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自分で選べば選ぶほど、人生は楽しくなる

今回は、前回の記事に入りきらなかった価値観の話。


息子について夫と話していると、こんなことをさせたいどんな風に育ってほしいだのをいってしまい、プレッシャーになるとよくないなぁと思いつつどうしても第一子ゆえに期待を募らせてしまう。

そんな夫婦の思い描くキラキラ未来像の中でも、夫のいうことに「それはちょっと違うなぁ」と思うこともある。(そしてしっかり夫に言う)
私たち二人も育った環境は全く同じではないし、そのときどう思ったかも違うから、どこに価値を見出すかも当たり前に違ってくる。保育園に入れるか、私が家でみるかの意見の違いもそのひとつだ。


仮に主婦になったときを想像すると、私は息子を私一人の価値観に染めてしまうのではないかと、なんだか怖くなってしまう。
保育園に入れば他の大人や子どもから色んな刺激を受けるだろう。理不尽な目にあい、混乱することもあると思う。でも、そうなってほしいと思う。
親としてはそんな時に安心させてあげられる存在であればいいのではないのだろうか。

私も幼い頃、父と母から違うことをいわれて混乱した記憶がある。「どっちなのよ!」「父(母)に言われた通りにしたのに」と。
でも今ならわかる、どっちでもよかったのだ。私が自分の意志で選ぶことに意味があった。

父と母の考えが全く同じじゃなくてよかったのだ。どっちのほうがいいとか、正しいとかではない。違う二人でよかった。違うから自分で選べた。振り返れば、そう思える。

夫と私の子育てへの価値観の違いも、夫婦の話し合いはもちろん必要だし積極的にやっていくつもりだけど、全く同じにしなきゃいけないとは思わない。夫と私の意見が違うままでもいいのだ。

どちらの意見を取るか、それは息子が選べばいい。
それぞれに良い顔するような処世術だって覚えたりしながら。

人生は自分で選べば選ぶほど、楽しいから
親の期待なんか気にせず、のびのびと育ってほしい。



(ただ、好きな人を泣かせるような男に育ててはいかんな…とは思っている。)

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