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25年生きてきて、この先ももっと生きたいと思った 〜私が学んだ11のこと〜



はじめに

もうあと1ヶ月ちょっとで、私は誕生日を迎える。

毎年迎える誕生日だが、今年はなぜか背筋が伸びる。いよいよ30代へ向かって歩んでいく。心のどこかでそんなことを思っているのかもしれない。

これまでを振り返ると、少しの経験から多くのことを学んできた。

まだ未熟な身ではあるが、これまでの人生で得た気付きや学び、築き上げた価値観を11個に絞って自分用に記録しておこうと思う。

これから書くことはあくまで私の個人的なものであり、私とは違う他者を否定するものでは一切ない。もしこの記事に興味をもってくださった方がいたら、これを前提として読んでいただけるとありがたいです。



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【自己紹介】
こゆめ Twitter @__koyume
保育士。幼稚園教諭、シッターの経験も少しあり。
現在クラスリーダー。湘南移住を夢見てます。
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1 , 『世の中に”普通”は存在しない』


日頃人と関わっていると、自分とは感覚が違う他者と出会うことはよくある。

そんな方と出会うと、「あの人普通じゃない」といった具合にその人を否定するような感情が湧いていくることもあるのではないだろうか。

しかしながら、こういった方と出会うたびに感情を動かしていると心も身体も疲弊するのはこちらである。

後述するが、私はこれまで「普通であること」に縛られて生きてきた。しかし、色々な人と出会い、様々な価値観に触れ、人の違いを面白がれるようになってからこの世に普通というものは存在しないということに気がついた。

考え方が似ている人というのはもちろん存在するが、人が持つ原体験はどんなに似ていても異なる。

「あの人普通じゃない」と言われる前者も、そう言ってしまう後者も、それぞれが必死に生きてきた原体験の結果が今の自分を作っているのだ。

人は誰しも、育った環境も今置かれている環境も違うわけだから、一人ひとりの中に"常識"はあっても、世の中に"普通"なんてものは存在しない。


そう考えると、「自分とは感覚が違う人」に出会った時には、『その人の背景を理解しようとすること』が自分の心を乱さない唯一の方法なのだと思う。



少し話は逸れるが、私の仕事の話しをする。

現在保育の現場は「当たり前」が大きく変化している時で、これまでの時代を生きてきたベテラン勢と若手の感覚が異なることが難しい点とされている。

例えばいわゆる一斉保育(全員が椅子に座り同じことをするような保育)をする中で、『みんなと同じようにできることが素晴らしい』と子どもたちに伝えていたベテラン保育者は、現在の『一人ひとりの個性を生かす』といった保育を理解することが難しいといったところだ。

これは誰が悪いわけでもない。時代が変わっているのだから、感覚が違う者同士が一緒に働くことになるのは仕方のないことなのだ。

「あの先輩の言うことは理解できない」「あの人の保育は好きじゃない」と線引きしたくなる気持ちもおおいに理解できるのだが、そういった壁にぶつかった時には『どうしてなんだろう』と考える方に頭を切り替えると相手を理解し認め合うことに繋がっていく。

しかし、相手の言っていることを無理に受け入れろ、という話ではない。あくまでも理解するだけであって、相手の思いを無理に受け入れなくてもいい。「あなたはそう思うのね」「私はこう思うな」といったまっとうな対話をするために、まずは相手が生きてきた時代背景や環境に目を向けることは意識しておけると良いのだと思う。

