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風刺やジョーク、場違いな場所で話すと痛い目を見る。

風刺やジョーク、場を考えずに「これくらい通じるだろう」と高をくくって発するとだいたい失敗する気がする。

痛烈なものであればあるほど、冗談だと思わず真に受けた人たちの批判がすごいことになるからだ。
「批判を覚悟の上」であったとしても、激しい攻撃にメンタルが耐えられない。

ネット社会でAIも発達している「今」だ。「もしかして、風刺のつもりか?」と思えば調べようはいくらでもある。でも、反射的に「こいつの言っていることはけしからん」と怒り狂う人にはそんな余裕はない。

「実はジョークだったのです」とネタばらしをしたところで、そういった人たちは「ジョークにも気づけなかった自分」を隠したいがために攻撃を激しくする。

ちょっと場を和ませようと思っただけなのに、そんなしんどい思いをするのは耐えられない。

今も昔も、ジョークを言うには場を選ぶべきということなんだろう。
そういう場を選ぶセンスもジョークをいうためには必要ってことだ。

読んだコラム

「続・盗聴テープーユーモア」

思ったことを箇条書きに

わざわざ種明かしをしなければならないむなしさよ

「あの冗談は冗談でした」という必要があるというのがまた…。
もしや当時の政府関係者は、天声人語を「そういう事実無根の話しをあたかも事実であるかのようにでっちあげる媒体である」という認識をもってたってことなのかしら?
それはそれでいかがなものなのか。

風刺やジョークがなじみにくかったという側面もあるだろうけれど、それだけかしら…?

自分の主張を決定

風刺やジョーク、場違いな場所で話すと痛い目を見る。

材料を書き出す

風刺やジョーク、誰にでもわかるようにと思うとだいたい失敗する気がする。

それこそ「批判を覚悟の上」でなければ、通じなかった人たちからの批判にメンタルが耐えられない。

今は、ネット社会になったしAIも発達したので、「これって風刺だろうか?」と調べれば元ネタもわかるし、ウソはウソとすぐばれる。

でも、骨髄反射のように「こいつの言っていることはけしからん」と怒り狂う人にはそんな余裕はないだろう。

「実はジョークだったのです」とネタばらしをしたところで、そういった人たちは「ジョークにも気づけなかった自分」を隠したいがために攻撃を激しくする。

ちょっと場を和ませようと思っただけなのに、そんなしんどい思いをするのは耐えられない。

今も昔も、ジョークを言うには場を選ぶべきということなんだろう。
そういう場を選ぶのもジョークをいうためのセンスとして必要ってことだ。

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。

アイキャッチ画像は、wrtn を使って生成しています。


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