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当時、僕は外人だった |パリの国連で夢を食う。 川内 有緒 (著) | #塚本本棚

娘の為に、待遇最強と聞いた国連職員というものへのルートを知っておこうと手に取った本書。しかしなんだか、僕自身の駐在体験を思い出して懐かしくなりました。当時、僕は外人でした。


今日は「パリの国連で夢を食う。( https://amzn.to/3e6Jr2U )」 川内 有緒 (著) #塚本本棚

【紹介文】
チャンスを摑んだのは31歳の時。2年前に応募した国連から突然書類審査に合格との知らせが舞い込んだ。2000倍の倍率を勝ち抜き、いざパリへ。世界一のお役所のガチガチな官僚機構とカオスな組織運営にビックリしながら、世界中から集まる野性味あふれる愉快な同僚達と、個性的な生き方をする友人らに囲まれて過ごした5年半の痛快パリ滞在記。

【書評】
チャンギ空港から海外の問題解決のために飛び立つ緊張の朝日、承認欲が満たされたチャイムスでのディナー、ヤレヤレまみれのカッページでの接待、絶対に食べなかったドリアン、クラークキーの夕暮れ、セントーサで聞いたオーケストラ、春節の賑わい、雪の降らないクリスマス...シンガポール駐在当時の事を思い出します。

赴任初日からいきなり放り込まれた人種のるつぼ。英語、広東語、ヒンディー語、マレー語、タガログ語が入り乱れるオフィス。議論で劣勢と見るや広東語に切り替えて僕そっちのけで議論を通そうとするシンガポリアンの同僚、マレー語で世間話をしながらさぼる秘書達...そんな日々。

何をしていいかわからないあの時の状況や、はじめは相手の文化背景を理解しようと頑張るものの、時がたつにつれ結局は”触れてはいけない所の境界を知る”事が大事だと感じたこととか...まぁ僕は住環境は絶望的ではなかったけれど、あの時の不安な感じが思い出され、とても懐かしかったです。


この椅子にたどり着いた自分に誇らしさはあるものの、期待と不安が入り混じった日々でした。

全員が非ネイティブで、文化背景も様々。そんな中での会話の難しさや戸惑い、日本の国際企業での日本人駐在員と現地マネージャー候補の待遇問題、現地採用のヒエラルキーや、出稼ぎ労働者との格差、日本よりあからさまなお金持ちへのえこひいきなど、どれもこれも懐かしい。

その後、僕も起業しましたが理由は似たようなもので、自分の人生を自分の力で歩むため。その方が絶対楽しいと感じたし、今でも後悔はありません。


大丈夫。僕は今日をちゃんと生きています。

著者の川内さんは今49歳。僕の6年先を生きてらっしゃる。

僕は都市部が大好きだけど、最近は田舎の良さもわかる気がします。
40代からの先の生き方はまだ見えず、川内さんがこれからどう生きていかれるのかは、僕にとってちょっと興味深いなと感じ、フォローしてみようと思いました。


【本を読んで考えた・メモ】
・国連への採用は狭き門。外務省の制度を利用したり、ヤング・プロフェッショナルという制度を利用したり、官僚となり省庁から出向したりと、それでも倍率もとてつもなく高そうで、だからといって現地短期雇用は給料も底辺で悪手(この枠は絶対に目指してはいけない)。なので就職を目指すというよりは、チャンスが来たらつかむというような感じなのかも

・とはいえ、他国と比べれば日本は拠出金も多く人口も多いので、たくさんの採用枠があるが日本人職員は少なく、どちらかと言えばかなり優位に採用されるようだ(女性は更に)。採用されれば福利厚生や年金は破格

・国際免許で慣れない異国の道路を運転した時のことも、日本語が一切ないメニューと会話の中で、軽快にオーダーする同僚に嫉妬した夜も思い出す

・僕もシンガポールでの堅苦しい仕事ばっかりだったら、著者のようにアーティストの自由に憧れてヒッピーな生活に飛び出したかもしれなかったなぁ。何かに疲れちゃって。でも僕はそこで金融マーケットに出会った

・国連内での人事の硬直性は相当のものなようだ。自分のやりたい仕事にたどり着くには過分に運の要素も強そう

・やりたい仕事にたどり着けない。でも年金は手厚いので我慢のしがいはある。しかし満額もらうには25年しがみつくしかない。それとどう人生の折り合いが付けられるかが、国連職員を完遂するコツみたいだ。年金をもらうために、ピンとこない仕事を25年も我慢する?

・豊かで幸せな人生とは、必ずしも承認欲求が満たされた高給安定な場所にしがみつく事とイコールでない事がよくわかる。そう考えれば、変化に対する恐れも少なくなる

・安定が確実にあるなら、人は変化しない。変化しなければ組織は硬直化してしまう。それが国連の組織問題らしかった

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