「人は一人ひとり違ったストーリー、原体験をもっている」ということを改めて意識し、自分の価値観を押し付けることなく相手の思いに耳を傾ける。


仕事でも私生活でも、自分と他者を切り分ける視点をもつことは、より穏やかに生きるコツである。



2 , 『多くの経験を積んだ人ほど年齢を気にしない』


どうやら”若手だから”という理由で部下の話に耳を傾けない上司がいるらしい。私は幸い直接的に出会ったことはないが、実際かなりの確率で出会うのだそうだ。

その裏側にある上司の思いはどんなものなのだろうか。私はまだそんなことを想像できる人間ではないが、ただ一つ、わかったことがある。


あるグループに参加し、あれこれ保育の話をしていた時のこと。

私はその中でまだ経験が浅く、年齢も若かったため「私なんてまだ若手なので」「大変恐縮なのですが」といった前置きをしてから自分の思いを伝えていた。

しかし、ある一人の人が「年齢なんて関係ないんだよね」と話し出す。


「そんなことないですよ!」と返すと、「結局、年をとっても変わらない人は変わらないし、変わっていく人は変わっていく。常に学んでいる人もいれば、そうでない人もいる。これって年齢どうこうの話じゃないんだよね」と続けた

年齢が若くても、経験が浅くても、常に学ぶ姿勢をもっている人は思考が洗練されている。私もそんな人に魅力を感じる。

こういった話から考えても、若手の意見を聞かない、取り入れないといった上司は、過去に学んだ自分の知識や技術に自信があり、まだまだ最先端であると信じ込んで抜け出せない状態に陥っているのかもしれない。

おそらく「私のいうことは絶対よ」のような方には何を言っても伝わらない。伝える相手を見極める必要も出てくるだろう。

今回は年齢、という視点から書いたが、何事も「こうだからこうだろう」とレッテルを貼ってしまうと自己成長は止まる。と個人的には思っている。


いずれにせよ、「年齢は関係ない」と言って本気で対話してくださった先輩方には心から感謝している上、そういった方々と出会えたことを誇りに思う。



3 , 『人から認められることは本当の幸せではない』


ほとんどの人は心の中に"承認欲求"というなかなかの厄介者を抱えているらしい。


これはこれまでに外発的な動機(自分の内側にあるやる気や渇望ではなく、他者から得られる評価や報酬を動機とすること)で動いてきた経験から備わったものだと考えているが、この欲求が満たされることは本当の幸せといえるのだろうか。


社会人1年目の3月31日。
勤めていた勤務先を退職する日。

1人で必死に担任をしてきたクラスの保護者一人ひとりからメッセージをいただいた。これを読んだとき、初めて、私が心を鬼にして戦ってきた1年間が報われた気がした。「1年間頑張ってきてよかった」そう思ったのだ。

これは今でも私の大切な宝物であり、原動力となっているのだが、ずっとお世話になっている学生時代の教授にこの話をしたところ、意外な答えが返ってきた。

『1年間やってきて、最後にしか幸せを感じられないのって辛くない?』


この言葉を聞いて「えっ?」と思ったのが正直なところだ。大きな達成感を味わったあとの恩師からの言葉とは思えなかった。


そしてその教授は

『毎日みられる子どもの育ちに目を向けたらいいじゃない』と続けた。

この言葉の深さは今の私を作っているのだが、この時は「そんな余裕はなかったです!」とはっきり答えた気がする。


解釈が違っていたら大変申し訳ないが、結局これは"人から認められること"で幸せを感じていた私を真理へ導く言葉だった。

学校教育が数字で子どもたちを評価するものとなってしまっている以上、”人の評価が自分の価値だ”という概念が基本となったまま大人になる人が多いと感じているが、自分もその1人であったのだ。

大きなことを成し遂げた時に感じる達成感や人からの評価よりも、毎日起こる小さなことに喜びを感じ、「自分の幸せ」を満たしていくほうが、今の自分には合っている。

たとえ人より劣っているように見えても、見た目が華やかでなくても、

自分で自分を認められる、自分を自分で納得させられるようになると心は軽くなるものである。


ちなみにその教授とは今でも連絡をとっており、先日初めて一緒に仕事をした。最高に幸せな瞬間であった。私の保育観を真っ直ぐに作り上げてくださった教授には、一生感謝する。



