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多数横暴も必要悪?信じる正義が本当に正義かは後にならないとわからない

「未来のためだ。犠牲になってくれ。君たちの意思は関係ない」なんてセリフにしたら、なろう小説っぽい感じになりますね。
多数派が強引に少数派の意見を封じ込める話です(6月4日にこの話をするのはたまたまです。ほんとうに)

今日読んだ昔の天声人語は、防衛二法案、国鉄法案の暴挙についての天声人語だったのですよ。少数派の意見を亡き者にして進めた横暴に苦言を呈するものでした。

暴挙と書かれてはいるものの、後世になっても可決された法案のことは「必要なものだったし、可決のための必要悪であった」という話になっているのでしょう(調べもしないでいいますが)

必要悪というものもあるのかもしれないけれど、「もし、まともに審議をしていたら」のif世界を見れない以上「必要悪だった」かどうかは断言できないと思ってます。できることなら、審議を尽くすべきとも。

身近にある似たような話で「今はつらいかもしれないけれど、これは後の(組織・あなた)にとって必要なつらさだから」というものを思い出しました。

「そんなつらい経験は不要」と感じている本人を無視して進められるあれこれに嫌気がさし、組織を去る選択を取った人のことも。

その人が去ることも含めて「必要悪であった」というものだけれど、本当にそうだったのかなと今でも思います。「それが本当に組織に自分にとって必要なのかわからない」という相手に誠実に説明できないことも必要悪だったんでしょうかね。

去り行く人の背中に向けて「根性がない」「組織の裏切り者」と罵声を浴びせていたけれど、自分たちが正義と信じている人たちは時として暴徒になるの典型だなとも思うのです。

疑いもしない正義が本当に正義かどうかは後になってみないとわからないものと思います。それを指摘したところで、「必要悪」「正義はわれらに」とい人達の耳には届かないのでしょうけど。

読んだコラム

「少数派」

思ったことを箇条書きに

民主的な討議とは。

少数派の批判にたえられるかどうかが試される過程。それを受ける覚悟のある多数派はどれくらいいるのか。

賛成する側も反対がもルールに従わねばならない。
そもそもルールはあるのか。。。

「参院議長をして「暴挙だ」といわしめるほど弁解の余地のないもの」それに似た状況を作ってはならないんじゃないかな

多数横暴かぁ…。

暴挙をしてでも可決させたそれらは今どうなっているのかも気になるところだ。

多数横暴も必要悪?不可逆な世の中でなぜ断言できるのか

自分の主張を決定

多数横暴も必要悪?信じる正義が本当に正義かは後にならないとわからない

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防衛二法案、国鉄法案の暴挙についての天声人語だった。

少数派の意見を亡き者にして進めた横暴に苦言を呈するものだ。
可決された法案のことは「必要なものだったし、可決のための必要悪であった」という話になっているのだろう。

「もし、まともに審議をしていたら」のif世界を見れない以上「必要悪だった」かどうかは断言できないだろう。

似たような話で「今はつらいかもしれないけれど、これは後の(組織・あなた)にとって必要なつらさだから」というものを思い出した。
「そんなつらい経験は不要」と感じている本人を無視して進められるあれこれに嫌気がさし、組織を去る選択を取る人もいた。

その人が去ることも含めて「必要悪であった」というものだけれど、本当にそうだったのか。「それが本当に組織に自分にとって必要なのかわからない」という相手に誠実に説明できないことも必要悪だったのだろうか。

去り行く人の背中に向けて「根性がない」「組織の裏切り者」と罵声を浴びせる側は自分たちが正義と信じているのだろう。

しかし、疑いもしない正義が本当に正義かどうかは後になってみないとわからない。


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  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。

アイキャッチ画像は、wrtn を使って生成しています。


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