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卒業した今振り返る、大学4年間の足跡

大学生活の幕が閉じた今、振り返ると興味関心に素直に向き合い続けた4年間だった。

そんな4年間の出来事と気持ちは、整理して残しておくことでいつか伏線回収できたり、将来役に立つかもしれない。と思い、ただ「直感で〜」とか「好きで〜」と濁して話していた部分を、恥ずかしながら自問自答して言葉で残すことにしました。

🎓総合大学の学生が見つけたUXデザインの道

〜はじめに〜 
高校3年生。将来の職業を聞かれたとき、「世の中にどんな職業があるのか知らないのに、決められるわけないじゃん」と生意気にも思ったのをよく覚えている。何になりたいのかわからない、でも偏差値で大学を選ぶのはもう違う気がした。葛藤しながらも自分が興味を持てる『課題解決』に特化した学部が女子大で初めて誕生すると聞いて、勢いで受験したのは今思い返しても間違ってなかったと思う。

ただ、入学後一年してはっきりしたのは、本学部で課題解決の手段としていた『データサイエンス』に興味がもてなかったということ。導き出した解決方法を人に伝えるためのディスカッションとプレゼンの授業は誰よりも楽しんでいたが、データサイエンスを活かした進路はイメージできなかった。だから自分の興味分野は何なのか、それを活かせる仕事は何か探すべく、大学の外に出てみることにした。

ー 夢中になった体験作り

大学2年生の秋。高校3年生でボランティア参加した、スタートアップの祭典『Slush Tokyo』の運営チームのポジションが空いたと聞いて、私はただSlush Tokyoが大好きだという気持ちだけ持って門を叩いた。

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運よくメンバーに迎えてもらい、同世代の若者や未来を作ろうとする大人たちに情報発信やイベント開催をおこなうPR広報担当に。

情報をどんな言葉と視覚的インパクトで伝えたら大好きなSlush Tokyoの魅力が伝わるんだろう?と考えて企画したり、メディアの方に記事を書いてもらうにためには会場受付でどんな情報を渡してどんな設備と導線があれば良いのか?と、来場予定の記者さんに事前にヒアリングしながら情報と提供する場所を設計することが楽しかった。

そういえば、私は昔から素敵な体験が大好きだ。ふとした瞬間も夢と魔法の世界を感じさせるディズニーリゾートも、包み込まれるように安らぐ星野リゾートも。だからそんな体験作りに憧れて、高校生の文化祭では教室に劇を見に来る人が入室する瞬間から劇の雰囲気を楽しめる外装作りにこだわったり、Slush Tokyoでも一部の人向けでも体験作りに携われたことが楽しかった。

ー体験からブランディング、そしてデザインへ

影響力あるメディアの取材記事を通して、ブランドとして一貫した魅力を伝えることができているのか気になるようになった。メディアに書いていただいた記事を、広報として確認・修正していく工程で、ブランドにはそれらしい考え方や色調など、1人の人間のような『性格』があることに面白さを感じた。それが明確なところも、曖昧なところもある。ぼんやりと見える性格を汲み取りながら、『らしさ』を表現していくのが楽しかった。

余談になるが、思い返してみると私の大好きな体験も使いやすさとか利便性だけではなくて、ブランドらしさが垣間見える欠片が細部まで散りばめられている。そんなところに感動したり共感してファンになっている。だからファンを持つような長く愛される体験を作るためには、良いブランドがコアにあることが大事なのかもと感じたり。

ともかく、こんな風にブランドへの関心があったことから、Slush TokyoからBARKへとリブランディングするプロジェクトに携わらせてもらった。これがとても難しかったのだけど、私にとって重要なターニングポイントになる。

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既存のブランドと新たに作りたいブランドへの感情を集めて整理して、相応しい言葉とロゴで表現する。2つの性格を2色の絵具を混ぜるようにつくりあげる工程は、未知の連続。一つ一つのステップが霧の中にいるような不確かさだった。上野のカプセルホテルに1ヶ月泊まり込み、とあるデザイン経営戦略の本で本質を理解しつつ、Goodpatchブログのデザインプロセスを見様見真似で取り入れていた。これが私のデザインとの出会い

リブランディングの過程で活かしたデザインの考え方は、これまでの体験作りにも通じるものがあってどこか心地よく楽しかった。だからこの考え方を活かしてもっといろんなブランドや体験作りに携わりたかった。自分の手で視覚的に魅力あるものを生み出したり表現できないけど、そこに至るまでの体験の設計図を作るUXデザインへの関心が高まっていた。