4 , 『自分を否定する人からは離れるべき』



自分のことを否定してくる人はそばにいるだろうか。友人や職場の人間の中にもいるかもしれないが、一番離れにくく、ある意味厄介なのが”親”ではないだろうか。


私は幼少期から「いい成績を取れ」「いい大学へ行け」「勉強すれば選択肢が広がる」と言われ続けてきた。


当時やりたくもない勉強をする意味もよく分からず、「これならば楽しい!」とハマっていくような科目もなかった。


なんとなく、好きな科目は「音楽」と書いているような人間だった。


ただ、やはり『成績をとることが何よりも大事』という解釈をしていたため、それなりに成績は良かった。

とはいえ特に中学生の頃は先生の出題傾向を読んで勉強していたらほぼあたっていただけである。


そんな中でも長年の夢はあり、保育の大学に進むことにした。決して偏差値の高い大学ではないが、2人ほど尊敬できる教授に出会えた。そういう意味で"いい大学"だったと思う。この時は厳格な父にも自分の夢を叶える第一歩として進学していく姿をほめられたことを覚えている。


しかし、親の「こうなってほしい」「こうするべきだ」「普通はこうだ」という凝り固まった思考に悩まされ、憤りを感じる日々を送っていた。


例えば、家で観るテレビ番組ひとつとっても


バラエティを観ていると「馬鹿になるからやめろ」と言われ、

好きなアイドル(AKB48である)を観ていると

「芸能界なんてろくなもんじゃない」と半ばキレられ、

ニュースを観ていても「マスコミは本当のことを言わないぞ」と言う。


今思えば言いたいことは大いにわかるのだが、

当時の私にはただ『なにもかも否定される』という感覚だけが残っていた。



そんな中、大学で保育について学んでいくたびに「なんでうちの親はこうなんだ」「こういう言い方をすれば私の心は動くのに」と、そんなことも思うようになった。


当時、ことあるごとに浴びせられる父の言葉にむしゃくしゃして、自分の部屋のテーブルの上のものを全てガーーっと落としたいが、でも1度それをやったとき片付けるのがめんどくさかったから、やめておいて、枕に叫ぼう、とか、そんなことを考え叫んでいた。



そして時は経ち、社会人になって少し経った頃、家を出ることとなる。ちょうど転職を考えていた時だった。


毎日の帰りも遅く、痩せ細った私をみていた両親は心配していた。

「親の言うことはもはやきかないぞーと思っていたが、転職にも賛成していた。



とはいえ、

「大きい園のほうがいいんじゃない?」

「福利厚生が何より大事でしょう。」


そんな条件的なことばかり言ってくる親と、私の感覚はすでに大いにズレていた。時代が変わっていると伝えても、なかなか伝わらなかった。


「改めて自分の人生を構築していくためには、考えを否定される人のそばにいてはダメだ」と思った。



この後、ほぼ親に何も言わずに家を出て、1人になって色々な本を読み、色々な人の価値観に触れる中で"親から離れた自分”というものを確立していった。


ちなみに今も両親とは暮らしていないが、ふるさと納税の返礼品を送ったりして良い関係を保っている。(と、私は思っている。)



近しい人ほど離れることには勇気がいるが、昔から仲の良い友人だって、環境が変われば関係や感覚が変わることもある。

「今はこの人と一緒にいたくない」「なんとなく窮屈」と感じれば、離れてみるのも一つの手である。

またいずれ環境が変われば、昔のように仲良く戻ることだってある。家族や親友は、そういった存在なのではないだろうか。



人は自分を否定され続けると身も心も壊れる


だからこそ、離れる決断をするのも自分を守る方法だったりする。


誤解のないように言っておくが、右も左もわからぬまま必死に私と妹を育ててくれた両親には感謝してもしきれない。


私たちに掛けた言葉の数々は、私たちの幸せを願ってのことだったと思う。


少しトゲがあったり、素直になれなかっただけで、私たちのことは目に入れても痛くないくらい可愛かったはずだ。(今でもそうであった欲しいが)

自分としては苦しい時期もあったが、あの時期があったから、今の自分がいる。

あの経験があったから、得られたものがたくさんあった。



一時期、母がしきりに「産んでも専業主婦にならずに保育園へ預けて働き続けたほうが幸せだったのかな。どこにも連れて行けなかったし、奨学金もさ…」と言ってくる時期があったのだが、そんなことは全く、思わない。

