見出し画像

『クイアセオリーでなくEMCA(および社会問題の社会学)に救われてきた理由(オートエスノグラフィックな何か 8)』

全文無料公開

1. カテゴリーの外挿に自覚的であれ

収集したデータを分析して、それを研究論文として仕上げる、という研究活動をするのに、相互行為論的なやり方やEMCAでやっている人たちの間では、自分のジェンダーもセクシュアリティも、同時に自分のアイデンティティも、全く問題にならなかった。そのこと自体を、そんなに美味しくない飯を貪りながら思い出して、今、一番、人生の中で生きていると感じている。

なぜなら、かつて一緒に研究活動をしていた人びとにもSNSで連絡を回しながらジャーナリングし、こちらの知人友人も物理的には助けに来ようにもないところで、自分の足だけで立とうとし、貯金も底をつきそうだけれど、アカデミアに残れる可能性を探っているから。(カウンセリングなどはちゃんとやっています。)

相互行為論的な分析やEMCAをやる研究者たちは、私が女でも、ノンバイナリーやらなんやらだとカミングアウトしても、その上、辞職の連絡待ちをしていても、全く変わらない。恐らく男になっても、まるっきり女に戻っても、変わらないだろう。そういうこと自体が、長い研究生活の中で、私を何よりも支えてきたのだと気がつく。それが、彼らの本当の素晴らしさだ。

加えて、彼らは心配してメッセージをしてくれたりするが、バーンアウトしていようが、研究や倫理、社会問題に関しては、言うべきことは言い、時にはバチバチに議論する。私たちの領域には、医療をメインに扱う人も多く、その中で精神医療の研究もよくあるので、自分自身がやっていなくても馴染みがある。そういう彼らにとって、病者は社会的弱者として社会の中に位置づけられている人びとだが、病者であるからといって、思考能力が弱っているとか、論理的に考えられなくなっている、みたいなジャッジはしない。むしろ、そういうジャッジが偏見であることを、きちんと知っている。

(念の為であるが、私はバーンアウトしたが、こちらで精神疾患持ちという扱いにはなっていない。職場が休職の診断書を要求するので対応してもらったが、加えて、ここでは何かの診断名を職場が休職のための書類に書かせるのは差別行為だが、全部織り込み済みで、日本の職場に合わせて対応してもらっている。調子が悪いのに日本語で書けるドクターに頼んだのは、私の親切心からだ。なお、私には研究仲間の精神科医や医療関係者がそれなりに沢山いて、彼らが私の健康状態を見守っていることも付け加えておく。)

そんな彼らが、調査対象に興味本位に接近して、利用しているような論文があったなら、教えて欲しい。もしそうなら、そのこと自体を分析的に浮き彫りにできるから。

もちろん日本の社会学の差別問題の研究者は、一枚岩ではない。例えば、ある生活史研究者に「私はフィールドで嫌な思いをしたことがない」と言ったら「それはあなたが女だからだ」と言われた。正直、ミソジニー極まりないのでは?という直感を持ったし、なにしろ私はノンバイナリーだ。

彼の言うことが真実なら、そのことは私のデータ、あるいは書いたものに現れているはず、である。なので少なくとも、彼は、私が書いたものから、それを示せるのだろう。そうでないなら、それは性別に関係のない文脈に(不本意な仕方で)性別を持ち込むこと、EMCAが言うところの「カテゴリーの外挿」だ。ちなみに私は、女という「カテゴリーの外挿」が行われることを人びとはセクハラと呼んでいる、という分析を行ったこともある。

EMCAの周辺の人たちは、この「カテゴリーの外挿」を徹底的に避けようとする。分析するときの基本中の基本だからだ。そして、そう努力しないとやってしまいがち、ということに自覚的でもある。常に意識的にやっているかは別にして、抑制はきっちり効いている。

一方、「カテゴリーの外挿」をして説明し、一件落着とし安心する、ということを人びとはよくやっている。一見すると、先の例も、フィールドで彼自身は辛い思いをしてきたので、私が女だからだ辛い思いをしなかった、という理由づけをすることで、男の自分には起きて当たり前だと安心している、ように見える。

似ているようでそれとは異なるが、ゴフマン曰く「スティグマ」を抱える人は、自分に降りかかった難事について、スティグマカテゴリーを外挿することによって、かえって安心することもある。(これらの指摘は、同胞による。記して感謝したい。)

