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アスペルガー傾向のある子供の教育環境について③

前の投稿では息子の幼稚園時代について書き連ねてみたが、今回は長野にあるユニークな学校に入学するまでの経緯について記載したいと思う。

色々と問題のあった息子も年中さんになると大分落ち着いてきた。「このまま普通に学区内の小学校に通うことになっても全然大丈夫でじゃない?」と、比較対象がどうしても過去の自分になってしまう私(←小学校の2年生くらいまでは毎日泣いてばかりいた…)は思い始めていのだが、妻はかたくなに、

息子が今いきいきとしてるのも環境のおかげ。 
小学校にあがって公立小学校の型にはめる教育を受けさせたら、この子の良さが消えてしまう。

と譲らず。 

妻の意見には100%同意ではあるものの、日々のルーティーンから外れたことをやるのが苦手が私としては、息子のための学校探しはもっぱら妻に任せっきりでした。私は職を変えるつもりはなかった(そこまでのガッツはない)ので、あくまで首都圏への通勤が可能なエリアで、良い学校があれば小学校入学に合わせて引っ越ししよう、という条件で、妻が持ってくる情報に耳を傾けたり、言われるがまま週末学校見学に出向いたりしておりました。

でも千葉の房総半島にある学校とか、神奈川県にあるシュタイナー学校とか、色々見学にいったものの今ひとつピンとこず…。年長にもなり、日に日に進路が固まっていない不安の方が大きくなっていきました。


その頃、週に一度、妻が息子を連れて通っていたのが「靑い丘」という自閉症児やアスペルガーの子たち向けの「藝術治療教室」でした。今思えば、幼少期の息子の情緒面の健全な発達を促したのは、幼稚園の環境以上にこの「靑い丘」の存在が大きかったかもしれない。

「靑い丘」の主宰者である川手鷹彦先生は劇作家で演出家でもあり、藝術治療法教育家でもある。 当時川手氏の著書を妻から課題図書として数冊渡されたのだが、私には正直難解すぎて殆ど読了出来ていない。しかし、息子は「靑い丘」の二人のお姉さんたち(多分劇団員)との「わらべうたをベースにしたごっこ遊び」に毎週すごく楽しそうに通っていました。

「ごっこ遊び」とは言え、大人の、しかも役者さんで「なりきり上手」なお姉さんたちが、息子のペースに合わせて小一時間も一緒に遊んでくれるのです。ゲーム機みたいなものは一切使わずに「歌」と「言葉」と「体」だけで。

アスペルガーの子は同年代の子たちとの交わりに難があるし、ゲーム機とか過度にデフォルメされたアニメのキャラクターとかに影響を受けやすい。なのでどんどんオタク化して、ますます人との接触を避けちゃう傾向があると思うのだが、息子の場合は「靑い丘」での身体を使った「家族以外の他人と遊んだ経験」があったおかげで、幼稚園という外の社会にも徐々に適応出来るようになったのではないかと思う。

週に一度、満員電車に揺られながら品川まで息子を連れていくのは妻にとっても結構大変だったはずなのだが、その時々で、息子にとって大切なことを見極め、最優先で対応してきた妻の慧眼と行動力には敬服するしかない。

我々を長野移住に導いたのはその川手先生のイベントだった。(確か教え子が長野のフリースクールで劇をするから観に来ないか、みたいな話だったような) そのフリースクールのイベントを見学した際に「この近くにちゃんと認可されたユニークな学校がある」と教えて貰ったのがその後息子が通うことになる小学校でした。

認可されていないフリースクールに通う場合、公立校に籍だけは入れておかないと小学校の卒業資格も貰えない。通いもしない公立校との手続きも億劫だし、なんとなく息子をそこまでアウトローな感じにするのもなあと正直気が引けていた私としても「正式に認可されている学校」に興味が湧いたし、妻の方は妻の方で「長野が東京からこんなに近いのなら、子供と私だけでの移住も全然ありかも」と、移住を真剣に考え始めたのでした。


その後、その学校のオープンディに参加し、小学校教育でも縦割りクラスを採用していたこと、かなり緩いカリキュラムで子供たちがやりたいことに没頭できそうな環境であること、に好感を持った。

またこの学校は、当時読んでいた「教育の完全自由化宣言! 天外伺朗著」(当然妻からの課題図書)にもちょっとだけ紹介されており、天外氏のいう「フロー教育」こそ、アスペな息子にとって理想的な教育なのではとの思いもあった。

フロー教育とは、
自らの意思で行動することで
夢中になったり没頭したりすることで、
自らの潜在能力を引き出す術を身につけることです。

ただし、フローに入るためにはいろいろな環境設定・学習設定が必要です。
かかわる大人の理解と行動も必要です。


そしてなにより標高1100mの自然豊かな環境が決めてだった。二度目の見学の際、学校の敷地内で虫取りに興じる息子を見ながら、

「あの子もこの環境気に入ったみたい。もうここしかないよ!」

と、迷いなく力説する妻を横目に…

(本当に本当に二重生活始めんの? 家どうすんの? 仕事にも影響あるよな? 長野なんて誰も知り合いもいないのに…、一体これからどんな生活になるのさ?)

と、予測のつかない未来に大きな不安に感じ、押しつぶされそうになってたことを思い出します。

まあでも、10年経って思い起こせば、全部取越し苦労だったな。 息子も私も結果オーライ。

(小学校に入ってからの紆余曲折はまた別途)

written by 小雪男 / koyuki otoko







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