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「あんぎお日記」(1991年12月12日)

十二月十二日(木)
 手術前日。N兄はイタリアへ、Cは香港へと行く日。
 光が夜に浸み込んできて、あちこちのビルの屋上に霜が銀色から溶け始める。
 自分が世界に曝されているという感覚は私にとってとても重要だ。パリやミラノで経験したようなあの状態を思い返してみる。瞬時の移動。
 毎日日記を書くように曲を書いている。自然に書き進んでいける。滞りなく。すでに決定されているものを掘り出していくように五線紙に固定していく。
 『スティル・ライフ』(池澤夏樹)読了。三十歳から三年間ギリシャに滞在した作家のこの作品は、何か不可思議な種類の感情を私に孕ませた。その文体のうまさに感動したりしたわけではない。社会に対する彼の距離感。社会の中にいながら、つまり社会の一構成要素でありながら、その精神は社会に属していない。その態度、生に共鳴し、自分自身の生の戦略に再び「自分」を与える。
 明日の手術を前にして、自分の中には来るべき事態への身構えや緊張感がない。粛々と手術へと進んでいく病院の時間の流れとは別の、私自身の人生の流れに乗って私は進んでいく。今回の病気のピークはあの予備手術だったのだ。あれ以降の入院生活はゆったりとしたリリースでしかない。
 生計を立てていければ何をやっていっても良いということ。それが一生の送り方の基本。このことは日本で生活していると、特に東京にいるととても実感できない。「社会的になる」とは、もの凄い勢いで流れる社会システムの濁流の中に身を投じるようなものに思える。イタリアにいたとき、自分の生活は自分を中心に据えて、そこから手の届くところで、この両手で取り扱われるような感覚があった。自分の思考、自分の行動。自発的な。東京では一種、条件反射的な、変化する状況に対する反応力が必要とされる。では仙台は東京よりのんびりとしている分だけ楽かというとそんなことは全くない。閉鎖性、他人に対する尊敬の欠落。こういったものが私をゆっくりと殺す。土中の穴に突き落とし、少しずつ土をかけていくように。
 平賀源内のようなディレッタントは江戸のような大都市にしか生まれえない。
 その水の流れは途中から途轍もない方向に進んでいくように思われた。このまま行けばそのうちに立ち枯れてしまうか、そうでなくても小さい淀みをつくってそこで絶えてしまうのか。しかし意外にもその流れは思いもかけぬ方向へと曲がりくねりながらも、途絶えることなく大海へと注ぎ込んだのだ。
 もともと左右全く同じ形をしていたスリッパもこの入院生活の中で左用と右用に変成してしまった。
 今日はキーボードを箱から出すのはやめにしておとなしくしていよう。もうすぐ来る麻酔科の先生を待つ。


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