医療事務が脳梗塞で入院した話・その14

何日以上休んだら会社に診断書を出さなくてはならないことになっているのか忘れましたが、少なくともエダラボン入れるだけで2週間の入院、その他諸々あるからなんだかんだで1ヶ月はいるでしょうから、診断書は会社に出さなくてはなりません。

入院した病院は書類の受付が1階にあるので、1階まで行って申請しなくてはなりません。

クソうらやましい!!

ホントに書類の受付と病棟の窓口は別にして欲しいと何年もそれこそ20年くらい前から訴えているのにスルーされていて、会計しながら窓口業務って難しいことをやらなくてはならなくて、これも人材が居着かない原因のひとつだと思っているのですよ、わたしは。

どの病院もサイトとか見ると書類受付の窓口は単体で設けてあるのに、うちは外来の人は書類は総合受付で会計が分かれているから良いけど、入院中の人は病棟医事で受けなければいけないとか、意味わかんない。

例えば、請求書を急かされても出せないことがあるとすれば、それは大概目の前に診断書申し込みに来てる患者の相手をしなければならないからですよ。入院前には2年目になる新人さんに窓口をやってもらっていたけれど、この1年結構時間かけて教えてたんだけど、結局自分が出て行ってフォローしないといけなかったのですよ。

いくら新しくコンシェルジュを導入して「してほしい仕事ありませんか?」と声かけしてくれたって、結局ニコニコ立ってるだけで、して欲しい仕事はいっこもしてくれない。うちの会社もだけど病院も、外来のことをやってさえいれば、入院業務のことなどどうでもいいのでしょう。というより、入院業務が煩雑すぎて、上の人は外来の省力化はとっとと進めたけれど、どれだけ入院担当が仕事の守備範囲も広すぎるし業務量が多すぎるから何とかしてくれと申し入れても入院業務のことはわからないからスルー、あとはそっちでよろしく、なんなら外来でミスった分も何もかも入院でフォローしてくれと外来担当から電話があったりなど日常茶飯事で、こんな感じで何年も済まされてしまっているわけだし、ホントに「外来さえ良ければ、入院はどうでもいいから」ってセリフを一字一句違わず言われた事があるのです。

今回の入院及び一連の休業の事で会社の総務等と話をした時に、やっと今まで言われた事や訴えてもスルーされていたことを吐き出すことが出来て、つきものが落ちたような気になってしまいました。話した時はえらい人たちも絶句してましたが、どれだけ訴えてもこの状況が少しでもマシになるとはまったく思えないし、この部署がこの先何か改善することがあるかもしれないとは、とうてい思えません。

愚痴はさておき、SCUは4階にあるので1階の受付に連れ出してもらわないとなりません。これも当然車椅子の登場です。車椅子に乗って、点滴スタンドと共にナースに1階まで連れて行ってもらいました。

受付さんに申込用紙をもらって記入を始めたところで、受付さんは別の患者さんの応対に出て、わたしの前には別の受付さんが入りまして、申込用紙に記入している途中で、あーそれだけでいいですーあとはこちらでーって言われるんだけど、書く欄があることは一通り書かないと気が済まないタイプなので、ガシガシ書いて受付さんに渡すときにふっと顔をあげたらば。

もうひとり、知り合いがそこにいた!!

あなたもここですかMnさん! なんですかこの知り合い率の高さは!

Mnさんもやはり昔同じ会社にいた人で、外来の結構上の役職まで行った人なんですが、あとで聞いた話と合わせて想像すると多分、ユーザー異動のあと、やめて今の病院に就職したと思われます、勝手な想像ですが。

あの環境から飛び出した人たちは辿り着いた先で生き生きしているけれど、あの環境でくるくる回っていると、わたしのようになってしまうんだな。

あまり書いてはいないけれど、入院の初期…どころか退院近くなるまで、かなりの時間、わたしは頭痛に悩まされていました。

そもそも、24時間頭痛です。

このまま一生頭が痛いままなんじゃないかと、ちょっと絶望する感じです。脳梗塞って頭が痛いとかいう症状あったっけ?とは思いましたが、それを調べる術がSCU入室中はありません。

頭が痛いところへ、実家の母が日参してくれまして、着替えやその洗濯などの世話をやいてくれるのは大変ありがたかったのですが、

「仕事やめなきゃだめやよ」「いつやめるんや」

と毎日、わたしに医療事務の仕事をやめるように言ってくるのです。

未だかつて無い体調の悪さもあって、かなりやめる気にはなってるんですが、そうは言っても、やめるにしても引き継ぎもしないといけないし、とかぐだぐだ言っていると、

「引き継ぎなんか行かんでいい! もう仕事行ったらだめや!」

専業主婦はこういう時に話が通じなくて困ります。体調が悪いので言い返す気力がありません。

まあ、脳梗塞なんてことにまでなってしまったので、頑張っていた分、気力というか、何かがボキッと折れた感じにはなりました。常勤ではなくてパートタイマーに戻りたいなと思いました。

