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韓国の田舎を旅する方法〜慶尚北道チョンソンの農家さん〜帰国日

いつも通り朝起きて、みんなでアジュンマの作ってくれた朝ごはんを食べる。

帰国日はチュソクの1日目。
バスで空港まで行こうと思っていたけど「大邱方面の親戚の家に行くから空港まで送ってあげるよ」との事なのでアジョッシとアジュンマのお言葉に甘える事に。
みんなと少しでも長く一緒に居られるのが嬉しい。

飛行機は午前11時大邱空港発なので9時前には着きたいと言うと、そんなに早く着かなくても大丈夫だとアジョッシ…。
若干不安に思いながら私はスーツケースとリュックに無理やり増えてしまった荷物を詰め込みながら荷造りし、みんなはアジョッシの親戚の家に行くのでオシャレをし身支度を整えていました。

結局9時には着けなさそうな時間の出発になってしまったけど、アジョッシの言う通り道はガラガラで順調にスイスイと進んでいました。

車の中、アジョッシとアジュンマは特に喋らず、後部座席の私たちはどうでもいい話をダラダラとしていた気がします。
話の内容は全く覚えていないけど、エスターとアイリーンの話にうんうんと相槌を打ちながら、もっとアジョッシとアジュンマも交えて話たい、と思っていた事だけは覚えています。
葡萄の産地でもあるチョンソン。
葡萄畑の看板をぼんやり見ながら、滞在中この看板を何回見たっけな、と考えていた。

渋滞に捕まる事もなく、思っていたより早くついてしまった大邱空港。
車のトランクから荷物を出し皆んなが車から出てお見送りしてくれる。
アジョッシはスーツを着、アジュンマもエスターもアイリーンもお化粧してピカピカの服を着ているのに、見送られる私だけ大荷物抱えて普段着と言うのが何だか可笑しい。

一人一人とハグをして、「元気でね」「頑張ってね」「連絡してね」と声を掛け合う。
アジョッシとアジュンマは「また必ず遊びにおいで」と言ってくれて、私はみんなに見送られながら空港の中に入って行きました。

大阪行きの飛行機はどこも長蛇の列なのに、東京行きはガラガラ。
秒でチェックインが済み、見るところもないのでベンチに座りボーっと携帯の写真を見たり仕事の連絡を返したりしていました。

成田空港に着いた時はまだ帰って来た実感がなかったけど、東京駅で空港バスを降りた瞬間に「あぁ本当に東京に戻って来ちゃった」と肌と匂いで現実に連れ戻される。
韓国で健康的なご飯を食べていたからか、普段は食べないジャンクでファットな物が食べたくなり、何年ぶりに東京駅のマックで腹ごしらえをして家路につきました。

休む間もなく次の日から仕事。
韓国へ送り出してくれた同僚達に感謝しつつ、満足するどころか次はどこの地方に行こうかしらとすでに考え始めていたのです。

その後のホスト、エスター、アイリーン。
アジョッシ、アジュンマとは1年後に再び会う事になります。
その時の事は改めて。
今でも節目には連絡を取り合い、早く遊びにおいでと言ってくれます。

エスターは音信普通。
この時精神的に少し不安定だったエスター。
恋人との別れやニューヨークの家の事など考える事が多かったからかもしれません。
1年後くらいに一度カカオで連絡を取ったけど、その後アカウントは消され今は連絡先はわかりません。
元気でいると信じて!

アイリーンは私が帰国した翌日に釜山へと旅立ちました。
その後日本、台湾、マレーシアとアジアを旅してオランダへ戻りました。
アイリーンとはSNSを通じて今もちょくちょく連絡を取り合っていて、2019年に東京で再会しました。
国は違えど同じ飲食業界で働く者同志だったので、話が合ったのかもしれません。
出会った時はお互い夜遅くまで働いたり、忙しくて当たり前な日々を過ごしていましたが、彼女は現在アムステルダムの植物園の中のレストランで健康的に働いていて退勤時間は18時。
写真で見るだけでもとても素敵なレストランで、いつか必ず食べに行きたい場所です。

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