人間を”数”で処理する自分に気づいたら、行いを振り返るときがきたと自覚しよう。
対象者全体に対して”たった”0.2%。
パーセントで考えるとすごく少なく感じてしまう。
無視しても大勢に影響はないようにも考えてしまう。
でも、たった0.2%の中身は生きた人間。一人ひとりの人格があり生活がある。
無視することで人権として認められている何かが侵害されるかもしれない。
そのことで生活に支障がでるのかもしれないと思い至れば、うかつになかったことにはできない。
しかし、傲慢さが前に出て思いやりが後ろに下がると容易に無視してしまう。「少ないのが悪なのだ」と無意識に思うのか「その程度のためになぜ労力を割かなければならないのか」という考えが、行動を起こさないという判断につながる。
自分がその少数でないうちは、それでいい。
被害を受けないし、不自由を感じることもない。
見ようと思って観察しなければ、不自由を感じている人のことを感じることもない。
ひょんなきっかけで自分が少数になったとき、後悔するのだ。
「ああ、まさかこんな思いをすることになろうとは」
と。
かつての自分がした「やらない」という判断が、自分の首を絞めるとは想像もしなかっただけに、つらい思いをする。
「そんな、たった数%のために?」
という思いが生じたら、自分が傲慢になっていないか権力におぼれていないか確認すべきときがきたと自覚するのがいいのだろう。
もし、自分が発した「たった数%のために?」に誰も反論しなかったとしたら、それはすでに自分が独裁者になっている証明なのかもしれない。
そうだとしたら、独裁者として倒される日が近いという予言的な意味も持ちそうだ。
読んだコラム
「読唇術」
思ったことを箇条書きに
選挙の立会演説会、手話通訳が初登場したという話だ
今は当たり前にあったと思ったけれど、当時はなかったらしい。
有権者の0.2%にも満たない。とあるけれど、普段CVRが0.1%あがったと一喜一憂している身としてはかなりの%だと思う
人間をパーセントだけで処理してはいけない。
それはそうだけど、ついパーセントで処理してしまうことってあるよね。
だいたい、そういう思考に陥るときは傲慢になっているときで後から(それも数年後とかに)痛い目をみるのだけど。
人間を数で処理する思考になってしまったら、自分の行いや思考を考え直す時なのかもしれないな。
自分の主張を決定
人間を”数”で処理する自分に気づいたら、行いを振り返るときがきたと自覚しよう。
材料を書き出す
対象者全体に対して”たった”0.2%。
パーセントで考えるとすごく少なく感じてしまう。
無視しても大勢に影響はないようにも考えてしまう。
でも、たった0.2%の中身は生きた人間。一人ひとりの人格があり生活がある。
無視することで人権として認められている何かが侵害されるかもしれない。
そのことで生活に支障がでるのかもしれないと思い至れば、うかつになかったことにはできない。
しかし、傲慢さが前に出て思いやりが後ろに下がると容易に無視してしまう。「少ないのが悪なのだ」と無意識に思うのか「その程度のためになぜ労力を割かなければならないのか」という考えが、行動を起こさないという判断につながる。
自分がその少数でないうちは、それでいい。
被害を受けないし、不自由を感じることもない。
見ようと思って観察しなければ、不自由を感じている人のことを感じることもない。
ひょんなきっかけで自分が少数になったとき、後悔するのだ。
「ああ、まさかこんな思いをすることになろうとは」
と。
かつての自分がした「やらない」という判断が、自分の首を絞めるとは想像もしなかっただけに、つらい思いをする。
「そんな、たった数%のために?」
という思いが生じたら、自分が傲慢になっていないか権力におぼれていないか確認すべきときがきたと自覚するのがいいのだろう。
もし、自分が発した「たった数%のために?」に誰も反論しなかったとしたら、それはすでに自分が独裁者になっている証明なのかもしれない。
そうだとしたら、独裁者として倒される日が近いという予言的な意味も持ちそうだ。
400文字程度の文章にまとめる
推敲して、ロジックを整える
使っている本の紹介
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やり方が掲載されている記事
文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。
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