「大丈夫だ。安心しろ」と言われても。そんなにすぐには信じられない。
それが原因で手ひどい目にあったという体験談を知っている。裁判にもなった。裁判は長引いていて、仮に勝ったとしても受けた被害がもどってくるわけじゃない。
自分は大丈夫だろう。でも、自分の大切な人が被害にあうかもしれない。
そんな状況に置かれたら、誰しも自分の大切な人をその場からできるだけ離すという選択を取るだろう。
今日のコラムは複合汚染の話だった。単体ではなんてことのないものが環境によって絡み合って結果として毒になる。それは最終的には人体にも悪影響を及ぼすような毒になるんじゃないかという話だった。
公害問題が裁判沙汰になった当時だろうし、そんな疑念をもってしまったら、自分が食べているものを疑惑の目で見てしまうのも仕方ないのかなと思う。
「話題になっている公害だって、最初は大丈夫と言われていたんでしょう?」と言いたくなる人も多かったのではないかと想像した。
一度、「信用できない」「最悪を想定しないと痛い目を見る」と覚えてしまったら、なかなか信頼できないのが人というもの。
自分たちで安全の証明ができないなら専門家に判断を。と思っても専門家も政府もだんまり。当時の意識高い系の人は困っただろう…。
「確実にこう言える」というには長い歳月がかかるのはわかる。長い歳月をかけたところで「確実に」とはいえないだろうことも想像できる。
でも、「信用」してもらいたいなら、情報を小出しにするような努力だって必要なんじゃないかな。
ある日突然「結論はこうです。信じてください」なんて言われても、すぐには信用できないものなんだから。
読んだコラム
「こどもの日に思う」
思ったことを箇条書きに
複合汚染、何の話かと思ったら沈黙の春(レイチェル・カーソン)みたいな話だった
最近もベジシャワーっぽい何かの話で盛り上がったけど、この当時は結構深刻な話だったらしい
そういう時代があったから、今は安心して野菜が食べれるわけだけど…。
そういうのを知っているからこそ慎重になる人もいるんだろう。それで野菜を洗うただの水が売れるんだろうなぁ。
過去に手痛い目にあうとどんなに大丈夫と言われてもなかなか信じられないのも人ってもんだしな。
それに違和感の正体を確かめるために長い時間がかかる。「何か妙だ」だけでは「それは確かにおかしい」とはいえない。「確かにおかしい」というには責任が伴う。
未来に責任を持つ大人の日としてのこどもの日。私は何をのこしてやれるだろうか。
自分の主張を決定
「大丈夫だ。安心しろ」と言われても。そんなにすぐには信じられない。
材料を書き出す
それが原因で手ひどい目にあったという体験談を知っている。裁判にもなった。裁判は長引いていて、仮に勝ったとしても受けた被害がもどってくるわけじゃない。
自分は大丈夫だろう。でも、自分の大切な人が被害にあうかもしれない。
そんな状況に置かれたら、誰しも自分の大切な人をその場からできるだけ離すという選択を取るだろう。
今日のコラムは複合汚染の話だった。単体ではなんてことのないものが環境によって絡み合って結果として毒になる。それは最終的には人体にも悪影響を及ぼすような毒になるんじゃないかという話だった。
公害問題が裁判沙汰になった当時だろうし、そんな疑念をもってしまったら、自分が食べているものを疑惑の目で見てしまうのも仕方ないのかなと思う。
「話題になっている公害だって、最初は大丈夫と言われていたんでしょう?」と言いたくなる人も多かったのではないかと想像した。
一度、「信用できない」「最悪を想定しないと痛い目を見る」と覚えてしまったら、なかなか信頼できないのが人というもの。
自分たちで安全の証明ができないなら専門家に判断を。と思っても専門家も政府もだんまり。当時の意識高い系の人は困っただろう…。
「確実にこう言える」というには長い歳月がかかるのはわかる。長い歳月をかけたところで「確実に」とはいえないだろうことも想像できる。
でも、「信用」してもらいたいなら、情報を小出しにするような努力だって必要なんじゃないかな。
ある日突然「結論はこうです。信じてください」なんて言われても、すぐには信用できないものなんだから。
400文字程度の文章にまとめる
推敲して、ロジックを整える
使っている本の紹介
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やり方が掲載されている記事
文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。
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