泣けない、あるいはエモーショナルインテリジェンス

怒ろうとしても、笑ってしまう、という話は、昨年の夏とか秋には、既に書いた記憶だ。アートセラピストに、動きながら感情を表出するワークをしてもらって、その時の経験に基づいて、書いたんだと思う。

そして、私には泣くのも、ものすごく難しい。24年間のトキシックな関係の終盤で、どんなに泣いて頼んでも、どうにもならない、という経験を嫌というほど繰り返して、疲れ果てて、もう誰にも何も頼めなくなった。それ自体忘れていて、とにかく、泣きたくても泣けない、って思っていた。

ともかく、私はふつう泣くだろうというところでは、ほとんど泣けない。なのに、ものすごく涙もろくて、そんなところで、しかも人のためにとか、何かに感動したとか、良い音楽聴いたとか、そんなんで泣くか?というところでは、ぽろぽろ涙を流したりする。

意味不明だし、時々表情が全くなかったりするし、何だけれども、私の感情はかなり複雑で、エモーショナルインテリジェンスは、高いらしい。

それについては、別に書くけれど、とにかく、練習中。

きちんと自分の感情を抑え込まないで、押し込めないで、飲み込まないで、ミュートしないで、

ボリュームを調節しながら、きちんと感じて、慣らして感じられるようにして、ちゃんと表出して、リリース。

怒りも悲しみも喜びも、健全。

それを使って、人をコントロールするのは不健全。

私は、自由に泣いて、人をコントロールするルームメイトが、憎い。その自由さが、奔放さが、羨ましい。それに巻き込まれたくない。

そうして、彼女が泣き、わめき、怒る一方で、

私は何も表出しない。

私は感情で人をコントロールしようとするのも、コントロールされるのも、拒絶する。

私の感情は、私のもの。

今は、私にはとても大切なことだ。

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