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チャイナとインドの信仰

先日(2024年3月11日)に、話題沸騰(??)の「市民権改正法」施行がインド政府から発表されました。総選挙直前の時期にヒンドゥー至上主義を隠さない…、というよりも煽って煽って劇場型選挙に持ち込み圧倒的勝利を狙う印人党による政権ムーブとしては、納得のタイミングです。
(※ちょっと記事が長めなので冒頭でこのnote投稿のスタンスを示しておきますが、インドの人権問題大変ですね、などと意識高い系のゆるふわで纏める投稿ではないです。)

https://www.hindustantimes.com/india-news/indias-new-citizenship-law-that-excludes-muslims-has-them-worried-here-s-what-it-says-101710229475528.html

当該政策(The Citizenship Amendment Act(CAA))について印人党のツィッタアカウントが元気に宣伝しています。

ちなみにCAAへの直接的批判ではないですが、最大野党の印国議は常々微妙な政権批判をしています(↓)。

印人党モディ政権下で137.5万人がインド国籍を放棄したというもので、じゃぁ長年の印国議政権下ではどんだけウマく政権運営できていたんだ、というブーメランが返ってきそうです。インド国内イスラム教徒への相対的冷遇がいまいち可視化できていません。ただ、このイラストの雰囲気は僕は個人的に結構好きです。映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のオープニングとか「往年のネットFlashアニメ」、アメコミ的な雰囲気のなかに登場するモディ(片手をあげるモディ、逃げる大衆のスピード感がズレてる)。

そもそもこの法案が議論された2019年には、流石に世界中で(日本でも)報道されるほどの「おいおい、インドだいじょーぶかいな?」という状況になってましたが(↓ジェトロが伝える淡々とした記事)、少なくとも先進国を中心とした国々からは2020年から猛烈なコロナ騒動がありましたのでしばらくは着目されないネタになっていました。コロナ禍あけには、インドが2023年G20議長国であったり、G7が厳しく対峙する対チャイナ関係を考慮して、中印紛争を抱えるインドを「敵の敵は味方」ロジックからアゲアゲに扱う「インドのモテ期」があったので、喉元過ぎれば熱さを忘れるでもありましたし、なんとなーく臭いものに蓋をする気配があったわけです。

https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/12/5d3bb8ce326e5403.html

↓AFPの記事より

んで、まぁG20サミット@デリーの後、昨今(2023年下旬)といえば、下記(米英がカナダ支持表明、シーク教徒殺害事件巡るインドとの対立で)のような問題があったものですから、「ちょっと、インドさんをアゲアゲすぎるのヤヴァくね?」みたいな雰囲気も多少でてきてました。

信仰する教典が支える外交姿勢

えーさてさて、僕自身はCAAの一連の議論をみても、人権屋側についているわけでも、特定の宗教側についているわけでも、特定の政党側についているわけでもないもんですから「筋論」を語る立場におらず、「さうですか、さうですか、お国柄でそれぞれ利害が色々ありますなぁ」といったスタンスが基本です。もちろん、この問題はインド内政局にも今後のインド社会にも強く関連するので分析すべき意義が大きくあるのですが、今回は棚上げしておきます。

インドとはコンテキストが異なりますが、多くの日本人にも知られているように宗教に関連した政治的話題はチャイナでも多いです。

https://www.bbc.com/japanese/67493872

北京中央自体は「宗教弾圧をしている」という自己認識ではありません。彼らは、国内共同体・北京中央が領導する国家政体、において「マルクス主義以外の信仰」が超越的に存在する状況は社会安定性の障害であって、この障害を取り除くためにはマルクス主義政体(中共)の傘下に宗教が属することこそ、人民の真の平和的な宗教/信教の自由が保たれる、と想定するので、「我々は宗教弾圧をしているのではなく、宗教を平和的に信仰できる生活ハードウェアを整えている」と、考えます。(※ここでのマルクス主義は、テクノロジー至上主義と置き換えてもよいです。)
ひどく俺様ファーストなお節介なわけですが、北京中央は、宗教弾圧しているのではなく親党化した宗教こそが安定した宗教基盤を創るのでそのために私達は奮闘しているのだという、人民への歪んだ愛情表現になってます。

