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母子登校で見えた景色②~教室は無理して行く場所ではない〜

母子登校を始めた2022秋。

仕事はというと、クビにはならなかった。
上司の配慮で特例で、事務業務を一手に担い、一時的に在宅ワークの業務に徹することを許可してくれた。勤務時間数は減らして、時短という形で常勤で継続出来ることになったのだ。
せめて冬のボーナスまで首を繋ぎたいと思っていたので、めっちゃ有難かった。

しかし、この頃私は持病のリウマチ症状である関節痛が全身に強くあり、教室の換気により身体が冷えて冷えて冷えまくって、関節が痛すぎて歩くのもままならない日もあった。
ある日はトイレに行きたいのに身体が動かなくて漏らしそうになって、そんな自分が情けなくて1人で泣いた。

娘は1.2時間だけ学校に行ったり、休んだり。
動かないもんだから、娘が太り始めて、運動させなきゃと思った。


さらに慣れない在宅ワークと学校、家での勉強や痛みを抱えながら運動不足解消のための公園遊びと心も身体も疲弊していた。

せっかく仕事が続けられるようにしてくれたのに、あまりに私が背負っているものが多すぎて、パンク寸前だった。
うまく回らないことを仕事のせいにしたり、子供のせいにしたり、学校のせいにしたり、自分を責めたりして、苦しかった。


仕事しないで不登校児を見れたら
お金に余裕があれば、の、
たられば思考。

夫に愚痴ったり当たったりして爆発しながら、少しづつ落ち着きを取り戻していく。

575であらわすと、「母子登校、いろいろかさなり、つらかった」



まだまだ続く、驚いたこと

連帯責任。マスク警察ならぬ私語警察。

体育館に向かう途中、おしゃべりしたからと数人の子達が教室からやりなおし。
それを2回ほど繰り返し、やり直してる間は他の子は体育館前で待機。
みんな揃って体育がはじめられたのは、
授業終了前15分くらいだった…!?Σ(・ω・;

連帯責任。ここは軍隊か?!
教室から体育館までの移動で教室は1個しかない。教室の前以外でしゃべってもよくないか?

体育が終わり、先生不在の教室の中、子供たちだけで着替えをしていた。
その中で飛び交う会話
「〇〇くん、今しゃべったから体育館からやりなおしだよ!!」
「しゃべってないよ!」「しゃべってたよ!」
子供同士で、黙って着替えない子供を注意していた。

雰囲気悪。マスク警察ならぬ私語警察じゃん。こわ。

先生が教えたいことってこういうことなの?
もやもや。だとしたら、、、私の学んでほしいこととは違う。

学校にいるが、つまらなそうな子供たち

大人が学校にいることで話しかけてくる子がたくさんいた。

学校は楽しいか聞くとたいていつまらない、という。嫌だけどしょうがない、という。

そうなのかー。

授業中、廊下を歩いていると、廊下に長女のクラスの女子ふたり。
授業をさぼっているようだ。

保健室登校している子供たち。勉強を教えてもらったり、保健室登校仲間としゃべったり。授業に出るよう促され、しぶしぶ教室に向かっている。

学校っていったいなんだ?
何のために行くんだ??
嫌々学校に来てただ時間をつぶしているみたい。それでいいのか?


親は嫌々しぶしぶでも行ってくれれば正直助かる。でもそれでいいんだろうか。

教育の在り方を色々考えさせられる。
子供には楽しく充実した時間を送ってもらいたい。
それが叶うのなら学校に行ってほしい。でもそれが難しいのなら学校には行かなくてもいいのかもしれない。そう思い始めた。

担任への信頼、ついにゼロに。このクラスには戻らなくていいや。

娘は担任の先生が嫌いと度々口にしていた。それでも、担任の先生と娘が仲良くなれたら学校に行きやすいかと思い、私の思いつく範囲で先生と娘が仲良くなれる方法を考えお願いしたいことは伝えてきた。
ただ、私は登校しぶりが始まったころから担任の先生からのアプローチがほとんどなくお願いしたことに継続性もないことに関して誠意を感じられずモヤモヤした気持ちで過ごしていた。そんな中、母子登校を始めたことで先生のほかの児童への対応を含めて信頼感を失ってきていた。

娘の学校はiPadの中のアプリを使っての授業が時々あり、雨の日は休み時間に使用していいことになっている。
学校に一人で行けていたころから、自分のiPadのアプリがログイン入力画面になっていて、何回も先生に言っているが「後でね」、といわれてアプリが使えない、と娘が話していた。私は連絡帳にログインをして欲しいことを記載したこともあった。

母子登校になってからのある日、ほかの教室でみんなが授業をするのに娘が移動を嫌がって、私と二人で教室で待機する日があり、先生がiPadを使って待ってていいよ、といった。
だけど娘のiPadのアプリはまだログインされていなくて、使えなかった。そのことを先生に伝えたら、「そうだったね、ログインできなかったんだよね、じゃあアプリ以外のものを使って待っててね」といった。私は授業終わりにログインをしていただけるようお願いしておいた。
先生に伝えた回数は、娘が6回、私が2回の8回目だった(娘が数えてた)。
忘れすぎだけど、その日は仕方ないね、先生も忙しいからね、と娘と話して終わった。

その翌日、授業でiPadを使う日がやってきた。
娘のiPadアプリは、、、ログインされていなかった。
え??昨日頼んだのに?昨日だよ??今日授業で使うことは先生知ってたよね??

先生に伝えると、やっぱり忘れていて、ほかの子のを使ってやって。と言われた。

え??やってくれないの??ずっとお願いしてきていたのに。先延ばししたらまた忘れるでしょ?

娘は渋々ほかの子のを使ってやっていたが、保存ができないので、自分のでやりたい、、、と泣き出してしまった。

そんな娘を見て、私も泣きたい気持ちでいっぱいになった。
そりゃそうだよ。何度頼んできた?
私も、娘の気持ちが伝わって悲しくて悔しくて、はらわたが煮えくり返る思いで先生に訴えた。
「先生、他の子のではできないです。今ログインしてきてもらうのは難しいんですか?」

私の圧に勘づいたのか、先生はすぐ職員室に戻り、ログインしてきてくれた。渡すとき、「ごめんごめん、〇〇ちゃん、はい。」と軽く渡された。
マジでこいつ。。。(口悪い)
子供だけだったら泣き寝入りだった。

担任の先生は学校にくるのを「待ってるね」と口では言ってくるけど、子供の気持ちに全く寄り添わない自分中心のズレた言動が多くて、娘と先生との心の距離がどんどん離れていくのを感じた。

このクラスに戻ることは娘にとっては苦痛だ。1年生の間は戻ることをあきらめよう、という結論に至った。

教室は母娘とも無理していく場所ではなくなり、自然と足が向かなくなった。




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