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誤字をなくしたい

文章作成ソフトを使うようになってから漢字の書き間違いを犯すことはなくなったが、そうなると次は誤用や不注意による変換ミスが起きるようになる。
つまり私の場合で言うと、教師からライターの道へと鞍替えしたことで教育現場特有の「何が何でも手書き」の慣習から逃れても、結局自分が気を付けないと、書き間違いはあらゆる場面で起こるのだと実感したということだ。

「ということはなんだ横比良、それを実感した出来事があったってことか!?」と訊かれても、「実はこんなことが……」と製作時のエピソードを語るわけにはいかない。守秘義務。
これはごく個人的な所感であり、言うなれば常日頃から考えていることだ。

まずは働き出して知ったことであるが、脱字の反対で、余分な文字が入ってしまっている「衍字」というものがあるらしい。……あるらしいというか、私もやってしまっていたのだが。
例えばよくやらかすのが

「昨日はカレーライスの甘口を食べまました」

というもの。この余分な”ま”が衍字に当たるのだが、なぜこんな文章になるのかと言うと……この文章、最初に書いたときは

「昨日はカレーライスの甘口を食べます」

という台詞だったのだ。しかし過去の話をしているのに、時制がおかしい。「食べました」と文末を修正しなければ! これを実際の操作に添って書きかえると……。

「昨日はカレーライスを甘口を食べま」

と文末を削り、必要な部分を加える。
しかし何かの拍子で、あるいは何となく「した」ではなく「ました」と打つと

「昨日はカレーライスの甘口を食べまました」

と上の間違った文章ができあがり、印字ならではの執筆残骸として衍字が誕生してしまうのだ。
他の原因には、知らないうちにキーボードの挿入キーを押してしまい、上書きモードになったと気づかないまま入力してしまうとか。
ひょっとしてあるあるのだろうか、それとも私だけがドジで間抜けなのだろうか……。

ちなみに最初の「昨日はカレーライスの甘口を食べます」について、これが逆に「ます」を削り「した」としか打たないと

「昨日はカレーライスの甘口を食べした」

と脱字になってしまう、なんてことだ。


さて、同音異義語などの知識不足は論外として、誤字も含め「どうして気づけないんだ」と思う方もいるだろう。
私自身も、自分で誤字、脱字、衍字を見つけては「なんでこんな間違いをしたんだ、そしてなぜ今まで気づけなかったんだ」とショックを受ける。

しかしながら、ライターの書く分量は凄まじい。
一日何KBもの量のテキストを生み出すことを一年スパンで続けている。
具体的に表せば、5000~8000字が平均的な印象だ(就業時間に制限がなかったり元々筆の速いフリーの方だと、軽々と10000字超えたりもするが)。
またその際のやる気と言えばいいだろうか……勢いや熱量もも相当なもので、一気に書き上げてしまったりすると細かい部分に目が行き届かなくなることもある。

つまり、膨大な量と速さの中では細かいミスを撲滅することは、書き手が人間である以上不可能なこと。
そして人間の頭は間違ったものを無意識に修正したり補完しようとする以上、後から誤字を見つける方が難しい。だから私にできることは、はじめから間違えないこと、ミスを限りなく0に近づけることである。

その上で後になって校正する場合も、ひとりのリソースでは限界があるので、シナリオやデバッグのチーム全体で、という意識を持つ。つまり自分以外の人が書いた部分でも、疑って確認を進めるということだ(実際問題、各々の書くスタイルによって誤字等の出現頻度は変わる、だから私は少なくなるような形を心掛けている)。
それでもなくせず、そのままリリースしてしまった場合は……我が身の不徳を憂いながら、気合を入れ直すばかりだ。


今回書いたことは、決して予防線ではなく決意表明である。
ちょっとしたミスでも、積み重なれば大きなものになる。
「書き間違いが多いから横比良はクソ」と評されては、中身に目を向けてもらうことすらかなわなくなってしまう。それはとても残念なことだ。

だからこそ、言葉の意味をまめに調べたり、書いたものは推敲も兼ねて必ず見直したりと、地道な心掛けを怠らないようにしなければと毎日思っている。
シナリオというものは、ある日突然できあがるものではない。日々コツコツと書き溜めることによってようやく完成するものだ。
小さな積み重ねが大きな実を結ぶことを信じて、私は丁寧に書き進めるのみだ。

***

とか言いながら、次は慣用句や言葉の意味に因る間違いをテーマに取り扱おうと思っています。悩みは尽きない……。

P.S. 今回の記事に、誤字脱字衍字の間違いが例文以外に4つあります。気づきましたか?

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