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優生保護法と「障害のある親御さんへの子育てサポート」と「生まれてきた子どもの権利」(知的障害のきょうだいがいらっしゃる方からのご質問と私なりのご回答)

いただいた大切なご質問

質問箱を通して、知的障害のきょうだいがいらっしゃる方から、下記のご質問をいただきました。

どうもありがとうございます。

大切なご意見です。お時間をかけて考え、書いてくださったことが伝わる文章なので、全文を掲載させていただきます。

ーーー質問引用ーーー

きょうだい児です。知的障害を持つきょうだいがいます。


藤木さんの書いたnoteを読みました。手術を受けた人の心や身体の痛みを想像するとこちらも辛いです。

優生保護法を否定したその先の話を私は聞きたいです。

主に出産後の支援です。また、前提ですが私は子どもを産むためには最低限の金銭的余裕は持つべきという考えです(裕福でなくとも、子供の衣食住を揃えるくらいはできる余裕を指します)。

優生思想が根絶され、産みたいと思い、子を迎えられる準備(先ほども書いた最低限の金銭的余裕など)が整ったら誰でも産める社会になったとします。

しかし、現状では障害やその他疾患がある親の子育てをサポートする仕組みが不十分ですよね?私はそう感じています。

訴訟ももちろん大切です。しかし、産んだ先のサポート、そこを改善しようという動きは進んでいるのでしょうか?

ここからは私個人の感想ですが、周りの障害と縁もゆかりもない人の中であからさまな障害者差別をしている人はあまり見当たりません。

しかし、「障害者が子供産む権利を奪われることはひどいけど、どうせ育てられないからあの法律は仕方がない」と言った考えが多い気がします。

その「仕方ない」を許容した先にはまた優生保護法が待っていると思います。

障害者が子供を産んだ後のサポートが充実しないとその「仕方がない」は消えない気がして、つまり優生思想がなくならないと思います。

もし藤木さんが障害や疾患を抱えた親に対する子育てサポートについて何かご存知であれば教えていただきたいです。

ーーー質問引用終わりーーーー

私なりのご回答

大切なご質問どうもありがとうございました。

障害のある親御さんをもつお子さんの立場からの声

実際、障害のある親御さんをもつお子さんの立場の方からは、今回の裁判をきっかけに、

自分が生まれてこなかったとしたら悲しいというご意見も、

生まれてきて苦しいというご意見もいただいています。

障害のある親御さんへの子育てサポート、お子さんへのサポートの必要性を痛感します。

※追記(2019年4月12日)

障害者権利条約でも「親の産む権利、育てる権利」だけではなく、「親の養育責任とそれを果たすための支援」「子の権利は至上」との記載があります。が、ここでの「子」(障害の有無に関わらず)は、「障害のある親御さん」よりも、さらに見えにくく、声も出しにくい立場にいる場合が多いことは、ひとつの事実です。

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障害のある親御さんの子育ての状況

弁護団の中には、かつて知的障害のある親御さん同士の間に生まれたお子さんを”みんな”で育てた経験がある者もいますが、稀なケースだと思います。

特に知的障害の方の場合は、ドラマ化された漫画「ひまわり」もそうでしたが、祖父母にあたるご両親(おじおばにあたるきょうだい)が大きく関わっている例が多いと感じています。

ご質問の障害や疾患を抱えた親に対する子育てサポートに関しては、障害年金の子の加算の他には、下記のような状況だと私は理解しています。

自治体が行っている一般の子育て相談、教室、地域の子育てサークルなどの子育てサポートに(必要があれば何らかの合理的配慮を受けて)積極的に参加している方もいます。また、各障害種別ごとの相談機関、情報提供施設等で子育て相談、教室などを行っている場合もあります。

ニーズに対してサポートが少ないという面はもちろん、障害のある親御さんご本人や周囲がそのようなサポートの存在をご存じかどうか、ご存じでも実際にサポートにつながれるかどうかで、大きな差があるのが現状です。

優生保護法の裁判の傍聴に来られる障害のある方で親御さんの立場の方は、福祉、人のつながりなどありとあらゆる方法を駆使して子育てされている方が多いかと感じています。

子育てサポートのニーズについては当事者である障害のある親御さん、またお子さんから出るのが望ましいというもどかしさは代弁しながらありますが…。

優生保護法を否定したその先に「仕方ない」はなくなるのか

正におっしゃる通り「優生保護法を否定したその先」に「仕方ない」はなくなるのか。

つまり「裁判の目的である強制不妊手術に対しての謝罪と補償を達成した後、社会はどう変わるのか、優生思想は本当になくなるのか」という問い、理想と現実の間の揺れが自分の中にあります。

それと向き合いたいというのが私個人の弁護団に参加した理由です。

現段階で私が感じていることですが、優生思想の課題は永遠の課題だと感じています。

障害のある親御さん、お子さんへのサポートも、きょうだいへのサポートもその充足に伴い前進していくとは思いますが、優生思想の克服は少なくとも私が生きている間は一生続く永遠の課題かなと感じています。

小さな一歩でも前に進めるように、裁判をきっかけに多くの方と一緒に考え、行動できたらと思います。

今回は大切なご質問をどうもありがとうございました。

できるだけ多くの声を紹介していきたいと思いますので、ご体験やご意見等はこちらにお願いします。



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