が繰り広げるフィクション部門のシリーズでは多彩に広がる世界観がある。
 今、現在、現実版の時間軸より前の歳月で、古書店営む主人公が活躍しているものだ。
 さらには今の作品でけっこうな話数で語られている人物はかなり主要な役どころでの大活躍もしている。
 なかには映画レオンばりに殺し屋の弟子になる登場人物、スナイパーの役どころが、じつは今発表中の深夜書店作のこの人物やったん?、だったりもする。
 まぁ肉体とはべつもんの憑依半身の物語でもあるのだ。
 現実描写の物語軸とのバランスもあり、きちんとした人物の性格や職種との整合性を遵守し、荒唐無稽にならない程度な空想科学小説ではある。(笑)
 闘う場面、活劇も存分にあったりもする。
 それでも過去の時間軸で現実に起こった事実や人物相関図が題材であったりするので関係者としたら殊更に面白かったりするのではないだろうか、。
 
 これらの作品では登場人物たちにはしっかりと名前づけされているのも特徴だ。
 そちらの世界観の物語でも、今こうして発表中の作品の中でも名前づけされているのは主人公の愛猫にして生き別れてしまった黒猫の〝びよんせ〟だけである。
 
 【例外として、いま発表中の第3作目にあたる
〝深夜書店?、何をこいつは・・・〟では、
 故郷地の少年時代からの友人視点なので、
 人生中途で亡くなってしまった友への心のセリフとして、
 〝お杉〟ともらす場面はある。
 憑依、する半身が繰り広げるフィクション部門のシリーズで
 〝お杉〟があだ名の杉原慶樹はもちろん短編作の主人公にもなって活躍もしてくれた。
 その死はもちろん実際に起きた現実どおりの時間軸で描かれてもいる。】

 フィクション部門のシリーズならでは、
 黒猫の〝びよんせ〟の心情語りまでがあったりもする。
 
 けっこうツンデレながらも、饒舌だったりする。主人公の恋人猫だ。
 びよんせちゃん、の憑依意識の人物は誰であったかや、友人たちや過去の面影たちが若かりし時代の実話にもとづいた物語もある。
 さらには息子や娘たちの未来描写で二世代をも描く大河群像劇小説作品だ。
 それは、実に8年前の現実世界軸をもとにして過去、現在、未来を実在の人物や空想上のキャラクターが存分に繰り広げる、深夜書店シリーズだったりする。

 では、今現在こうしてつくられているものは、それらの現実未来版にして外伝的なものであるか?、
 というとそうでもない。

 前置きがすご~く長くなったが〝事実は小説より奇なり〟なことが今現在の時間軸でもすご~く、起こることがまさに〝深夜書店、って題名、そんな小説作を残したい。〟の意欲そのものにつながっているのだった。
 
 なかなかに今こうして発表している〝深夜書店〟シリーズ、
 その中にも、おお~あの当時のフィクション部門作品の登場人物がそのままに、と。
 そう、まさに〝懐かしい、未来〟そのものな今の現代軸に生きている姿で映しだされていると、見えない力が沁み込んでくる心地になるのだった。

 誰がなんと言おうとかまわへん、自分がみたとおりのあなた、あなたがみたとおりの自分、。
 きっちりと、現実に寄り添っているのが、歳月を経てこその恩恵であったりした。
 
 心身ともに綺麗な者はより綺麗に美しく、今の現実社会で映えている姿はかつて執筆描写したこと以上だ。
 
 俺に生き抜く力を存分に与えてくれていた。
 想い描いていたとおりに、現実の現在軸であらわれている。
 
 ・・・残念な登場人物であったりとか、ゲスな者はよりいっそうにゲスに描きやすい所作を惜しみなく発揮していたりしている。
 
 〝事実は小説より奇なり〟は確かに間違いないことを歳月を経ても実証しているわけだった。
 まぁ、なかにはごく希少な例としてはいつまでも歳月を経ての連絡や意思疎通がままならず、
 あれだけ活躍した人物もこれからは残念な登場人物に描写するしかない、というのはある。
 「殺し屋と、黒猫、」かつての狂気の憑依、半身の物語・・・の作品発表へのそこいらの懸念はある。
 
