『怪傑アンパンマン』読む
熱血メルヘン怪傑アンパンマン を読んだ。
なんのために生まれた琴線
人生の意味はわからない。たぶん。
この本でも答えや結末は描かれない。
そういうものなのだろう。
これまではアンパンマンの歌詞を聴いても、
感動・感慨でも
焦燥・忸怩であっても
深い感情に反応するときは無かった気がする。
しかしながら、
このシリーズを聴き終わったことで、
彼の人生や思想を踏まえての理解が
できるようになったのではと思える。
平和という目的ありきの平和思想とはまた違う。
行動や経験や内省や自問自答のなかで
たどり着いた境地
もちろん平和ありきアプローチでも
違うアプローチでも、
平和を求めていくそれ自体で十分に尊い。
目的ありきでの理解というのは
あえて例えると、
行動を縛る禁則事項のルールについて
なぜそうなっているかその理由を質問した際に、
とにかくダメなんだという返答を
受けたときのような、
ある種の思考の行き止まり感を禁じ得ない。
彼の命題としての思考の一柱をなす
正義の反対は別の正義という認識は、
現代の『判断保留を尊ぶ世界』を生きるうえでも
重要な要素と思える。
他者もまた正義であるとすれば
自分はなんなのか。
一度立ち止まって留保する必要が出てくる。
やなせたかしシリーズを聴き終わると、
『何のために生まれてきたのか』
この文だけで
もはや琴線に触れる体になってしまう。
人間とアンパンの差異
確かにy確かに。
アンパンマンと貴様ら(俺たち)
に大差はあるのか説。
人間もパンと同様有機的物質である。
人間だからこそ心や魂や感情がある、
という説にはジャンプしえないはず。
本来なら。
人間は人間だから人間であり、
アンパンマンもアンパンマンだからそう。
突然マーシャル・マクルーハン
マーシャル・マクルーハンの
社会のバックミラー視の巧妙な直喩。
アンパンマンは未来に見えるかもしれないが
過去そのものであり、
人類の同じ延長線上に存在するもの。
またこのシーンでは、
未来や過去にとらわれると道を見誤る、
今を生きる大切さを意識しなさいと
やなせたかしは説いているのだろう。
(たぶん)
人を助ける喜び
もちろん主題はマゾヒストかどうかではない。
自らの犠牲と人が救われることの天秤において、
後者が勝ったことによる幸福感だろう。
勝者は敗者を生む。
勧善懲悪社会の総和は
ゼロ以上にはならないどころか、
ゼロ未満にも容易になり得る。
パンで人を助けること、
それは総和をプラスにできる
唯いくつかの行為のうちの一つと言えるだろう。
強ディス
俗悪子供番組とは、
勧善懲悪ゼロサム量産文化への反対命題。
影響?
自分の生存よりも、
誰かを助けることを優先する尊さ。
そしてこれ(食べられ恍惚)に
影響を受けつつも
シニカルに表現しなおしたのが
チェンソーマンのあるシーンでは、
と思った。
相手を殴ると自分も傷つくことを、
他の作品でも意識的につかっているのに
なぜアンパンマンたちに殴らせるのかと
少し引っかかっていた。
これを読んで理解する。
パンのパンチはいたくないのか。
想像以上に論理が一貫してる。
去年企画展やっていたらしい。
行ってみたかった。
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