【背景】2


これは前回の続きになっている。



死亡事故だった。スピード違反の車に巻き込まれるという、何処かで聞いたことがあるような普通の事故だった。
自分の友人がこんな形でテレビに出ることになるとは、これもやはり神の悪銭か。

能瀬翔哉。彼はよくショウというあだ名で同じ大学の他の奴らから呼ばれていた。自身ではあまり整えてないらしいが、綺麗に整って見えるマッシュの黒髪は、俺にとってとても羨ましいものだった。誰に対しても明るく接し、誰かの悪口は全く言わない。けれど冗談はきくヤツで、沢山の同輩先輩から好かれていた。
ショウは魅力的な面が多かった。ただ一点を除いて。
ショウは過去の俺に執着していた。

「私と本を書いて欲しいんだ」
まだ何か言わんとしている彼の言葉を遮る。
「断る」
「私からの頼みを即座に拒否するなんて全く酷いじゃないか。断るのは具体的な話を聞いてからにして欲しいものだ。」
やれやれとわざとらしく肩を竦めて彼は珈琲を一口飲んで俺を見据えた。

「君について書きたいんだ。」
俺は乱暴に椅子を引いて立ち上がった。
「帰る。こんなくだらない話に付き合ってられない。俺の何が面白い。協力者なら別のやつを選べ。時間が無駄になった。校長の長話を聞いていた気分だ。」
「あぁ、校長。高校で青春やってた時のジミーね。」
盆栽に興味があるとかなんやらで学校の集会がある際その話を必ずしてくる。植える位置によって風情が決まるだとか形の整え方だとか誰得なのか疑問に思わせてくる長話をよくやられたものだ。
誰も興味が無いというのに。趣味が地味だからなどの理由でジミーがあだ名だと誰かが言い始め、すぐさまその名は広まった。可哀想なものだが、ジミーと呼ばれるようになってから集会の時急にタピオカの話をしてきたのは呆れたものだ。
「あの時の君は今とは全然違う生徒だった。」

生徒。俺はこの言葉があまり好きでは無い。まだ成長仕切っていない未熟さが染み出ている言葉。教師に己が理解出来ないことを伝えわざわざ質問しに行く自分を想像すると反吐が出る。自分の未熟さを思い出してしまう。だから俺は、そんな理想と離れた不完全な状態の己を自分の目に映したくないが故に、ひたすら本を読んだ。こなれた様に見える文章の書き方の参考書、文豪、平安以降に作られた和歌を手当り次第。それでも理想にたどり着ける日など、到底こないだろう。学ぶ意欲のためでなく自分に映る己を良くしたいがためにしている今の自分が努力しているとも思えない。
将来なりたいものなどなくて、ただ理想に近づけば道が開くなどと思っていた自分は、あっという間に成人し、大学卒業後のことなど全く考えていない。

彼が言うように、昔の俺には夢があり希望があった。努力すれば何にもなれると。医者になりたいと思ったこともあった。教師になりたいと思ったこともあった。本気でそれになろうとして、独学で勉強したこともあった。けれど、努力する手前で本当に俺はその理想になりたいのか分からなくなり、夢はころころ変わるようになり、そんな中途半端な己を恥じて俺は夢を他人に言わなくなった。

完璧主義なくせに中途半端な自分が嫌になり、食事が喉を通らない時さえあった。

一般家庭より少しだけ裕福な暮らしをして、親の愛情を受けて育ってきたはずなのに、俺は何をしているのだろう。

「君の能力に惹き付けられて提案しているんじゃない。勿論君の能力は素晴らしい。あんなに沢山の文章を読了した友人は見たことがない。」
人、ではなく友人と解すショウは俺を見て口角を上げる。

「私には君の輝きがわかる。私は君が分からないことを知っている。私は君のすべてを書きたいんだ。中学高校美術の模写をやったことがあるだろう。全体をみたら大体わかった気になって適当に描いたらよく先生に叱られたものだよ。そう、美術の模写のように、一つ一つの表現は繊細にしかしこれが君だと確かに言える証明となる文を、私は描きたいんだ。」

「随分と大袈裟だな」
口にした台詞とは裏腹に、俺は彼が思い描き生み出すものに対する好奇心を抑えられずにいた。

珈琲を置き、空いている席をぼんやりと眺める。
あいつが書いたもの、著したものを俺はまだ一文字でさえ読んでいないのだ。黒く汚れた原稿用紙の一ページを躊躇いながらめくった。

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