「置き場」第2号を読んで②
第2号公開からだいぶ経っちゃった……。
↑「置き場」第2号のリンク等はこちらからよろしくお願いします。
今回も第1号のときと同様にとくに好きだった歌を引かせていただき、簡単で恐縮ですが感想を書かせてください。
こちらも敬称略ですみません。順はたぶん同じのはず。もし何かご指摘等あればお知らせください。よろしくお願いします。
ふふってなりました。そんなことあるかいと思いつつ、「響く」と「可能性」が公園をうにょんと広げているように感じられて面白かったです。ひろき!
これは第0号からの続編なのかしら。そのときの連作以上に、なんというか、言葉と遊んでいるような感じがして楽しかったです。
3も(もしあるなら)楽しみです。
祈るときってやっぱり胸の前で手を合わせたり組んだりするのを考えます。けどこの祈りはそういう神仏に捧げるものではなく、もっと柔らかいというか、心の中で直接語りかけるようなかたちで思っているように感じました。上句のゆったりしたリズムが効果的なのだと思います。
「翳した手」、つまり組んでいないその手が「あなた」への庇になっている感じがして、祈りの美しさに惹かれました。
なんかめっちゃ嬉しい歌でした。関係が(たぶん)良好だからこその「秒」。その様子はまさしくラリーで、前からきた歌とつながりあっています。ピンポンの語と響きの持つ軽妙さも調和して(そういえばLINEの着信音もポォンとかピロンって感じだ)、軽くも楽しい歌だと思いました。
本当、なんでピンポンなんでしょう。音かな。
どんな霧だろうと検索したら、佐用町という地名があって、そこは朝霧が有名なんだとわかりました。すごい。写真で見ただけですがとてももわもわでした。
「通学路」なのでそれが歩く人びとにとっては日常なのですが、やはり「春」という一字が効いていて、「懸命に手探り」で進む様が新年度の不安やそわそわを思わせる、景と心がマッチした歌だと感じました。
つまりただ暗い部屋にいるシチュエーションだということなのですが、その設定がとても惹かれます。歌わないカラオケ……例えば楽器演奏だったり、映像鑑賞会だったり、または終電を逃して宿代わりに、など色々な想定ができますが、わたしはそのどれでもなく、ただ周囲の喧騒のなかでしている一服だったのだと思いました。
後ろに恋にまつわる歌があることから、それが逢瀬の瞬間にも思え、燻らせる煙の儚さをより実感するようでした。
こういう約束(宣言?)、すごく好きです。なんか泣きそうになるし、信じたくなる。
人間のなかにある死者の国の情報って大抵この二択に留まっていて、それは生きている間に宗教的・倫理的な善行を積ませるためのものだとわたしは思うのですが、主体はその二択を回避して良すぎも悪すぎもないソーソーな地を作る、この軽やかさと「来て」と言える関係があることにグッときました。
「死んだあと」の話なのにこの明るさ、「真ん中のあたり」というほど良いアバウトさが作り上げている雰囲気な気がします。
まじでずっと何の話してるの? と思いました。めっちゃ面白かった。
みんな、普段我々(って言うのも面白いけど)には無い単語、無い語彙で話している、マルチバース的な世界観。でも言っていることはわかるから価値観はそこまで違いがないのかも。混沌を感じるのではなく、他の秩序を見せてもらっているような。
・守野大翔の略し方とかわかる。実は居たりして。
・ナジュるはラ行五段活用かな。というかJKって語彙はあるんだ。
・てか「双現論」て結局何?! かっこよすぎる。
という、ありそう感が絶妙でした。
初読時、下句の長さが目に留まりました。字数ではなく、やけにやけに長い時間に見えたのです。ひらかれている文字が特に関係しているかもしれません。
「二重に」施錠することは防犯性を高めるという意味で、つまり巷にそういう犯罪があること、自分が被害に遭う可能性がゼロではないことを示唆しています。人がみな善人ばかりでないことを知っていなければならないということも。そういう意味で、「鈍いつめたさ」は鍵にかかってもくるようで、主体の思考とも連動しているのではないかと感じます。ゆっくり、時間をかけて伝わってくるような。