ーUXデザイナーの道に進みたい理由

その時3年生の冬、早いところから就活が始まっていた。私はUXデザインへの関心はあったものの、その道に進む決心には程遠かった。

そんなとき、2日後にフィンランドでSlushが開催されることを思い出した。Slushにいけば世界のビジネスを覗くことができる。ついでにUXデザインのことも何か掴めるかもしれない。それに世界中の人のキャリアはきっと何か参考になるだろう。そう思って航空券を確保。就活を放ってフィンランドへ出発した。

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到着したSlushのステージでは、想像以上にUXデザイナーの活躍が次々と挙がり、ファウンダー、インベスター、マーケター、エンジニアと同じように大注目を集めていた。

ここで、あらゆる人種・宗教・性別の人に愛される体験が出来上がるのは、一見気づかないくらい小さな点を、UXデザイナーの手によって驚くほど丁寧に仕掛けられていたからだと知った。そして世界中の参加者たちはこのUXデザインを価値あるものだと認め、積極的にビジネスに取り入れるために真剣に聞き込んでいたことが印象的だった。こんなに必要とされる分野であることをこの会場内で初めて認識させられた。

帰国後、さらにUXデザインを学ぶために受けた海外大の短期授業では「デザインは課題解決の手段である」と説明があった。『課題解決』は私が大学を決める時から一つ軸にある。なぜなら課題を解けたときに何か自分が何かの役に立てたような、そんな喜びを感じるから。大学で課題解決の手段として教わったデータサイエンスは数字に弱くてピンと来なかったが、ユーザー起点で体験を設計するデザインの考え方には共感したし、これこそ自分が貢献できる課題解決の方法なのではないかと感じていた。

これまで私が作ったもの振り返ると、喜んでもらったこともあれば、残念ながら上手くできないものもあった。でもいつか最高に素敵な体験を世界に送り出せるようになりたいと思う。その体験を通して、世界にたくさんある課題のうち何か一つでも良く生まれ変わらせたい。そのためにもユーザー起点のUXデザインを身に付けたい。それが世界のビジネスに求めている点であれば尚更、コミットしてみたいと思った。

元々好きだった空間だけでなく、今の時代ではアプリを触っている時はより身近で改善されるべき大事な体験。まずは手元から、徐々に空間まで良い体験を広げていきたい。この感情が芽生えた当時はここまで言語化できていなかったけど、納得感を持ってUXデザイナーとしての進路を探し始めた。

ーGoodpatchという私の決断

ちょうどこの頃、ブログの大ファンだったこともあり、Goodpatchで長期ライターインターンをしていた。

インターンとして潜入してわかったのは、挑戦を全力で後押ししてくれる素敵なチーム文化。やりたいことを提案すると、一緒に考えてくれたり、人手が足りないと助けてもらったり。「偉大なプロダクトは偉大なチームから」という言葉がGoodpatchにあるのだけど、それを体現しているカルチャーが大好きだった。だから卒業後は未経験のUXデザインを大学院で学び、一人前になったらGoodpatchに戻ってくるつもりでいた。

しかし尊敬する先輩に進路を相談する中で「今のGoodpatchでしか得られない経験を逃したくない。共感するこの組織を今前進させる一員になりたい」という気持ちが増し、Goodpatch一択で最終面接を受けて内定をいただいた。

ついに春からGoodpatchの新卒UXデザイナーとして新しい船出になる。ようやく見つけたデザインの道。すごく新しい挑戦ばかりが待っているだろうけど、自分にとっても組織にとってもどんな未来を創っていけるのか楽しみだ。

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🌎経験と視野を広げるために鍛えた英語力

ー手段としての英語

大学入学前の春休みにSlush Tokyoに巡り合ったのが始まりだった。集まった世界のスタートアップ、そして芯のある魅力的な国内外の学生たち。その学生から色とりどりの体験談を聞く中で、皆が共通して持っていた『英語』に大事なことを思い出させてもらった。英語は受験科目じゃなくて、人を繋ぐために必要な『手段』だったこと。

まずは使える英語を鍛えようと、5ヶ月間英語づけの生活後、少ないバイト代を握ってアメリカに1人向かった。お金がなくて、かの有名なサンフランシスコ空港看板前で一泊?して、格安国内便で真夏のユタ州へ。