モスクの上にマルクス主義イデオロギー。ツィッタでバズってた画像(実際の報道内容と合致しているので、おそらくフェイクではないと思うけど、現地を僕が見てきたわけではないのでフェイク画像か否かは知りません)
モスクの上にヒンドゥー教。 とても象徴的な「モスクの上に◯◯」シリーズでの印中対比。相似形。(↓BBC映像から) ※しかしBBCの印中の現政権への人権問題の噛みつき方は狂犬ですね。約200年の時を経て、アヘン戦争の贖罪意識からの逆方向スィングなんでせうか。

https://www.bbc.com/japanese/video-68052590

宗教と政治イデオロギーは別レイヤーで語られることが多いものですが、現代的な国家の戦略的マネジメント資源という意味では同様に扱っても良いかもしれません(特に中共のチャイナと印人党のインドでは)。
宗教と政治イデオロギーを組織DNAとしている中共と印人党が、それぞれの国で執政党の立場にあるので、各14億人を束ねるマネジメントにも使われますし、外交にもその特徴が現れているように思います。

過去の時代から、宗教は国家を超越した普遍的(?)価値でありましたし、政治イデオロギーは前世紀は特に国際社会を二分する(冷戦)ほどの普遍的(?)価値を示しましたので、昔から「中核にいる誰か」にとっては戦略的資源だったと言われればそのとおりです。が、それらの価値が現代国家の制度的意思決定に組み込まれて、あくまでも現有国際秩序を維持した上で(既存の国際秩序破壊を伴わず)、チャイナとインドという大国装置から間接的に外交の枠組みへと広がりを見せ初めているという意味では、より国家指導者にとって扱いやすくマイルドな広がりのある国家的戦略資源に変質していて、過去のそれらとはマネジメント上の性質が違うようです。


これらの国内の「普遍的価値/物語」からの影響を受けた、インドとチャイナの外交姿勢を分析していくことは重要なんだと思います。(彼らの内政は、遥かに強くその影響を受けているわけですが。)

それは、我々(日本)や米国的価値観からみれば異質かのかもしれませんが、彼らの中では整合性がある、ということしょう。

長期的に世界戦略を仕掛ける大国は数少ないわけですけれども、 インドは世界戦略について、「各グループは、みんな理解しあえないよね(ウチのグループは分割されたグループ世界で相対優位を狙うけど)」という多元/多極軸の国内認識を対外的にも持ち出してるところは面白いです。 国内の「解りあえない小グループの利害調整をどうやっていくのか」という認識がそのまま外交姿勢にでてきています。現政権は「プルリラテラリズム(複数国間主義)」という概念をもちだして、複数の小ブロック/小アライアンス展開による最適効率化ドメインを生成した闘いを戦略の根幹としています。
北京中央は、米欧先進諸国影響力が、地理的には地球上の先進国世界に限定され、イデオロギー的には民主主義の軛で自己束縛していくのを眺めながら、地理的にもイデオロギー的にもメタなドメインでの勝利を目指します。圧倒的な大ドメイン(地球も越えた宇宙世界。イデオロギーもモードチェンジ可能な可変要素にすぎない。)の統一的な概念における中核を確立する戦略です。
北京中央の「みんな道程は様々だけど、目指したい繁栄は同じよな。ともに頑張ろうぜ(徹頭徹尾、仕切るのは俺様だけど)」という世界中央ガバナンスによる統一的人類運命共同体イデオロギーによる外交戦略は、国内での100年間に渡る中共マネジメントの成功体験に依ったものです。

インドもチャイナも米欧先進国が構築した国際秩序への批判をエネルギーにしているという点では共通点はみられますが、目的地も推進ルートにも大幅な違いがあるのですよね。




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