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トゥルー・ロマンス、深夜書店。

 「言(こと)」は言葉、「事(こと)」は行為や現象。
 「言」と「事」はつながっていて、「言」と表現することで「事」が実現すると信じられていた。
 草木でいうところの根っこにあたるのが「心」、
 思い想っているだけでは何にもならないと。
 草木が芽をだして、葉をしげらせて、花を咲かせ、実を結ぶように、、。
 「言の葉」によって思いを伝え、誰かとつながり、表現しながら夢をかなえていくのかもしれない。

 その女性(ひと)とは酒場で出逢った。
 心に降る雨について、俺(詩人)と語りあったこともある。
「ふりしきる雨の日にたったひとつしかない、傘を貸してくれる者っているのかな?」
 って話題をしたように思う。
 答えはなかった。
 眼差しが、ただ遠くをみつめるだけだった、。

 親しくなってからは平日の午前中、近所の山を散策したり、
 道端にひっそりと咲く、
 花、の写真を撮影したりして自然に触れる散歩に同行してる、、
 そんなひとときに
 なんてことのない会話をしながら手をつなぐことだってあるけれど、。
 散歩してるとき、
 その女性(ひと)は、イヤホンを耳にしてスマホからよく音楽を聴いてることも多い。

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 翼があれば空を飛翔したくなるくらい、
 気持ちのいい空、、
 その下で坂道を上りながら歩く。
 山のふもとの地域だからこその景観、自然美にふれながら。
 桜や木蓮、、色合いが映える時節に、。

 上がって展望がひらけてくると、その場所からさらに遠くへと目を向けていく、。
 その女性(ひと)は、
 泣いたように笑うときの眼差しにも似て、
 遠くにある山やその下にある世界を観つつも
 とおい、とおい、
 そこではない景色を観てるみたいで、。

 なにかを納得したときの、くちぐせ、、
 「そそ、」っていう言い方、、。
 その女性(ひと)もよく使う。

 顔の表情もよく変化する女性だった。
 猫の目(瞳孔)が周囲の明るさによって瞬時に変わるようにも、。

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 彼女は寺院や神社で押印されるものを集めて巡る御朱印ガールでもある。
 とある日の機会に、、その地へと、この俺(詩人)が、
 ふたりして有名な総本山の仏教寺院を訪れることができたのは、その女性(ひと)に出逢ったからこそだ。
 自然美の景観もちょうど身目麗しい(みめうるわしい)時節にもあっていて、心が洗われるようだった。
 西国三十三所第8番札所。寺紋は輪違い紋。
 
 ご本尊は十一面観音(十一面観世音菩薩)。
 かんぜおんぼさつ、御身の丈(おんみのたけ)三丈三尺(十メートル余)。
 その女性(ひと)は、手をあわせ拝んでから、、見上げて、十一面観世音菩薩の慈悲深い顔をずっと、ずっとみつめていた。
 とても長い時間、目もそらさずに、みつめつづけてた。
 幼い若さだった時代、花魁(おいらん)の業を払うかのようにも、
 過酷だった宿業を癒し清めるかのようにも、、
 みつめに、みつめつづけていた。
 
 その理由は、
 涅槃(ねはん)を意識しながら、、みつめているんだと、、
 あとで、泣いたように笑って、
 静かに教えてくれたけれど、、。
  
 その日の光景は深く胸に沁みている。

 「ふりしきる雨の日にたったひとつしかない、傘を貸してくれる者っているのかな?」
 その女性(ひと)と出逢ったときの話題も。
 
 花のように笑う、詩人で恋人だった、、
 面影のことも、。
 いっしょに、
 昔、DVDで観た映画作品のことなんかにも、つながりよみがえってきた。
 
 「獰猛(どうもう)な愛だけが生き残る」。
 これが日本公開時のキャッチコピーだった。
 
 「トゥルー・ロマンス」(True Romance)は、1993年のアメリカ映画。
 動画↓。 「トゥルー・ロマンス ディレクターズカット版 予告編」2分12秒


 ある夜、コミック・ショップに勤める若い男が若い女に出会う。
 ふたりは深い恋に落ち、翌日には結婚する。
 しかし女は、コールガール(娼婦)だった。
 男は彼女のヒモだったポン引きを殺し、彼女の荷物と間違えてヒモのコカインを盗んでしまう。
 しかもそのコカインは、イタリアン・マフィアのものだった。
 マフィアに追われて逃亡するふたり。
 やがてそこにハリウッドの悪党、警察も複雑に絡んできて…。
 って感じの物語展開。
 
 脚本がクエンティン・タランティーノ
 監督 はトニー・スコット
 愛し合う男女の危険で暴力的な逃避行という設定、爽快な展開のロード・ムービーからのアクション・バイオレンスとラブ・ロマンスの要素と暴力・ドラッグ、そしていくらかのセックスで満たされたラブストーリー。

 脇役で有名俳優が多く出演していることは、翌年公開されたタランティーノが演出した「パルプ・フィクション」にも共通している。

 脚本ではエンディングで2人とも死ぬ設定だったが、監督のトニー・スコットがどうしてもハッピーエンドで終わりたいという希望から急遽脚本を変更した。
 それでタランティーノはヘソを曲げてしまい、脚本の権利を返却させようとしたが、、。
 すでに撮影に入っており多額の損が出ることも、。
 また主役のクリスチャン・スレータータランティーノに直談判し、
 「たのむよ、クエンティン。クラレンスを殺さないでくれ」と説得して渋々了承させたとか、。

 歳月を経て、出逢うことでよみがえってきたもの。
 
 はじめてなのに、懐かしい、。

 花のように笑う、面影の骨格そのもの、、
 その眼差しが似ていたから、、
 花の写真を撮影する女性(ひと)とのふれあい。
 
 心の雨について、も。
 
 日々、が静謐(せいひつ)にも激しくも過ぎていく。
 
 いつだって時間が足りないままに。

 「言(こと)」は言葉「事(こと)」は行為や現象。
 「言」と「事」はつながっていて、「言」と表現することで「事」が実現すると信じられていた。
 草木でいうところの根っこにあたるのが「心」、
 思い想っているだけでは何にもならないと。
 草木が芽をだして、葉をしげらせて、花を咲かせ、実を結ぶように、、。
 「言の葉」によって思いを伝え、誰かとつながり、表現しながら夢をかなえていくのかもしれない。

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