 そそ、
 いずれにしても、暗黒面にと、スターウォーズダースベイダーよろしく墜ちたはずの者が生還する物語、再生の未来を描く今現在の深夜書店小説作への意欲にもなるのだった。

 世界を変える視えない力、について昔日、原稿執筆した深夜書店小説シリーズがあった。
 不遜、な概念であるのかもしれないけれど今、現実社会はかつての〝懐かしい、未来〟で垣間見る世界観にも表現していた。
 〝視えない敵〟により荒廃の脅威にもさらされている。

 感染、とそれにともなう激変は脅威にほかならない。
 でも、そのいっぽうで極めて大切なものに気づくことが叶った。
 目に視えない、映らないものに真理がある、ということもだ。

 祈ることしかできない想い、でも、どれだけ追い詰められても祈り想うことができる。
 これほどの安らぎに、かたちなんかない〝過去も未来も超えていくものが、〟寄り添っているのだった。

 ‶生命、がもつべきものはそういったもんや。だんだんと拡がっていけば、いつか慈しみに満ちた世界に変わるんやって、、、〟

 そういえば「殺し屋と、黒猫、」の過去作で
 「殺し屋」たる凶獣、最低最悪のくそったれ野郎は、言葉なく、その真理に辿りつくべきにあがく場面もあった。
 孤独、な殺し屋が会話もできない黒猫だけが待ち続ける古書店に、、
 なにがなんでも帰り続けた日々の中でのことだ。
 目に視えない、映らないものにこそ真理があることに気付いていたのだと思う。

 先日、故郷地の綺麗な空、なる作品を発表できたのにはほんまに偶然が必然となっていった。

 お墓参りの帰り、振り返って撮った写真を帰路、SNSにあげてみる気にもなったのは、友人の営むテラス席のある解放的な空間の腕毛の濃い店長が、彼がSNSのストーリーズにお墓参りの景色の投稿をアップしているのを電車のなかで見たからだ。
 綺麗な景色は、また綺麗な心情を湧かせるのだった。
 おかげをもって、同日にSNSで友達になった、俺の姪も歳月経ての墓地からの空を、その眼差しに甦る日となったわけだ。
 そして前回の深夜書店小説作への意欲にもつながった。
 さらには深夜書店の過去版への想いにもだ、。
 現実描写の物語軸とのバランスもあり、きちんとした人物の性格や職種との整合性を遵守し、荒唐無稽にならない程度な空想科学小説ではある。(笑)

 今回、歳月を経ての時代の移り変わりに人物相関には配慮しつつも、未発表作も世に残さねば、との想いにもなった。
 というわけである。
 ごく希少な例としては、歳月を経ての連絡や意思疎通がままならずな人物も在るわけだ。
 そこで一方的ではあるが、世に発表すべきの合図として今現在版の深夜書店シリーズの作品状況をLINE等をつかって登場人物者及び関係者の方々に大体的には送り付けた次第だ。
 ほぼ、人物の性格や職種との整合性を遵守した作品ではあるうえにも、事実無根な描きかたを絶対にしないのも深夜書店小説の特徴ではあるのだ。
 実際に起きたこと、起きること、それには物語がいつだって寄り添っている。
 過去、未来、そして今現在に、。

 若き日々よりの友人はもちろん、過去作に描いたとおりの心ある応対はしてくれた。
 
 深夜書店には過去版で大活躍するサムライ闘士の役どころの者がいる。
 現在は同業種から自立しての鉄筋業営む者だ。
 彼と同じ名だった彼の元妻との宿縁からも飛翔して、、
 温かで健やかな家庭の主にもなっていた。
 かつて昔日に描いたとおりの、ことがLINEのやりとりで伝わってきた。
 
 誰がなんと言おうとかまわへん、自分がみたとおりのあなた、あなたがみたとおりの自分、。

 〝事実は小説より奇なり〟は確かに間違いないことを歳月を経ても実証しているわけだった。

 刃、の上で佇んでしまうと、想いの質量によって切り裂かれてしまう。
 そんな生涯もある。
 
 懐かしい、未来へ、。走れ、。生きるなら、。走れ、。

 深夜書店、って題名、そんな小説作を残したい。


 なんとも物騒な題名だ。
 殺し屋と、黒猫、。・・・そんな物語もある、。深夜書店。

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