前に、「スティグマ者によるスティグマ者のための方法論」と書いたように、スティグマカテゴリーの外挿を自分に対して、あえて自覚的にすることで安心するが、そういうことをしていること自体に非常に自覚的なのが、「アグネス論文」のことをよく知るトランスジェンダースカラーはじめ、この方法論を用いる学徒だ。ニューロダイバーシティについても、そういう形で言及することは、トランスジェンダーのフィールドでは、精神医学領域の人たちを含め非常に多い。(そういう英語の研究は結構ある。)


2.  研究という活動に真摯であれ

さて、私は日本のLGBTQIA+スカラーのコミュニティの中で、徹底的な「ジャッジ」にあってきた。ジャッジを日本語でどう言うかは難しいが、「何者かだと決めつけること」とでも言おうか。こちらでは、「人が何者か自体」が多様性を包含しているから、誰かを何者かだと決めつける、あるいは決められると考えること自体を、よくないことだとしている。インターセクショナリティとは、そもそも、そういう複層的なアイデンティティに配慮する考え方である。

一方、私はEMや相互行為分析をする社会学の研究者から(なるほどであるが、加えて「自己論」をやる研究者からも)、私のジェンダーについても、セクシュアリティについても、ジェンダー表現に関しても、パートナーがいるかどうか自体にも、一度も言及されたことがない。私も大概の人の個人的な話は知らない。いくら酒を飲んでも、(自分から言わなければ)話題にも登らない(し、自分から言う場面に遭遇するのは、そんなに多くもない)。

CA色の強い人には、それなりに聞かれたことがあるが、社会学でない学問を基盤にしていないのが理由ではないかと思っている。それに、率直に聞かれるだけで、ジャッジはされていない(そのことは、直感的にも分析的にもわかる)。

それはどうしてか。一つには、上に書いたように「カテゴリーの外挿」という現象に自覚的であるから。

もう一つ、大きな理由だと思うのは、彼らが興味があるのは、データがどのようなもので、それはどういう風に分析すると妥当で、それをどのように使って論文を仕上げると良いかであること、加えて、そのためにはどういう方法論が、調査が望ましく、それはどういうものであるのか、それら自体だからだ。

「教授と書いてドカタと読む」世界を生きている同胞によるなら「純正社会学」を志す人たち。彼女の別の言い方では「生きるために社会学をやっている」人たち。もちろん自分のために他人のことを利用するのとは全く違う。聞き取る人たちの世界で共に生きている。かつての私のように。おのずと聞き取りもワンショットではない。

加えて3つ目に、性別に関わらず、基本的にフェミニストである。あるいは、フェミニズムをリスペクトしている(それが私にとってはフェミニストということなのだが)。そのため、人を性別で区別することを、なるべく避けようとする。すなわち、区別は差別の可能性を常に孕むことに自覚的である。(これについては、秀逸な江原の論文がある。)

以上によって、私には、もっとも楽で、そして徹底的にフェアな人びとである。

(なお、私はトランスジェンダーのフィールドでも、私のジェンダーもセクシュアリティも、ジャッジされることは、かつては滅多になかった。特に東京では。なぜなら、ジェンダーアイデンティティやエクスプレッションが可変的であること、明らかでないことがあり得ることを、自分自身の経験を通して知っている人たち、だからである。)

クイアセオリーを先行研究とするスカラーの皆さん。私のことをジャッジするのも、いい加減にやめて欲しいけれど、この点についても考えてほしい。もし分析しようとしている現象にジェンダーやセクシュアリティが織り込まれているなら、その織り込まれていること自体が析出可能なはずだ。

社会学が科学であるのは、評価の基準が、研究の外側にキチンとあるから、である。ここでの科学性とは、エビデンスベースドであること、すなわち他の人にも検証可能という意味だ(あまりに雑で哲学者に怒られるだろうけど、ともかくは)。その点で、社会学は文学とは違う。評価の基準が外にあるというのは、人権がどのようなものか自体を、議論の外に置く人権運動と、構造上同じだ。その構造は、アンチに巻き込まれることなく、正当性の主張を可能にする。

こういうことを言うと、上からだ、と言われる。でも、そうやってまず防衛しようとする前に、自分たちの問題点を認めて、改善したらいいと思う。それから、上からだと言ったって、遅くはない。私がこうやって、今だに説明を繰り返すのは、分かったほうが全体にとって得だと思うからだ。しかし、上からだと私をガンガンに叩いて、後から改善するなら、それはまさに、私が逃げた「出る杭を打つ日本社会」においての常套手段、そのものである。


さてさて、次は『「客観的な研究」vs「当事者研究」という紋切り型から脱却せよ』ですかね。つづく。


活動支援のための、500円ドネーションをお願いいたします。
フォローもしていただけますと幸いです。
サポートの送付も大歓迎です。

ここから先は

17字

¥ 500

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?