出口のない場所で

 人間誰しも出口のない場所で、心が疲労して動けない時がある。
そういう時に、誰かが助けてくれるわけでもないのはわかっているし、自分で答えを見つけ出そうとしてもいろんな事態が絡み合ってうまくいかないと思って絶望的になる時もある。
そういう時、ひたすら耐えて忍んできた人は、
「またか、そっと身を縮め、安全な場所で、嵐が過ぎ去るのを待とう。」と多くは期待せず、今あるこの場所に佇む。
もがけばもがくほど自分を傷つけるからだ。
 それでもやっていけた時は良い。精神論で支えられてた時は充分に耐えれた。ある時、精神から体に異常がでた。精神と身体的なダブルパンチになると事態は深刻だ。精神論を支える体が辛いとなると、1軍惨敗、2軍病欠、私の中にある余力は、あるんだろうか?なんとも心細さに不安になる。
 でも死のうとは思わない。沢山の人が亡くなるのを見てきた。
生きたくても生きれなかった命がある。命はどんなに幼くても年老いてもそれは尊くて、肉体から消えるまで本当に美しい。息を引き取る1秒まで人間は美しく生きている。余命を宣告された人も残りの時間を見つめ、生き方を考えて、最後の最後まで辛いけど頑張っている。周りの人間も同じだ。最期までこの人を見届けようと辛い気持ちを隠しながら頑張っている。生きているただそれだけでいいのだ。生きてくれているだけいいのだ。誰かの役に立たなくてもいい。偉い人やお金持ちにならなくてもいい。誰かが死に物狂いであなたを産んでくれ、誰かに育てられなければここまで育たなかった貴重な命なんだ。自分が辛いだけで絶ってはいけない。そう思うからこそ、私は死ねない。死にたくないんだ。 
 体調を崩して、健康でいるということをさらに考えた。もしかしたらこの体調で心臓に負担がかかって死んでしまうのではないかと考え過ぎかもしれないが、不安にもなった。病気というのは急にくる。それがまだ改善できる時期に現れるかそうでないかは運のような気もする。
色々考えて、もやもやとした気持ちの私は、この不安な気持ちを友達に伝えたくなった。同世代の友に伝えると「まだお互い死にたくないね。」と言ってくれた。そうだ、まだ死にたくないんだ。
友達が私の気持ちをさっぱりと言葉にしてくれたことに、まさにそうだよ!と思えて、共感できる友がいることに心強さを感じた。
そこで私は死なない方法を考えることにした。まだ余命宣告ではないので、改善の余地はあるだろう。まず、コロナ禍で増えてしまった体重を下げること、生活習慣病を抑える努力をすることにした。

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