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真夜中のおふろ屋さん

 深夜、銭湯に行ってきた。私の自宅の周囲には、まだいくつかおふろ屋さんが残っている。思い立ったのが遅くなり、きょうは隣街まで足を伸ばした。ここの銭湯は、25時まで営業している。

 少し気温の下がった夜道を歩く。感染症対策で、自治体から要請が出ているためか、商店街は静まり返っていた。コンビニの明かりをみて、なんだかホッとする。そのコンビニにも客はまばらだ。店の軒先に座り込んで夜な夜なだべる、「夏の風物詩」の高校生や大学生も見かけない。誰かエラい人が言っていたけれど、今年は本当に「特別な夏」だ。

 この時間だと、普段はとてもすいているのに、今夜の銭湯は、やけに人が多かった。みんな、行き場をなくしているのだろうか。体を洗い、露天ぶろにつかる。エアコンで硬くなった全身が、じんわりとほぐれていった。仰ぎ見た夏空は、いつもと変わらず澄んだ藍色で、ひどいウイルスが蔓延していることが、まるで噓のように感じられた。

 薄暗い照明を映し出した湯の水面(みなも)が、ゆらゆらと揺れている。肩まで身を沈め、黙ったまま、しばらくその様子を眺めていた。ほかの誰もが口を閉ざし、湯船につかっている。

 ふいに、大学時代のことを思い出した。地方出身者が半分ぐらいを占めていた。あの頃、ユニットバス付きのアパートに住んでいる仲間は少数派だった。だから、何人かで連れだって、よく銭湯に行った。間に合わないと、数少ない「風呂付き住居」に住んでいる友だちの家に押しかけた。入学からしばらく経つと、そういう貴重な仲間に限って、恋人と半同棲をはじめてしまう。さすがに深夜には行きづらく、最後の手段でサークル棟に足を運んだ。

 当時はまだ、大学の警備は甘く、サークル棟は24時間、開放されていた。体育会が入る低層の建物の1階に、シャワー室があり、夜中でも使うことができた。この季節、薄暗いシャワー室には、ぬるくて湿った空気が充満し、なんだか不気味だった。「一日ぐらいシャワー浴びなくても平気だよ」という友だちを拝み倒し、ついてきてもらった。

 さっぱりすると、サークル棟のすぐ脇にある古い平屋の大講堂に忍び込む。窓から差し込む月明かりを頼りに、持参したビールを飲んだ。大講堂はなぜか施錠されていなかった。木造のステージの上に、ちょっと調律の狂ったアップライトピアノが置かれていた。やっぱり鍵はかかっていない。私は首にタオルをぶら下げて、ビールの缶を脇に置き、へたくそなピアノを弾いた。深夜、というか、すでに未明に近い時間でも、誰にも文句は言われない。友だちしかいない大講堂で、勝手に「夜のリサイタル」をするのは楽しかった。振り返ると、まるで独りよがりのジャイアンだ。在学中、大講堂は取り壊され、今では思い出の中にしか残っていない。

 露天ぶろを出て、服を着替える。番台の前には休憩スペースがある。椅子に腰掛け、ポカリスエットを飲んだ。この銭湯の自販機には、酒類が入っていないのだ。火照った体の真ん中を、冷えた電解質の液体が、するする流れ落ちていく。もうずいぶん長いこと、飲み会も、遠出もしていない。終日、自室でパソコンに向かっているような日が続き、なんだか気持ちが沈んでいた。ここ数日は、猛暑に追い打ちをかけられて、体力まで奪われている。

 懸命に感染症に立ち向かってくれている医療従事者がいる。職業的になんの役にも立たないから、せめて、STAY HOMEで協力しようと思っているけど、まるで先が見えなくて、弱い私は気が滅入る。大好きな夏も、残すところ3週間だ。「特別な夏」をどう過ごそう。気のおけない仲間たちと、ジョッキ片手に、時間さえも気にせずに、とりとめのない話をしたい。遠い昔のあの日々が、今さらながらに得がたいものだったと感じられる。

 外に出ると、気持ちのいい夜風が、頰をなぜた。ワンコインで気晴らしをさせてくれるおふろ屋さんに、しみじみ感謝する。銭湯は全国で、年々数を減らしている。内風呂の普及と後継者不足が理由だそうだ。学生時代に何度も通ったあの銭湯は、まだ頑張っているのだろうか。

 帰り道、闇夜に沈んだ街からは、さらに人の姿が消えていた。学生時代を思い出したためだろう。私はなんだか、とてもノスタルジックでセンチメンタルな気持ちになって、家路についた。

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