もちろん保育園という場所は本当に素晴らしいと自画自賛しているが、


私にとっては高級ホテルへの宿泊や半年に1回のディズニーランドよりも、

近場のキャンプ場や少しだけ大きな公園、動物園や水族館へ連れて行ってもらった思い出のほうが魅力的であるし、温かく感じる。


母にとっては分からないが、私にとっては特別な思い出だ。


これからもずっと私の両親であって欲しいし、たとえ生まれ変わっても、また両親の元に産まれたい。本気でそう思っている。



5 , 『やりたくないことはやらなくてもいい』



やりたくないことを無理にやらされて、気持ちが満たされる経験をしたことがある人はいるのだろうか。もしいたら教えていただきたい。

これは子どもも大人も全く同じと考えているが、「やりたくないことで得られる力」よりも、『やりたいことで得られる力』のほうが遥かに大きい。


夢中になれること、熱中できること、挑戦したいことを目の前にした時の高揚感。

経験したことがある人と、まだない人とがいるかとは思うが、その「やる気出る度」は想像していただく通りである。


仕事も同じで、やってみてやりたくなくないものであったならば、離れてみたっていい

真面目な人ほど世間の目を気にして「続けなきゃ」と思ってしまうのだが、


やりたくないことを続けて心が病んでしまうくらいなら、やりたくないことから逃げて新たな道を見出した方が良くないだろうか


時間は有限で、人生は一度きりなのだから、やりたくないことに時間を費やすのはもったいない、と単純ながら思う。


ちなみに大事なことがもう一つある。


何事もやってみないと分からないのだから、やってみたことに後悔する必要もない。

経験を力に変えて、また進んでいけば良いだけである。



6 , 『人はそう簡単に変わらない』


「あの人もっとこういう考え方をしたら楽なのに」他者に対してそんなことを思うこともある。


例えば、何事もネガティブに考えるクセをもっている人から相談を受けた時、ほとんどの場合

「でも、、」「だって、、、」「私なんて、、」といった発言をする。


「前向きに考えたら大したことないのになぁ」「なんでそんなに自分に自信がないんだろう」そんなことを思うこともある。

ただ、ここで「私はこうやって考え方変えてるよ!」「こういうふうな見方にしてみたらどう?」と必死に伝えても、なんだかんだ何も響かなかったりする。


実際私は、過去に自己肯定感が極端に低い妹を"なんとかしようと"試みたことがある。色々な言葉を使い優しく伝えてみたり、時には怒ってみたり。

しかし私がどんなに言葉を変え、方法を変えても彼女が変わることはなかった。


恐らく昔こびりついた感覚が邪魔をし、変わりたくても変われなかったのだと思う。


さらに言うと、こういった場合『本人自身は困っていない』というパターンもある。事実、心底悩んだら自分でどうにか解決しようと動くものだ。

結局、外部の人間がどんなにアプローチをかけたって、当の本人が心から悩み、迷走し、抜け出したいと思わない限りその人の心には何も生まれない


生まれたとしても、それは外発的な動機になることも多い。

だからこそ、『人は変わらない』と割り切って、見守るときは見守っておいたら良いのだと思う。


ただ、仕事上「人を変えたい」と思った時には、『自分が変わること』を一番に考えると良い。


人は鏡。うまくいかないときは大抵、自分を振り返ると何か見えてくる。


ちなみに私の妹は本当に好きな彼ができてかなり変わった。彼女自信が、彼女の心を動かしたのだろう。

個人的には、彼に負けたのは非常に残念である。


7 , 『自分にとっての幸せが叶えば、それでいい』


「年収が高い方が良い」「有名な企業に勤めている方が良い」「大きな家に住んでいる方が良い」「車をもっている方が良い」「ハイブランドのバッグをいくつも持っている」・・・


こういった、”幸せの前提”みたいなものは一体誰が決めたのだろうか。いつの間にか「そうであるべき」のような意識が植え付けられ、それが苦しみの要因になっていることも多い。