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1ヶ月間素敵なホストファミリーに恵まれ、小学5年生のクラスでアシスタントボランティアをした。たった1ヶ月、どれだけ会話をできるか行動に工夫を凝らしまくって過ごしたのが懐かしい。

帰国後は日本で英語を使う機会を創り続けることに必死だった。成田空港の国際線ターミナルでアルバイトをして毎週世界中の人と話をしたり、アイルランド出身の大学教授にお世話になってスピーチコンテストに挑戦したり、模擬国連に参加したり。気づくとたった1年間で自分でも驚くほど表現できるようになっていた。

勉強を始めた当初は手段を手に入れるために準備していたつもりだったけれど、いつの間にか学びたい一心でアメリカまで行ってたくさんの挑戦を詰んでいた。その挑戦は私に次の機会を与えてくれて、活動の幅をどんどん広げていってくれた。UXデザインもその延長線上に見つけることができた。

ー英語という手段にこだわる理由

思っているよりも英語があるだけでチャンスが転がってくる。普段の生活では出会えない世界が、ちょっと英語を使って足を踏み入れたすぐ先にあったりする。こんなワクワク感を与えてくれる環境に踏み出すための手段だから、私には英語が必要なんだと思う。

そしてあらゆる場面で英語は自分の視野を広げてくれる。幼い頃の悩みだった個性を許容してくれたのは、日本の外の多様な文化だった。その頃はまだ英語はうまく話せなかったけど、同化しないと浮いてしまう学校の中でも自分らしさを貫けたのは、海外旅行で触れた人々の個性の豊さに勇気づけられ、外には私の居場所があることを知っていたからだと思う。

就活も同じ。就活の流れに違和感を感じた時に、突然海外のスタートアップイベントに参加してランダムに声をかけてどんな風にキャリアを切り開いたのか聞いてみた。その誰もエントリー期間に間に合わせるなんて言ってなくて、無意識のうちに視野が狭くなっていたことに気づかされた。縛られていた鎖がスルッと解けたかのような気持ちになり、その後は自分のペースでキャリアを捉えられるようになっていた。

英語を使って外の世界に手が届くと、すごく解き放たれた広い視野で自分自身を客観的に捉えることができ、何度も助けられた。だからこの先も私は英語を鍛えながら手段として使い続け、経験と視野を広げ続けていきたい。

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💌大切な人たちへの感謝の気持ち

大学4年間は生きてきた22年間の中で最も身近な人の存在の偉大さを感じる期間になった。大好きなおばあちゃん、尊敬するおじいちゃんが他界した時にはその重さに押し潰され、終いには長く過ごした大切な人との別れに心の区切りをつけられず。色んなことが重なって、どん底みたいな気分で数ヶ月も寝込んでいた時もあった。大切な人たちがいなくなって気づくことが多すぎた。

そんな時に支えになってくれたのが友人たち。私はずっと自分のやりたいことに夢中すぎて連絡を取っていなかったにも関わらず、たくさん話を聞いてくれて意見をくれて、国内でも国外でも楽しい所に連れて行ってくれた。あんなに四六時中泣いてる私を、連れ回すのはかなり大変だったと思う。そのおかげで今の私がいる。

元気になってからも、いつも突っ走って1人で疲れこむ私を知って、気分転換に誘ってくれたり、たくさん話を聞いてくれたり、モチベーションをくれた。そして学生のわりに冒険や仕事に夢中で大学にいない私を気にかけてくれた。こうして手を引っ張ってもらえなかったら、私は卒業できていなかったかもしれない。

そしてもちろん、幼い頃から自由に飛び回る私を全力で応援してくれる、自慢の両親への感謝の気持ちは一倍強い。普段何もできない22歳で面倒をかけている分、これからしっかり恩返ししないと。

支えてくれる素敵な人たちの存在に、ただただ助けられたそんな4年間。その存在のありがたさに気づくのが遅かったと後悔した時もあったからこそ、この先も大切にさせてください!

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🌸春に向けて

改めて4年間を振り返りながら、あの時何を感じたか思い出して、その感情の核を辿りながら言葉にすることはとても疲れたし恥ずかしいような気持ちだけど、今残さないと数年後にはきっと忘れてしまう。数年後にこのnoteを振り返りにきて、どう感じるか、また懲りずに自問自答しに戻ってきたい。

正直、春からの新しい生活にはかなり緊張気味。でも「たくさんの不安を、挑戦する勇気に」津田塾大学の卒業式で学長が送ってくれた言葉を忘れず、また私らしく一歩ずつ前に進んでいきます。

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