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アスペルガー傾向のある子供の教育環境について②

前の投稿では、なぜ私が息子に最適な教育環境を与えなきゃと思うに至ったのか、私の中の内省的な気付きみたいなものを長々と書き連ねてしまいましたが、今回は長男の幼稚園時代について書き記したいと思います。

振り返ってみると、息子はいろんな意味で恵まれておりました。

(まあ、一番のラッキーは妻や私のような理解ある親にめぐまれたことなのだが)

息子は幼稚園に4年間近く通うことができた。東京の下町のお寺に併設されているその幼稚園は、園長先生の旦那さんが住職さんということもあり、御仏のの教えに沿った教育方針に加え、シュタイナー教育(当時妻が傾倒していた)も一部取り入れていたり、園庭内に池があってザリガニが釣れたり、とかとにかく素敵な環境でした。

特に良かったのは縦割り保育だったということ。確か4組くらいに分かれていて、同じ組の中に年長(青バッチ)、年中(黄色バッチ)、年少(赤バッチ)が混在していて、同い年同士の横割りの活動より、青黄赤混在での縦割り活動の方が多かったのです。

しかも基本は三年保育のところを、同じ幼稚園のプレ保育に通っていた子の中から毎年数名だけ、ピンクバッチという形で早めに幼稚園に混ぜてもらえる制度があり、その制度を使わせていただき早めに入園したわけです。

今思えば…

(この子は馴染むのに時間がかかりそうだな…)

とか

(このお母さん、このままだとそのうち子供に手をあげちゃうかもな…)

みたいな配慮もあってのことだったかもしれません。


そんなわけで、息子は最初から「手のかかるピンクちゃん」として幼稚園の先生だけでなく、周りの子供達からも受け入れて貰えたのです。

幼稚園という生まれて初めての社会生活のスタートが「まわりの子と同じことができなくても当たり前」という前提の環境から始まったことは、その後の息子の精神的成長に非常に大きかったと思う。

ピンクバッチの時は言わずもがな、赤バッチになっても、運動会や劇遊びの会といったイベントでは、ひとりマイワールドに入って、なかなか他の子達と一緒の行動はできませんでした。 でもそんな息子に対して、周りのお母さん達からも

「あの(一人だけ何もしないで突っ立ってる)ピンクくん、かわいー❤️」

「(運動会で一人だけ)ゆっくり歩いて完走なんて、将来大物になるね!」

と、変に色眼鏡で見られることなくポジティブな声掛けをして貰ったので、親としても、ちょっと気恥ずかしいものの、嬉しく誇らしく思ったことを思い出します。

また、縦割りクラスだったので、手のかかる小さな子たちを、同じクラスの年長のお姉ちゃんお兄ちゃんたちが助けてあげるという構図が、普段の園生活の中で自然と育まれていて、支援が必要な子に対しても大人の先生が介入しすぎること(この子、ちょっと特別なんだなと分かってしまうような対応)も少なかったと思う。

幼稚園生活の前半を、そんな暖かい雰囲気の中で過ごすことが出来たおかげで、息子は他の人と違っていても、特段引け目も感じずに、躊躇せずにやりたいことを実行に移せる「自信」の下地みたいなものをしっかりと育んだような気がします。

もし、ピンクバッチではなく、同い年の子たちと同じタイミングで入園していたら…、

もし、横割り保育で、交わる子たちも同じ歳の子たちだけに限定されていたら…、

運動会とかで、他の子たちと同じようにできない光景を見せられる度に、多分親として「もっとざわざわした感情」が芽生えていただろうし、その感情は息子にも伝わって、何かしらの根深いコンプレックスを植え付けてしまっていたかもしれません。

実際、私自身の数少ない幼稚園時代の記憶は、かけっこでビリッケツになったこととか、みんなが登れてたジャングルジムから落ちて泣いてたこととか、通園バスの中で気持ち悪くなって我慢できずに吐いちゃって周りの子に「汚ねー」って言われたこととか、同じ歳の子と同じようにできなくって切なかったり、悔しかったり、情けなかったりという記憶しかなかったりします。 

で、そんな残念な記憶は、その後の人生において「新しいことに挑戦しよう」という気持ちにブレーキをかける足枷にしかならなかった。

アスペルガーの子の一番の問題点は、社会に出たばかりの頃のつまずきが足枷(トラウマ)になってしまい、その後の成長の機会となるチャレンジを回避し続けてしまうという負のスパイラルに陥ること、と昔何かの記事で読んだことがあり、全くその通りだと感じています。

あと、これは持論ですが、アスペルガーの人は自分と共通点が多い人(同級生とか)よりも、共通点が少ない人(年が離れた人とか外国人とか)との関係の方が居心地良く感じるのでは無いかと思ってます。

