見出し画像

『怪傑アンパンマン』読む

熱血メルヘン怪傑アンパンマン を読んだ。

なんのために生まれた琴線

“アンパンマンは考えた。
「なぜ、ぼくは生れ、なんの為に空を飛んでいるのだろう、何にむかって、何を求めて? それがぼくには、まるでわからない」”(P7)

熱血メルヘン怪傑アンパンマン

人生の意味はわからない。たぶん。
この本でも答えや結末は描かれない。
そういうものなのだろう。

これまではアンパンマンの歌詞を聴いても、
感動・感慨でも
焦燥・忸怩であっても
深い感情に反応するときは無かった気がする。

しかしながら、
このシリーズを聴き終わったことで、
彼の人生や思想を踏まえての理解が
できるようになったのではと思える。

平和という目的ありきの平和思想とはまた違う。
行動や経験や内省や自問自答のなかで
たどり着いた境地

もちろん平和ありきアプローチでも
違うアプローチでも、
平和を求めていくそれ自体で十分に尊い。

目的ありきでの理解というのは
あえて例えると、
行動を縛る禁則事項のルールについて
なぜそうなっているかその理由を質問した際に、
とにかくダメなんだという返答を
受けたときのような、
ある種の思考の行き止まり感を禁じ得ない。

彼の命題としての思考の一柱をなす
正義の反対は別の正義という認識は、
現代の『判断保留を尊ぶ世界』を生きるうえでも
重要な要素と思える。

他者もまた正義であるとすれば
自分はなんなのか。
一度立ち止まって留保する必要が出てくる。

やなせたかしシリーズを聴き終わると、
『何のために生まれてきたのか』
この文だけで
もはや琴線に触れる体になってしまう。

人間とアンパンの差異

“ しかし、それでは聞くが、君のその知性とか、思考力とか、なんとかはいったいどこから来たのかね。人間の身体だって、七十パーセントの水分、含水炭素、 蛋白質、その他いろいろあるにしても、 肉体を構成している物質をどんなによせあつめても生命は生れない。現代の科学 は蛋白質の合成にはようやく成功したようだが、生命そのものは永遠の謎だ。生命が去った肉体はアンパンとさして差はないのだ。
 だから、アンパンの人形にも心がやどることはあり得るのさ。”(P9)

熱血メルヘン怪傑アンパンマン

確かにy確かに。
アンパンマンと貴様ら(俺たち)
に大差はあるのか説。

人間もパンと同様有機的物質である。
人間だからこそ心や魂や感情がある、
という説にはジャンプしえないはず。
本来なら。

人間は人間だから人間であり、
アンパンマンもアンパンマンだからそう。

突然マーシャル・マクルーハン

“「あれ、あれはなんだ?」
 ヤルセ・ナカスはびっくりして叫んだ。
 バックミラーに何かうつったのだ。
「あれはアンパンマンじゃないのか。ミルカさん、ほら?」
「まさか、そんな、ああっ!」
いったとたんにハンドルさばきをあやまって、コーナーをまがりきれず、フォルクス・ワーゲンはもんどりうって崖から転落した”(P9)

怪傑アンパンマン

マーシャル・マクルーハンの
社会のバックミラー視の巧妙な直喩。

アンパンマンは未来に見えるかもしれないが
過去そのものであり、
人類の同じ延長線上に存在するもの。

またこのシーンでは、
未来や過去にとらわれると道を見誤る、
今を生きる大切さを意識しなさいと
やなせたかしは説いているのだろう。
(たぶん)

“「われわれは、バックミラー arear-view mirrorを通して、現在を見ている。われわれは、後ろ向きに、未来へ向かって進んでいるのだ。」

M.McLuhan, Quentin Fiore, The Medium is the Massage, Bantam Books, NewYork London Toronto, 1967, p. 75.”
マクルーハンの身体論 柴田 崇

人を助ける喜び

“「ふしぎだ。生れてはじめての経験だ。 大鷲におそわれた時、ふるえるほどの恐怖と絶望を感じたのに、それだけじゃない。心の中にうれしさがある。なんともいえない恍惚としたよろこびがふきあげてくる。もっと喰べられたいというおもいにかられる。ぼくはいったい、生れながらのマゾヒストなのだろうか」”(P11)

怪傑アンパンマン

もちろん主題はマゾヒストかどうかではない。
自らの犠牲と人が救われることの天秤において、
後者が勝ったことによる幸福感だろう。

勝者は敗者を生む。
勧善懲悪社会の総和は
ゼロ以上にはならないどころか、
ゼロ未満にも容易になり得る。

パンで人を助けること、
それは総和をプラスにできる
唯いくつかの行為のうちの一つと言えるだろう。

強ディス

“これはテレビ会社の例の俗悪子供番組の主役をえらぶ会だったらしい。 そんなこととは露しらず、きまぐれな西風にのって会場にまぎれこんだアンパンマンとしてはなんのことかさっぱり理解できなかったのは当然だ。”(P15)

怪傑アンパンマン

俗悪子供番組とは、
勧善懲悪ゼロサム量産文化への反対命題。

影響?

“なぜ生れてきたのか。
なんのために生きるのか。
この時はじめてアンパンマンは自覚した。
「 自分が死ぬことによって他を生かす。
それがぼくの使命なのだ。ぼくは死ねるが、その生命は他者の中で生きる。ぼくは飢えた人を救うのではなく、飢えた人の中にぼくが生きるのだ」
アンパンマンは恍惚とした。
博士も恍惚としていた。”(P19)

怪傑アンパンマン

自分の生存よりも、
誰かを助けることを優先する尊さ。

そしてこれ(食べられ恍惚)に
影響を受けつつも
シニカルに表現しなおしたのが
チェンソーマンのあるシーンでは、
と思った。

“アンパンマンはストレートパンチをクロカワの顔面にあびせた。パン!
ふっとぶクロカワ
まさにこれこそ本当のパンのパンチだ。 しかしふっとんだわりにはいたくなか った。なにしろパンだから、パンでなぐ られてもそれほどじゃない”(P58)

怪傑アンパンマン

相手を殴ると自分も傷つくことを、
他の作品でも意識的につかっているのに
なぜアンパンマンたちに殴らせるのかと
少し引っかかっていた。

これを読んで理解する。
パンのパンチはいたくないのか。
想像以上に論理が一貫してる。

去年企画展やっていたらしい。
行ってみたかった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?