これらは確かに”幸せに暮らすためのわかりやすい条件”なのかもしれないが、


それは『みんなにとって良い』とは限らない

小さな部屋で暮らすことに幸せを感じる人もいれば、自然を感じたり音楽を聴いたりすることで幸せを感じる人もいる。「こうである」と定義づけできないのが『幸せ』なんじゃないかと思う。


だからこそ、自分にとっての幸せとはなんなのか、考えてみることは面白い。

自分が目指していた幸せは、自分を苦しめる要因になっているかもしれない。

もしかすると、人と違うことを認めるまで時間がかかるかもしれないが、自分にとっての幸せを見つけ、それを叶えられる環境に身を置けば、それで良いのだ。


多くのものを望むと欲は次から次へと出てきて、どんなに時が経っても気持ちが満たされなかったりする。

その循環から出るか、出ないかは自分次第である。


あくまでも、色々と考えた上で「あそこのブランドのバッグを持って都心を歩くのが幸せ」と思ったならそれでいいのだ。



8 , 『〇〇すぎは禁物』


今まで真面目すぎて損してきたことがたくさんある。あえて”損した”という言い方をしたが、当時はそう思っていた。


例えば学生時代、テスト前になると「ノート貸して!」と言ってくる友達が何人かいた。「嫌だなぁ」と思いながらも、いいよ〜と手渡す。

その友達たちは真面目に授業を受けるタイプではなく、遅刻や欠席はしないものの、ほとんど寝ている。

そんな人たちだった。

そんな中、今では理由がよくわからないが「ノート持ち込み可」というテストがあった。その友達は私のノートを写していたのでほぼ満点。それはそれは虚しい気持ちになった。


他にも、社会人1年目の頃。私はきっちり仕事をするが、同期はプライベートを充実させるあまり睡眠時間が少なく、書類の出来はイマイチ。


でも「それはそれ」として認められている。「なんだかな」と思ったりもした。そんな経験をかなりしてきた。


当時は「真面目すぎっていいことないんだな」と感覚的に思っていたが、社会人になって数年経った今、


本当の意味で『適当に生きること』の重要性というか、大切さ、みたいなものを感じている。


いろいろな人の生き方をみていて思ったが、何事も適度が一番良い。


仕事のしすぎ、寝過ぎ、買いすぎ、食べ過ぎ、気にしすぎ、真面目すぎ。

全て何かに偏ると心のバランスが崩れ、自分以外の何かのせいにしたいような気持ちすら生まれる。


もっとも、先ほどの「ノート案件」はそもそも自分の意思を貫いて貸さなければよかっただけの話なのだが、


なぜか相手に対し「アイツヤナヤツ」という感情を向けていた。こういった気持ちが生まれ、余計な心の乱れを予防するためにも、


適度に頑張り適度に休む、適度に真面目に生き適度に手を抜く。


がうまく生きるコツな気がする。


ちなみに、先ほどの同期はまだ過酷とも言える環境で仕事をしている。それも、しっかり遊びながら。


私はすぐに辞めてしまったが、彼女は本当にすごいと思う。(もちろんいい意味で)彼女の適当さから学んだことは本当に多かった。

そして学生時代のあの過程も、”損”や”無駄”ではなかったことは、社会人になってからきちんと気付けている




9 , 『心の余裕が全てを作る』


これはもう何度も言ってきたことなのだが、これに尽きる。と今の時点では思っている。


自分のことでいっぱいいっぱいになり心の余裕が全くなくなると、人に優しくできなくなる。

人間関係が崩れやすい原因のほとんどがこれな気がしている。自分でも体験したからこそ、これからも余白が保てる環境に身を置くことを大切にしていくだろう。


余談だが、色々な本を読んでいると、

「天才と言われる人は何もしない時間が多い」といったことがよく書いてある。

何もしない時間こそ、アイディアを生むのだそうだ。


確かに、平日の有給で1人カフェにいたり、散歩をしたりしていると、やる気が出たり良いことを思いついたりする。


子育ても、仕事も、プライベートも、心の余裕と時間の余白をいかに保てるかでその充実度は大きく変わる。