私自身、中学高校と地元の男子校で過ごしましたが、同郷の同じ年のしかも同姓の学友たちに囲まれて過ごした日々には、残念ながらひとつも楽しい思い出が残っていない。 酷いいじめに遭ったとか、引きこもりだったわけでもないのだが、特段のめり込めるものも見出せなかった日々は、楽しそうにしてる学友達に「合わせること」に終始し、ただただ「息苦しく」「ちんやり」としていました。「青春」という甘酸っぱい言葉に引け目を感じるくらいに。

そんな私でも、大学時代はそれなりに楽しく充実した日々を過ごせたのは、女子の方が多い大学に入学できたということもあるが、地元を離れたことによる「解放感」と東京という場所の持つ「多様性」にあったと思う。夜通し語り合える友人も出来たが、みんな地方出身で歳も一つ二つ上でした。

社会人になってからは、イギリス、マレーシアでの駐在生活も経験しましたが、最初から異邦人として「お前は俺らとは違う人種なんだよな」という前提で付き合ってもらった方が心地よく、大して英語は流暢ではないのでなにかと苦労することも多かったのですが、メンタル的には日本いる時よりずっと平穏な日々を送れていた気がします。

目下、留学中の息子からも「日本にいる時よりも楽しいー」とLINEがきました。そんな彼の小学校時代の親友も「ご近所だけど別の学校に通う年が一つ上の子」でしたし、中学生になってからは部活動よりも「野鳥の会」(平均年齢オーバー70sの会)の方に嬉々として参加していました。

思うに、アスペルガーの傾向が強い人って「俺たちって同じだよね」(同級生だから仲良くしようぜ)からいきなり始まる人間関係が得意じゃないのです。定型発達の人なら「親近感」とポジティブに捉えられる共通点が、申し訳ないのだが単なる「同調圧力」と感じて息苦しくなってしまう傾向がある。


先日、家族で話ししてて息子と意見が一致したのが、幼稚園の卒園前かなんかによく歌われる「一年生になったっら〜♪」っていう歌が大嫌いだということ。「友達100人もいらねーし、100人で集団行動だなんて息できんわ」と未だに耳にする度に不快になる。

この歌が本当に最悪なところは「一年生になったっら〜♪」とタイミングを小学校入学直後に限定することで「同じ学校の中で、なるべく早く、たくさん友達を作ることこそが良いこと(作らないとダメ)」という概念を、小さい子供達の柔らかい脳みそに刷り込み(洗脳ともいう)をしてるとこだ。

幼少期のこの刷り込みが呪縛となり、人間関係でコンプレックスを感じながら生きてる人も多いのではないかと思う。「ぼっちになりたくない」とか「ぼっちの子はかわいそう」とかいう感情が湧き出ちゃうのは、小学校に入学する直前にこんな歌を大声で歌わされてる影響も少なからずあるはず、と私は思っている。(少なくとも私はその呪縛から抜け出すのに30年以上掛かった)

未だにこんな歌を子供たちに歌わせてる幼稚園/保育園があるなら「今すぐやめろ」と言いたいし、100歩譲って歌わせるならば、歌い終わった後で

「(こんな歌もあるけど)友達って、学校だけでつくるものでもないし、数が多ければいいってもんでもないからね。」としっかりフォローしてあげて欲しい。

と、話が大分横に逸れましたが、息子は年中、年長と上がるにつれ、集団行動にもそれなりの適応をみせ、年長時には先生からも頼りにされる存在になってました。

その幼稚園では年長さんと年少さんがペアになるのですが、息子のペアは途中から軽度のダウン症の男の子になりました。(最初その子のペアだった子がうまくコミュニケーションが取れず、悩んで夜泣きするようになったというのがペア変更の理由だった) 息子は卒園までその子の手をかいがいしく引いたり、荷物を持ってあげたりしながら「Rくん、かわいいんだよ」と言ってました。

アスペルガー傾向の人は、同調圧力を感じると過度な不快感を示しちゃったり、他人の気持ちにうまく寄り添えなかったりするので「自分勝手で冷たい人」と思われがちかなと思うのですが、反面、(圧力を感じない限りは)自分とは異なる他者をそのまんま認められる寛容さ、受容力みたいなものは広いのでは、というのも私の持論です。

アスペルガーは同調圧力が苦手な分、同調も求めない

世の中の大半のいざこざ(いじめとか戦争とか)って、要は集団での同調圧力の暴走だと思ってるので、アスペルガー的な方が増えて、アスペルガーの方が住みやすい世界になればなるほど、世界は平和になるのでは…と私は思っております。


(移住に絡めて書こうと思っているのですが、全然結びつかない…)

written by 小雪男 / koyuki_otoko























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