そう、わたしはもともと午前中4時間勤務のパートだったのです。常勤で入職しましたが、結婚と同時に午前パートになりまして内視鏡室の受付をやっていました。それが、病棟に人が欲しいと言われ、病棟に4時間のパートなど役に立たないはずなのに、どんだけ無茶な人事やねんとは思いましたが、役立たずなりにやってました。最初は上司のフォロー的業務、それから階を異動して精神科の業務とレセプト、まあ、そこまではパートでも月に何回か残業すれば、なんとかこなせました。何故なら精神科病棟は特殊な会計は多いものの、日々の会計内容が少なくて回転も少なく動きもあまりないので、レセプト件数も少なく、一日分の会計もすぐに終わるという、業務に慣れた半日パートにはちょうどいい感じの業務量だったのです。

それが、泌尿器・脳外病棟担当の病棟医事がこの給料では生活出来ないという理由で退職し、さて代わりの人をどうするかとなったところで、パートのわたしに「みんなでフォローするからやって」と、まるっと1病棟つまり常勤の業務量が回ってきたのです。

再び階を異動しました。半日で一日分の業務はきついです。しかも、この病棟、一番回転が速い病棟だったので、出入りが激しければ当然請求書も同僚より多く出しますし、レセプトの量もそれなりになります。

パートの定時には帰れなくなりました。それでも業務が出来ず、慣れていない上に担当した複数科のDrが、かなりクセのあるタイプ複数名で、対応に苦慮し、更に今までやっていた精神科の業務およびレセプトの引き継ぎをした相手が微妙な人で、まあ、ぶっちゃけるとパンクしまして、心療内科の世話になりました。胃が痛くて物が食べられず、3ヶ月で10キロ痩せました。胃カメラの結果は異常なしだけど胃が痛いので何とかしてくれと言ったらリーゼが処方されて、あっという間に胃痛は治りましたが、ジェイゾロフトで下痢しました。毎朝泣きながら出勤し心療内科に通いながら日々が経つ間に、先出のKKさんが育休から復帰して、この一番出入りの激しい病棟をパート2人で回すという体勢になってようやく業務に馴染むことが出来た、わけですが。

そのうち、何人も心身共に壊れて退職していったので、その都度残った人たちの担当業務が増えまして、8時から13時までのパートなので、扶養内に所得を納めるために、毎日夕方まで、ひどいときには20時くらいまでサービス残業をするという状態になり(22時まで残業の時はレセプトなので残業申請出来た)、サービス残業が月110時間とか120時間とかそんな感じで1年半過ごしまして、さすがにバカバカしくなりまして、常勤になりました。

その頃には、神経も図太くなっていたので、見事に図々しいおばさんになり、10キロ痩せたはずがストレス食いであっという間にリバウンドし、すべての理不尽を笑い飛ばすことが出来るようになり、心療内科は卒業しましたが、健診で貧血が続いたので健診センターから医者に行くようにしつこく言われ、そこをかかりつけ医にして貧血の薬をもらいに通うことになりました。今はもう普通の内科的な位置づけです。

まあ、常勤になったので普通に19時とか20時とかまで残業しますが、働いた時間が全部給料になっただけで、しんどさはなんにも変わりません。月100時間のサービス残業が月60時間の残業になっただけで、帰る時間はだんだん遅くなってます。労基に出す書類も何回か書かされました。業務量はどんどん増えましたが、慣れていくものです。こうして残った業務の出来るほんの数名が複数病棟の業務を被る状態で何年も過ぎてしまいました。

そう言えば、いつもなら、土日休みなら土曜日は溜まった家事を片付けて運動に行き買い物にも行き、日曜はゆっくり休むというスケジュールでしたが、入院する直前の週末は、土曜の午前中に最低限の家事を済ませたら、午後からはもう身体を起こしていられなくて、日曜は一日横になっていたので、疲れがたまっていたのかなあとは思います。

正直もう体力に自信なくなりましたし、毎日残業でダンナちゃんより帰りが遅いとかは、さすがにこれ以上続けるのはキツイわとは思いました。

脳梗塞で入院という大きめの理由がある今でなければ、退職できない、と思いました。

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