ただ、日本の働き方を見ると、意識しないと余白は作りづらい。というかほぼ作れない。

社会というものはすぐには変わらないが、「変わっていって欲しい」という願いはもちながら、どんな環境ならば余裕をもてるのか、今後も深く考えていきたい。

自分の心が満たされて初めて、他者に目を向けられる。


保育者である私も、私生活の私も、相手に気持ちを向けられる状態でありたい。



10 , 『人生は飛び級できない』


本を読んだり映画を観たりすると、これまで様々なことに心を動かしてきた方による経験の結果を覗き見ることができる。

睡眠こそ大事だとか、朝の時間を上手く使うべきだとか、添加物は身体に良くないだとか、人と比べる必要はないだとか、そんなことはいろいろな場所で得られる知識だ。

しかし、結局はこうして得た知識は"自分の経験"ではない

私は研修動画やYouTubeは1.5倍〜2倍速で観てしまう典型的"生き急ぎ人間"なわけだが、


少し先を生きてきた方々が得た結果をみて「なるほど」「すごい」「やってみよう」と思う一方で、

「本当かいな」「とはいってもね、、、」と感じることもあった。

しかし最近、彼らが伝えている数々の真理が少しずつ、心に落ちるようになってきた。



早く安定せねば、早く幸せを掴まねば、早く結果を出さねば、と生き急いでいると、つい先人のやることなすことを真似して実践してみるわけだが、なんとなく納得できなかったり、結局は継続できなかったりする。


そこで「やっぱり私はダメなんだ」と挫折する人もいるが、それはその人が"ダメ"なのではなく、単純にそこまでに至っていないのだと思う。


幼少期から夢見ていた仕事にようやく就くことができたと思ったら長く続けられるようなものではなく真っ白になった。


とか、


突如組織の上部に立つようになり何も上手くいかず心底悩んだ。

とか、


仕事が辛くうつ病になりかけた。

だとか、

「実際に自分の身に起きた困り事」を解決しようと必死にもがく中で、あれこれ取り組んで初めて、彼らの結果を実感する。そこで初めて、"自分のもの"になるように思う。


とはいえ初めから結果を知っておくとなんとなくゴールが見えるので進みやすい。


だからこそ先人から学んだ結果を、あとから「実感」「経験」に変えていけば良いのだろう。


11 , 『発信と行動で夢は叶う』



これはこれまで私が体験してきて感じたことである。

なりたい姿や在りたい状態を常々口に出していると、巡り巡っていいご縁が降ってくることがある。実際私も、大人になってからできた夢はほとんどこの方法で叶えている。


とはいえ、ここで大切なのは

そうやって口にして叶った夢は、『実際には運や縁によるものだけではなく、自分の行動の結果でもある』ということだ。

「運が良かっただけなんです」といっている人は自分の行動の結果であることを知っており、あえてそう言っているだけである。


むしろ、「この夢はこうすれば叶えられる」という道筋が立った時点で口に出す人もいる。

あなたが羨む人はあなたが思う以上に努力をしている。私の座右の銘だ。



そんなわけで、私の今の夢を語っておくことにする。



今後の私が目指すのは、『世の中から"生きづらい人"を減らす』こと。


言葉を換えれば、

「自己肯定感が高い人を増やす」「ありのままの自分を認められる人を増やす」「自分らしく生きられる人を増やす」

そんなところである。



前述した通り、私は自分らしさというものを押しつぶされて生きてきた。

普通であることを目指し、周りの期待に応えることに尽力してきた。

しかしその息苦しさから抜け出し、のびのびと生きる心地よさを知った。


今保育の現場にいるのも、これが理由である。

大人になってしまうと人間そう簡単には変われないから、まだまだいくらでも吸収できる純白な状態の時に『自分らしさを大事にしていい』ということを丁寧に伝え、その先の人生に感覚として残っていくことを願っている。


