Cherish The Day 日々がいとおしい、、深夜書店
日々がいとおしい、
過去も未来も超えていくものが、伝わってくる、。
魂、に触れてくる感覚がいつの時代をも諭してくれることがある。
チェリッシュ ・ザ・ デイ、。
日々がいとおしい、、/ SADE(シャーデー)の曲。
四半世紀ぶりに聴いて、やっとたどりつける境地。
見つめていたい、胸の奥底で眠っていた、眼差しを、。
あのころはわからなかったもの、わかろうとしなかったもの、。
恋だ、愛だと、知ったように騒ぎ立てるものでもなければ、
しあわせを謳(うた)いあげる曲でもない、。
深く沁み込んでいく想いの真実が、ごくシンプルな旋律の中で歌われていたことに気付けた。
その景観に共感せずににいられなくなる。
リンクについてや転用の重大性さえも理解しないままに生きてきた。
心に響くものをあたかも自分が解釈したかのもののようにしては、いけないことさえ、、
下記の かしめでさんのブログ
歌詞まで味わって愛でるブログを読まずして、この想いには至ることはなかった、、
俺が、その想いを文章に活かせない、
もどかしさ、拙さも、、
深夜書店、の世界観に通じてはいるけれども、、
読むほどに想いは深まる、、。
「I Cherish “the” day」という冠詞から、漠然としたいつかのことではなく、ある特定の「その」日だということが伝わる。
「I cherish the “day” 」と単数形を取ってることからも、その日は一定期間続いているわけではない、
単日だという事が読み取れるそうだ。
かしめでさんのブログからの転用ではあるが、まさに胸に沁みて自分の分身であるかのように響いてくる、、
↓転用リンク、名訳詩、名解釈。
かしめでさんのブログ
歌詞まで味わって愛でるブログ
これも、愛しさのあらわれなのかも、
「If you were mine, I wouldn’t like to go to heaven(もしあなたが私のものなら、天国なんていらない=天国にいかなくてもいいくらい、しあわせ)」
という一節は、歳月を経てこそに深く沁み込んでくる。
それは、いつもそばに居てくれるわけではないけれど、
一緒にひととき過ごせる「その日」は、、
心からしあわせで、いとおしい時間だと感じることが慄然(りつぜん)と響くことでもある。
動画↓。Sade 「 Cherish The Day (Official )」4分23秒
過去、も未来も超えていくもの、。
一緒にいられる日が いとおしい、迷うこともない、恐れることもない、逃げたりなんかしない。
ためらうこともない、。
過去、も未来も超えていくものがどれだけに深いものか、諭された。
本物の恋は、ただ、相手に恋をしているということだけで、
魂が満たされるもの、、
「相手が自分のことをどう思っているか」とか、
「どうしたらもっと愛されるか」などという不安や打算とは全く関係がない。
ただ、恋をして、恋する悦びを知ったというだけで、
この世に生まれたことも、今現在を生きていることも、
すべてが眩しく感じられる。
それに尽きる。
〝もし あなたが 私のものなら
私のものだとしたら
私は天国なんて いらないくらい〟
本当に誰かを愛したら、望むことはただ一つ。
その誰かと、身も心も一つに結ばれることだ。
しあわせとか、楽しさとか、そんなことは何の意味もない。
ただ、ひとつになりたい。
名前も立場も、相手の身体さえすり抜けて、自分と相手の境目も分からなくなるほど固く結ばれること、「愛」 それだけだ。
「愛する」ことを知っている者、、、。
もしくは誰かを「愛している」魂は、希少なのだと感じさせる。
「天国にいけなくてもかまわない」というのは、
強い欲求の前では、この世の価値観など意味もなく、欲望も、恐れも、何もかも超越した、いとおしさだけが息づく世界に結ばれる願いだ。
ただひたすら、相手を愛するためだけにある〝いとしおしさ〟というものが、どれだけ存在するだろうか。
それほどの愛に巡り合えた者は本当にしあわせなのだ。
本当に誰かを愛すれば、Cherish The Day の世界観が自身と完全に一体化して感じられると思った。
誰もは簡単に「愛」という言葉を使うけれど、
真実、「愛する」ことを知っている者、、、。
もしくは誰かを「愛している」魂は、希少なのだと感じさせる。
〝いとしおしさ〟
過去も未来も超えていくものとは、
絶え間ない努力であり、
孤独や苦しみを恐れぬ勇気であり、
見返りを求めず、
相手にひたすら捧げつくすものなのかもしれない、。
あのころはわからなかったもの、わかろうとしなかったもの、。
誰もが誰かを「好きになること」は自然な心の作用だし、
「恋に落ちる」のも割合簡単だ。
しかし、「理解する」ことは、相当な努力を要する。
そして「愛する」となれば、、、
「愛し続ける」ともなれば、、、。
誰だって自分自身については、いくらでも心を注ぐことができると思う。
でも他者には、そうそう尽くせるものではない。
自分とは異なるもうひとつの存在を、
何の見返りもなしに、受け止め、理解し、
慈しむことは、、
世に生きる者として最も尊い能力であるのだろう。
〝いとしおしさ〟
日々がいとおしい、
過去も未来も超えていくものが、伝わってくる、。
魂、に触れてくる感覚がいつの時代をも諭してくれることがある。
チェリッシュ ・ザ・ デイ、。
日々がいとおしい、、/ SADE(シャーデー)の曲。
四半世紀ぶりに聴いて、やっとたどりつける境地。
見つめていたい、胸の奥底で眠っていた、眼差しを、。
あのころはわからなかったもの、わかろうとしなかったもの、。
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