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今さら~母の告白「私が、W(妹)をちゃんと普通に産めなかったことは、一生消せないんだよ」~(還暦SODA、聞こえるきょうだい③)


SODA(ソーダ、聞こえるきょうだい)の体験。今回は「今さら」というタイトルで鈴木浩さん(還暦のSODA、兄の立場、妹がろう者)に書いていただきました。第3弾です。

鈴木さんからは、「少しキツメかなと思いましたが、家族が向き合う大事さを早く知ってもらえたらと。きょうだいは、死ぬまできょうだいですよ。逃れることはできません。ただし、関係性は変えることができます。」「いろいろ『語りたい』気持ちがありますね。」という大切なメッセージをいただいています。

私が、小中学生から関わらせていただいている現在10代後半や20代のソーダも「きょうだいのことはどうでもよくなった」と前向きな意味で言ってくれていて、話せる場=離せる、外に出せる場の効用と今回の「今さら」への共感に少し重なります。

母の告白、還暦の私が「何を今さら」と「思えた」のもSODAの皆さんと交流をし始めたから

左が父、右が母

 父が施設に入所し、母と二人で話す機会が増えました。父は、母がそばにいないとダメな人だったので、母と二人きりで話す機会は、これまで少なかったのです。

 先日、母が、「私が、W(妹)をちゃんと普通に産めなかったことは、一生消せないんだよ」と言いました。その時私が思ったことは、「何を今さら」です。

 こんなふうに「思えた」のもSODAの皆さんと交流をし始めたからだと思うのです。母はこれまで、私に、先述のような思いを語ることはありませんでした。

 妹を極端なほどに可愛がり、私には自立を促してきた、そういう育て方をされてきたということは分かっていましたが、原罪のように思って生きているということを吐露したのは初めてでした。母はたぶん誰にも言ったことはないと思います。

 「何を今さら」というのは、私も60歳を過ぎ、私の家庭も終盤に入って、「今さら言われても」という感じなのです。もし、私が18歳とか20歳のときに、母の思いを聞いていれば、もう少し違った生き方ができたと思うのです。あるいはせめて、私が結婚をし、子どもをもうけたぐらいに聞いていたら。というのも、私自身の家族は、母のその思いのせいで、大きな歪みをもってしまったということがあるのです。

「それもまた人生」 人生終盤、気張らずに、きょうだい、SODAを生きようと

 そもそも、この話になったのも、「固定資産税を誰が払うか」という「お金の話」で揉めている中でのことでした。揉め事の多くは残念ながらお金です。そういうことが、うず高く積みあがって、家族というのは現在に至るわけです。小さな波を被る度に、家族は歪んでいくのです。母の気持ちをもう少し早く私が自覚していれば、都度の対応も変わっていたはずなのです。

 私は、もう、こういう家族であることに諦めがついているし、「それもまた人生」と達観していますけれど、私のつれ合いや子どもたちには、本当に申し訳なかったと思っています。

 今、SODAの皆さんと接する中で、これまでとは異なる視点で自分を見ることができています。新しいアイデンティティーを獲得したという感じです。人生終盤、気張らずに、きょうだい、SODAを生きようと思いました。

SODA、聞こえるきょうだいって?聞こえないきょうだいをもつSODAソーダの会

鈴木 浩(ゆたか) さんプロフィール


1963 年 横浜生まれ 妹は全聾。妹の配偶者も全聾。
1986 年 中央大学文学部史学科卒
同年より、横浜市立中学校の社会科教諭として勤務
4月より再任用となる。
共著『教室から学ぶ法教育』『教室から学ぶ法教育2』など

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追記:2024年9月現在は①~④まで掲載しています。


「きょうだい」がいつか辞書などにも載るコトバになりますように!!