教育に託した平和への願い...女性医師、シングルマザーそして教育者としてモンテッソーリが歩んだ波乱の人生
アシスタントコースの開講前に準備としてマリア・モンテッソーリの生涯についての映像("Extraordinary Women: Maria Montessori")を見るという課題が出ました。内容は英語なので要約と和訳の練習も兼ねて感想とともにまとめます。
イタリア初の女性医師、女性解放運動、未婚の母、戦争体験、そして教育改革。これまで彼女の人生についてよく知らなかった私にとって、ただただ驚くばかりの内容。数々の困難に打ち勝つバイタリティと意志の強さに圧倒されました。
1870年イタリアに生まれたマリア。少女時代、女性になされる教育は「良き妻」になることを目的としたものでしたが、そんな環境においても彼女は様々なものに情熱を抱いていました。教師になってほしいという親の願いをはねのけ、ローマ大学で医学を志します。女性が大学に行くというだけでも珍しい時代に、医学を学ぶ女性というのはさらに珍しく、女性差別に苦しめられました。男子生徒は彼女が授業に参加できないよう妨害したり、教授でさえも「女性の脳は小さいから、医学にはふさわしくない」と言ったほどです。くじけそうになりながらもイタリア初の女性医師となったマリアは女性の権利を主張する運動にも情熱を傾け、賃金や雇用機会の平等などを訴えました。
ローマにある精神病院で、知的障害を持つ子供たちの置かれた劣悪な環境に衝撃を受け「何かしなければ」という思いに駆られたマリアは、パートナーとともに障害児向けの学校を設立します。その学校で教育を受けた子どもたちがあるテストにおいて健常者と同じ、もしくは平均点以上を収めたことで、教育を施せないと思われていた子どもにも可能性があることを証明しました。これだけでは終わりません。自らが考えたこの教育を健常児に行った場合一体どんなことが起こるのだろうかという探求心が芽生えます。
このパートナーとはプライベートでも恋人関係にありましたが、キャリアを追求するため結婚はしないという約束をします。当時の女性にとって結婚することはキャリアをあきらめることを意味したからです。しかし妊娠、出産をします。母親か仕事か、どちらかを選ばざるを得なかった時代、息子マリオは農家に引き取られることになりました。子どもの教育に情熱を傾けたマリアは皮肉にも自らの子どもを手放すこととなったのです。
パートナーが別の女性と結婚したことを機に、ますます仕事と研究に没頭したマリア。置かれた環境、階級に左右されない子ども自身の持つ可能性を追求します。そしてあるスラム街に未就学児向けの学校を設立。これがCasa dei Bambini (こどもの家)です。ここで子どもたちを観察する中で、子どもたちが怠惰よりも集中を好むという発見をします。さらに秩序や品位を好むこと、賞罰は必要なく、むしろ作業に集中できるということが子どもにとって何よりの褒美であることにも気がつきました。さらに「奇跡」として世界の注目を集めることとなるのが子どもの読み書きに対する爆発的な能力の発見です。教師の養成所を開設、著書の英訳が発売されると、モンテッソーリメソッドは世界中でブームを巻き起こしました。ちょうどこの頃、離れて暮らしていた自身の息子マリオを引き取り未婚の母となり、その後は行動を共にします。
第一次世界大戦勃発後もその人気は衰えることなく、自身の教育法を広めるため、オランダやスペインそしてアメリカを訪れます。イタリアに帰国後、彼女の教育法が国の産業化に大いに役立つと考えたムッソリーニはこれを支援し、多くの学校が設立され、モンテッソーリ教育が繁栄します。互いに恩恵を受け合っていた両者でしたが、自立と自由を追求するモンテッソーリの思想は国家の規律やファシズムといったムッソリーニの理想と対立し、親子はイタリアを去りました。
オランダに移り住んだモンテッソーリ親子にまたも忍び寄るファシズムの影。隣国ドイツではモンテッソーリの学校が自由な思想を教える学校として危険視されすべて閉校となり、彼女の著書も禁じられてしまいます。ドイツのポーランド侵攻を機に親子はインドへ渡りました。
教育に対する理想はガンジーと共有する部分が多く、マリアはインドでトレーニングコースを開始。しかし第二次世界大戦時イギリス側だったインドにおいてイタリア人であるモンテッソーリ親子は敵とみなされ息子は捕虜収容所へ。ひどくストレスを感じることとなったマリアですがイギリス政府より自由な移動は許可されていたため、個人的にトレーニングを行うなど、逆境の中でも精力的に活動しました。
終戦後、オランダに戻った親子が目にしたものは荒廃したヨーロッパの姿でした。さらに彼女のいない間にモンテッソーリ教育の存在も忘れ去られていたのです。「未来の世界平和は教育の中にある」と信じたマリアはヨーロッパにおけるモンテッソーリ教育の再建に取り組み、再び花開きます。
教育に大きな変革をもたらし81歳でその生涯を閉じたマリア・モンテッソーリ。かなり省略していますが、波乱な感じは伝わりましたでしょうか。
映像の終盤「これ朝ドラにしたら何年分になるんだろう?」などと全く関係ないことを思いながら見ていたところ紹介された彼女の言葉が
"Don't look at me. Look at the way I pointed."
私のことは見なくていい。私が示した方向を見なさい。
私に言っているのかと思うほどの絶妙なタイミングに、一瞬固まってしまいました…
本日からコーススタート!マリア・モンテッソーリという人物に敬意を表して、彼女の示した方向に目を向け、授業に臨みたいと思います。