見出し画像

解像度の高さで主導権を掴む

なぜ家庭において、妻は強く夫は弱いのか。。。
この永遠のテーマについて、先ほどはっとひらめいた。
それは「解像度」が大きく影響しているのではないかということだ。

大体の場合、妻側は家庭に対しての要望が高い。
トイレの蓋、食器の片付けの仕方、洗濯物の干し方、献立等。
大体の家庭において違和感はないのではないか。

そして、その要望に見合わなかった時には深いため息であったり、叱責であったり、無言の行動であったりで、夫側に「あなたは私の要望を満たしていない」といった事を伝えてくれるのである。ほとんどの場合夫はなす全てがなく防戦一方。「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ・・・Poison」と心の中で毒づきながらも謝っている。

家でも職場でもなんでこんなに虐げられなければいけないのではと思っていたが、思い出してみよう。新人の時や、マネジメントが変わった際に似たような経験をしたことはないだろうか?
提案書を見せた時「あれ、この資料で言いたいことって??なんでシミュレーションが入っていないの?」「XX社はタバコ嫌いだから接待の時は禁煙の店って言ったよね?(え?聞いてないし)」「商談決めないでタクシー使うなんて考えられないよね?」などなど。自分の知らない常識をもとに会話をされてモヤモヤするあの感じだ。

極論言うと、社会通念をクリアした上での、何が正しくて悪いなんて個人間や組織間の合意で決めていくものであり何が絶対に正しいとはなかなか決めにくいものがある。ただ一方で、上記で記載したような「妻」「上司」などのように「基準」を持っている人間は強いのだ。その基準が正しいかどうかは別にして基準をもとに物事を指示してくるために、必ず(納得できるか否かは別にして)根拠を持っている。この根拠があると主張は強く、相手を打ち負かす事ができる。とはいえあまりにも身勝手な根拠だとそれはハレーションを産んでしまうし、自らの価値を下げてしまう。ではいったいどんな根拠を元に作られる「基準」が強いのだろう?

それは一重に解像度であると私は思う。

妻の場合は、二日連続で同じものを食べたくないとか、トイレの蓋を開けっぱなしにしておくと匂いが籠るとか、洗い物はその日のうちに片付けないと汚れが溜まるとか、家庭内でどんなトラブルがどんな要因によって起こるかを熟知している(それは、そんなもの別にどうでもいいじゃないかと思える夫より家庭内に対しての解像度が高いと言える)。また上司は自分の組織におけるルールやスムーズな運営などを熟知しており(少なくともその上司の頭の中では)それを元に指示を出しているとも言える(また上司であるが故にその更に上の上司の指摘ポイントなども抑えているケースが多く、何が不利益になるかを知っている事も多いのだろう)。

だからこそ、彼ら彼女らにとっては当たり前な事を、当たり前でない受け手の立場では辛いものと感じてしまうのである。

物事における解像度が高ければその解像度を元に、主導権を取ることができるし逆にその解像度が相手に対して劣っていれば主導権を奪われてしまう事になる。大切なのはその場(家庭なら家庭、職場なら職場)における解像度の高さである。急に日本経済の話で主導権を取ろうとしても、相手に興味がなければ以上終了となってしまう。

当たり前の事を長々と書いてしまったが、私もこれから家の解像度を高めて家庭での主導権を取り戻そうと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?