小学校、中学校、高校大学と進学する中でテストの点数や成績、偏差値で価値をつけられるような環境になっても

『私は私でいいんだ』

『私は存在する意義があるんだ』

『かけがえのない存在なんだ』

という信念を心のどこかでもち、苦しすぎない人生を歩んで欲しい。


ただ、以前のわたしのように人の目を気にし、比較し、自分はダメだと思い込んで苦しんでいる大人もまだまだ多くいる。


教育や社会の在り方がそうさせているわけであって、当の本人は決して何も悪くないのだが、本人もそのことに気づいていないこともある。


そしていずれ親になり、(もちろんならない人もいるが)


子に親の感覚が伝わっていく。SNSでの発信を始めたのも、『結局は子どもが育つ要因を作るのは大人である』ということに改めて気づいたからである。



ここを変えられない限り、生きづらい人は増えていく一方だ。


だからこそ、

ありのままを認め、自分にとっての幸せに満足して生きていける大人

も、1人でも多く増やしていきたい。



夢だった大学保育課での講義はありがたいことに昨年叶ったが、(60名の学生さんありがとうございました)


自身が考えていることや、これまでの経験を伝えることでやはり数名の心には響くものがあったようであった。


これをもっとやれたら、何か変わるだろう。


さらに、私自身が苦しさから抜け出せず、どうしようもない不安に襲われた時、多くの本や映画に救われた


これまで全く読書ができなかった私が、


2時間も3時間も時間を割けなかった私が、


「本当の困りごと」に出会い、「本を読む」「映画を観る」という選択をとってどうにか解決しようとした。


私自身が「生きづらさ」から抜け出し、今これだけ思う存分楽しんでいられるのも、これらに出会えたからである。


悩んだ時には、本や映画に助けられることも多いのではないか。


だから、いつか必ず出版をしたい。



そんな思いはずっともっている。


まずはKindle本から1歩ずつ。


目的を達成するための手段として、

大学での講義とKindle本の出版に向けて準備をしていきたい。


立ち止まることもあると思うが、自分なりのペースで、自分なりの幸せを実感しながら、しっかりと進んでいきたい。


これからも、まだまだ生きたい。

そんなことを思う。






おわりに


なんだかんだ、今日までが平凡な25年間だったかと言われると、そうでもないかもしれない。

私の母校は失礼ながら全く賢い大学ではないため本当になんの自慢にもならないが、大学を首席で卒業し、推薦書まで書いていただいたのに勤め先を1年で辞めたり、そのあとの2年で2回転職したり、中堅から明らかに嫌われたり、早くにリーダー職に就いたり、自分に何十万もお金をかけてみたり、長年付き合った彼とライン1つで別れたり、1K6畳に同棲したり、遠距離したり。それなりに色々なことを経験し、リアルに「人生悩む」と言いながら生きてきた。


きっとこれからも、壁に当たるたびに立ち止まり、考えながら過ごしていくことと思う。



でもここへきてなんとなく、どうやって自分の人生を楽しんでいくか、見えてきた気がする。


前述した通り私は「凝り固まった思考」をもつ親に育てられ、

今は「今後の未来を担う子どもたち」を相手に仕事をしている。


"社会の常識"が大きく変わる狭間に立ち、

『自分が受けてきた教育の息苦しさから抜け出す』

という経験をした。


この過程を財産にし、やっと得られた『自分の軸』を元に「ありのままの自分を信じていい」ということを伝えていける人になっていきたい。


人への思いやりを忘れず、ちょっとしたギフトをさらっと渡せるような、そんな女性でありたい。


誰とも比べず、力みすぎず、今という時を楽しむ。



ちょっと生き急ぎすぎたから、これからもっとのびのびと、でも目的には向かって、しっかりと生きていきたい。




きっとあとで読み返したら、この記事も「あの時は子どもだったなー!」なんて笑うんだろうな。そんな時もとても楽しみである。



最後に

こんなに長く読みづらい文章を最後まで読んでくださったあなたの幸せを、心から願います。


この先ももっと生きます。

26歳の私も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


2022年2月1日 こゆめ

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