概ね四年に一度来るうるう日を分母に加えたとき、「さみしさ」の総量に増減があるのかという、視点の置き方が面白かったです。その答えは日々の予定を書き込むための手帳を「閉じる」という行為に収束していると思います。
たった一日といえど、卒業という節目を前にして主体が過ごす時間は貴重で、その場面設定と主体の心の動きが過不足なく伝わる連作でした。
巧みでありながらとても実感のこもっている歌だと思いました。この「両手」はきっと胸のあたりで気軽に見えるよう小さく振っている気がします。
通常、両手で振るのは気持ちの表れと等しく、限りなく大きくするものだと思うのですが、おそらくもう会うことのない別れを前に、「できるだけ」気持ちをセーブしている様子、その景が真に迫ってくるようでした。連作最後の歌も温度を持っていて、これまでの余韻をじんわりと思いました。
風のもつ匂いや湿度によって思い出される記憶、その部屋や「あなた」のことを知っているからこそ灯るたしかな実感があって、風、ひいてはあなたに対する主体の好感がこちらまで伝ってくる思いがしました。
「うつすら」のやわらかさ、「寄り道」のおっとりした感じ、語のそこかしこに春めいた様子が浮かべられ、なんとも心地よく思います。
ばあちゃん、それはだめだろと思いつつ、「早足」のコミカルさと、後半へと進行していく思い出の明るさが良くて素敵でした。
「キャッツアイ」といえば泥棒で、こう描けば許されるわけではないのだけれどやっぱりフィクションめいて見えて、ばあちゃんの魅力がより一層引き立った感じがします。
全然余談ですが、わたしはばあちゃんに弱いのでちょっとうるっときた連作でした。
今回読んだなかで一番好きだった連作かもしれません。景を追いながら繰り返される温度のモティーフ、ひかりの加減がとても印象的でした。
自身も「いのち」を持っているからこそわかる湿り気、「凶暴」だと感じるのは、ここが人よりも植物のほうが多く、密度に圧倒されているからなのかもしれません。閉じられた空間の熱気と、触れそうな距離にあるいのちたち。「天国」の歌があるように、どこか聖域めいた様子を思い描く、とても美しい歌群でした。
熱いものを冷ますとき/冷たいものを温めるときに吐く息の温度って実は同じなんだって話を聞くとき、いつも嘘だぁって思うのですが、この歌にも似たような感覚を持ちました。
言ってしまえば息の勢いとか吐き出すときの唇の形の違いで、成分自体は同じなのですが、そこに乗ってくる気持ち・思いにも違いがあるんだという、そういう熱を見たような気がします。
ドモホルンリンクルやないかと思いつつ(すみません……)、あの点々と落ちてくる様子をじっと見る時間って本当そんな感じだよなという気持ちでした。その薬剤と自分の身体がうまく結び付かず、どこか他人事というか。
タイトルから一時的な入院だと分かるものの、この歌や連作のところどころで見える空元気っぽさを思うと、人の心身の保ち方やそこから溢れる不安をじんわり考えてしまいました。
すごくいいなあと思いました。初句七音がとても効いていて、つんのめるような語気から来る否定のことば、それも正体が無いようでいて、どこか解ってしまう内容に惹かれます。
相手がいて、その人の発したことに向ける反論なのだと読みましたが、特に「神話」は種族や自然の都合を押し付けた話が主であるため、この歌の文脈においてぴたりと嵌っていると感じました。
以上となります。
いつも、自分って語彙ないなと思いながら、でも読んで何かを喋りたくなって書いています。加えて今回はほとんど衝動的だったので言葉足らずだったらすみません。楽しかったです。
読ませていただき、読んでくださりありがとうございました。🪿
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