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ショート動画の弊害

最近TikTok ・YouTube shortsなどの短い動画を見る機会が個人的に増えているのですが、そこで気づいた このようなコンテンツに慣れてしまったが故の弊害について書いてみようと思います

まずこれらの動画の特徴ですが、一瞬の操作(1回のスワイプだけ)で次から次へと短いコンテンツが流れてくるというところにあります

とにかくコンテンツ消費の速度がハンパないです

そのコンテンツ消費の速度に慣れてしまうと
テレビ番組や2時間の映画などのスピード感を遅く感じてしまいコンテンツを最後まで見ることなく離脱してしまうことがたびたび起こってしまいます

例えば、テレビ番組はたいてい冒頭で今日の放送の見どころを紹介してくれるのですが、そこですでに離脱してしまうのです

ショート動画ではコンテンツ本編の説明にかける時間は長くても5秒くらい(感覚値)で、そもそも多くはイントロ部分は設けずに開始0秒から本編がスタートします

そのスピード感に慣れてしまっていると、
数分かけるイントロを長いと感じてしまい、手に持っていたスマホを触りだすという感じで離脱してしまうのです

映画にしても冒頭の2分程度は配給会社のロゴなんかでコンテンツ本体が始まらず、さらに人物説明や時代背景の描写にも時間をかけるのでスピード感という点では ショート動画が標準になってしまっている者からすると 遅く感じられてしまいます

もちろん映画というものは2時間かけてストーリー展開していくことを了解の上で視聴する人に向けたコンテンツであるので、それをショート動画の視聴者とごちゃまぜにするのはナンセンスではありますが、
これだけスマホが身近になってしまっていると映画やテレビよりもスマホでの視聴用につくられたショート動画に触れる時間がどうしても長くなってしまい、結果ショート動画のコンテンツ消費スピードが多くの人の普通になってしまう可能性はかなり高いと思います

このようなテクノロジーの発展による影響を受ける可能性はどの分野の仕事にもあるわけで、そうなった時の対処法の1つとして下にリンクした記事がヒントを与えてくれているような気がしたので貼っておきます

この記事は2012年のもので、note(株)のCEO加藤貞顕さんが紙の書籍のデジタル化についてお話しされているのですが、その中での

僕らが〈本〉と呼んでるものの正体は「印刷物というデバイスに依拠したコンテンツ」である(一部変更)(中略)

本来、デバイスが変われば表現のかたちも変わるはずなんです。「デジタルならでは」のかたちにね。
【第2回】コンテンツはもっと自由になれる。

とあるように
あくまで現時点での成果物は現時点での環境内で設計されているものであって、環境が変化すれば成果物も再設計されるべき
という考えは2022年現在でも考慮されるべきポイントだと感じます

テクノロジーが発展し続ける限り、再設計も都度都度行われるべきで
その再設計ができるようになるには下記記事が参考になると思います!!



最後まで読んでくださってありがとうございます!

読んでくれた方の役に少しでも立てていれば幸いです!!
ありがとうございました!

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