コロナ禍だから嘆かせてくれ

 (注:この文章は考えが浅はかな若造が書いたものです、論理的に破綻してる部分や誤字等はどうかご容赦ください)


 コロナ禍と叫ばれ始めてからもうすぐ1年がたつ。この1年は、人類が行動することを人類が許してくれなかった。

 私は今大学1年生だ。もう間もなく進級する。「大学は勉強するところではあるけれど、それと同じくらいいろんな活動ができるから」という友人の言葉は、私に大学受験のモチベーションを与えてくれたありがたい言葉だが、今の私にとってはできれば聞きたくない言葉だ。この1年間で私は何かを成し遂げられただろうか?あと3年間で私は何かできるだろうか?

 今住んでいる部屋にはテレビがないから、私はインターネットでニュースを仕入れる。「コロナが収まるまでには少なくとも4,5年かかる」なんて文言を見かけたとき、私は膝から崩れ落ちそうになった。私はこんな生活で大学生活を終わるのか。友達もできない。サークルもできない。就活もきっと厳しい情勢になるだろう。厳しい受験勉強を乗り越えて、やっとたどり着いた場所に何もないのだ。生きる活力も失った。

 インターネット上で生きるしかない私に追い打ちをかけるように、Twitterのタイムラインやトレンドには暗い感情が漂っていた。政府の対応が悪いだの、ツイデモだの、フェイクニュースだの、陰謀論だの、マスク警察だの、もううんざりだ。暗い言葉はミュートキーワードに入れた。それでも負の感情はその網を通り抜けて流れ着く。最初は見て見ぬふりで無視できたが、何度も目に入ると嫌でも脳裏にこびりつく。そうした感情を自分の中に取り込まないように、あるいは自分の中で増幅させないように、私は頑張って耐えてきたつもりだ。そして発信側にならいように、負の感情は押し殺して呟くことはしないように努力した。クソみたいなネタ(にすらならないこと)はつぶやいたけど。

 だが、これ以上耐え続けるのは厳しい。負の感情を受け続けていると精神的に疲弊する。加えて、いくら私が陰キャでも、1年も他人と関わらないのは耐えられない。これまでできたことが急にできなくなるのは非常に腹立たしい。やりたいことができるのが大学生活だったんじゃないのか。

 

 と、こんなことを言う大学生がいれば「甘えるな」「みんな辛いんだから我慢しろ」「できることはあるだろう」みたいなことを言ってくる大人たちがいる。一つはっきり言わせてもらいたいのは、大学生の感情なんざ当人しかわかんねんだから黙ってろ、自分の感情ぶつけて満足すんな、ということである。

 逆もしかりだ。大人(社会人)たちが頑張ってくれている(はず)なのだから、学生にできるのは応援することと邪魔しないことである。むやみやたらに批判なんてするもんじゃない。

 だからこそ、こんな情勢の中で人々は荒んでいくのだと思う。振り上げた拳をどこにも振り下ろせない、そんなフラストレーションがたまっていく一方なのである。これをどうにか解消する方法はないのだろうか。

 

 さて、話を戻す。大学生活で何もできないのではという不安を私は抱えているわけだ。先日「コロスジェネ」なる言葉を見かけたが、この「コロスジェネ」にあたる学生たちがどのように救済されるべきか、あるいはされないのか、この点についてはどうかしっかりと議論をしていただきたいが、それ以上に迅速な対応を願いたいものである。

 ジャネーの法則というものをご存じだろうか。人間は年を取るにつれて一年の心理的な長さが短く感じられる、というものである。年を取るのはあっという間、というのもこれに関係しているだろう。これに則って考えると、私(19歳)が失ってしまった1年は、大人たちの思う1年とは重みが大きく異なるのである。対応が遅くなればなるほど、これを取り戻すのに必要な時間は長くなっていく。人はいつ死ぬかわからないのだ、悠長なことを考えている暇はない。


 長々と語ってしまったが、私が望むことは3つ。まずコロナの早期抑制。それからその分の補填。最後に、人類がどうか穏やかな心を持つこと。子供のわがままと思われるかもしれないが、この3点は譲る気はない。

 もし今のような情勢が続くようであれば、将来のことなんてとても考える気にはなれない。お先真っ暗だ。今はただ、日常を取り戻させてくれと祈るばかりである。

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