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愛ってなんだろう?の話。

 いつだったか、ツイキャスで配信していたときのこと。
 どうしてそんな話題になったのかはわからないけど、愛について考えることがあった。
 深夜と呼ぶには遅すぎるけれど、未明と呼ぶには早すぎる時間。3人のリスナーと一緒に愛について考えていた。

「好きって言われるのは嬉しいけど、愛してるって言われるとなんか違うなって思ってしまう」
「愛は少し重い」

 ここだけの話、あまり頭がまわっていない状態での配信だったことと、コメント履歴がすでに遥か彼方に行ってしまった(流れて消えた)ため詳細には内容を思い出すことができないが、だいたいこんなことを話していた気がする。
 ツイキャスの配信というライトな場所で愛というヘビーな話題を出してしまったのは、そのときのわたしが置かれていた状況のせいもあると思う。なんにせよ、リスナーの一人には言われたが、あの場所で何かを学ぶのはなんか違ったのかもしれない。
 だけど、その後しばらくわたしの頭から「愛ってなんだろう?」という問いは離れてくれなかった。

 高校3年間古文を担当してくれた先生から、いつかの授業で言われたことを思い出した。
「愛と死は物書きにとって永遠のテーマだから、きっと今までに考えたことがあるよね?」
 まさか何かを書いている時ではなく、配信中に考えるとは思っていなかったが。

 そもそも、恋と愛の違いについてもよくわかっていないのに愛を単体で考えること自体が難易度高すぎると思う。けど考え始めてしまったものは仕方ない。
 そろそろきちんと本題に入ろうと思う。

 好きという感情はきっと自分のためにある。
 よく「好きだけじゃ乗り越えられないこともある」なんて言われるのは、その感情がお互いに自分のためにあるものだから。もちろんその感情も相手を想っていることが前提なんだけど、どこかに「自分のため」が隠れている。
 それに対して、愛はきっと相手のためだけに存在する。
 たとえば相手が何かに苦しめられているとき。自分のことはどうでもよくて、ただその苦しみを少しでもなくすことができたら――そう思ってなにか行動を起こせるとか。
 自己犠牲というとちょっと違うかもしれないけど、まあ、そんなところ。
 好きと愛は紙一重だけど何かが違う。きっと愛の方が少し重い。
 その重さはきっと今のわたしたちにはまだ似合わない。
 だから「愛してる」と言われるのは何か違うと思うんだろう。

 ここまで書いて思ってしまった。
 「愛と死は物書きにとっての永遠のテーマ」なはずだ。そんなに簡単に答えが出せてたまるか。
 わたしには、今はこれ以上の考えが出てこなかった。
 これからまだまだ気づくことはあるんだろう。物書きとしても人としても、そこには興味しかない。

 恋でも愛でもなんでもいいから、今は自分の感情をきちんと大事にしてあげたいと思う。
 その先でなにか知ることができれば、それでいい。
 今のわたしに言えることはそんなところだ。

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