大嫌いだったピアノ再び

4歳から12歳までの間習っていたピアノ。あの昭和の頃は
女の子はみんな当たり前の様に習い事と言えばピアノだった。

みんな得意不得意があると思うんだけど、私は本当に嫌で嫌でしょうがなかった。
引っ越しなんかで何度か先生が変わったけど最後の先生が一番厳しく
常に楽譜本が5冊もあった。
私の様にやる気がなくバイエル終えるのに何年もかかっているし、全然練習してこないし、やる気がないのが見え見えなのにあの先生も良く諦めずに付き合ってくれていたもんだ。
しかしあの先生、怖かったなー。『何で練習してこないの??』と何度もブチ切れられたし、どうしても動かない指を鍵盤に痛い程押し付けられた事もある。
そう言う時は怖いし悲しいし、涙で楽譜が滲んで見えなく、ただレッスン時間が早く過ぎて行く事を耐え忍んで待っていた。


習い事はバレエやお琴や書道やら公文やら色々やった。他のはもう辞めたいと言えば ”あ、そう、、”って簡単に辞めさせてくれたのに何故かピアノだけは絶対に辞めさせてくれなないのか?と食い下がる私に 『何か一つくらいは続けなさい!!!』と説き伏せられていた。
その何か一つが何故ピアノでなくちゃならないのか??
あの頃の母の口癖は ”女の人はもし一人で生きていかないといけなくなった時、せめてピアノくらい家で教えられる位に手に職があれば食べていける” などと良く言っていた。
それくらい女というのは結婚出来なかった場合、もしくは結婚後に沢山の仕事の選択肢はなかったという事で母も単純に ”女が自立出来る為”に娘に準備させる唯一考えられる ”習い事” だったのだろう。

しかし心から嫌で嫌で (先生怖いし)毎週土曜日の午後にあったレッスンが近づく木曜日くらいから段々と暗い気持ちになった。そう言う状態をまーよく小学校卒業まで、8年間も続けたものだ。
妙な我慢強さがあったんだと今更ながら自分でも感心。
大人になってからは全く辛抱強さがない今の自分と同じ人間とは思えない。
辞めさせてもらえたきっかけは、母がある人からこういう風に聞かされたからだそう。
”本当に好きなものは辞めてから何年経ってもきっとまたやりたくなる、そうなった時こそが本物だから嫌がっているのを無理にやらせる事はない”
そう聞いてそれもそうだな、、あんた辞めるか?と私に聞いてくれた。
あの時の気持ちをどう表現すれば良いのだろう。
長年牢屋に入っていて初めてシャバに出た様な、、? 笑
母にその素晴らしいセオリーを植え付けてくれた ”その人”に感謝しても仕切れない。


5年後。高校に入ってあの当時流行っていた 『レベッカ』のコピーバンドを組む様になり、唯一自分が出来る楽器と言えばピアノだったので私はキーボードを担当した。そこではピアノの様な複雑なものはほとんど無く、当時一斉を風靡したシンセサイザーを使い熟す事の方に重点をおいたのでピアノが好きとか弾けるとか、疑問にさえ思わなかった。

さらに5年後、アメリカに来てから生まれて初めてクラシック音楽が良いと思える様になった。特にベートーベンやエリックサティや、ドビッシーやバッハが好きだった。それも特にピアノのソロが、、、

大学在籍中に一人旅で初めて真冬に訪れたパリでヨーロッパの古い町並みを見た時にそれらの音楽の音色が身体の奥の方から静かに聞こえ出した。滞在中ずっと音色は頭の中を周り続けた。クラシック音楽は特にピアノの音色が好きなんだ、『あんな風にピアノが弾けたら良いだろうな、、、』と生まれて初めて思った。
私があんなにピアノのレッスンが嫌いだったのは弾いてる曲をまともに聞いた事もなかったからだ。まず曲を好きになって弾いて見たいと思う気持ちがないと音楽なんて演奏出来ないのではないか、、、

美味しい物を食べた事がない人にレシピだけを渡してテクニックだけど教え込もうとしても意味がない。美味しい料理と言うのは作ってる人が美味しいものを作りたい、と言う目指すものがあっての事だし、味を知っていると言うのは自信が美味しい物を食べた事があってそれを作りたいと思うからだ。

50も超えた今頃、友人が綺麗にピアノを弾いているのを聞いて心から ”私も弾いてみたい” と思い始めた。
あいにくピアノはなくてキーボードしか手元にないし楽譜もないが、ピアノのレッスンを丁寧に教えてくれるアプリがあると知って早速さっきダウンロードしてみた。
8年間も習ったのに今だに私が弾ける曲は 『エリーゼのために』(定番)しかも半分くらいは忘れてる。楽譜の読み方も殆ど忘れているが、今日から1日少しづつでもキーボードに向かい練習してみようと思う。
このノートと同じ様に、頑張って毎日、、少しでも良いから。
せめて『エリーゼのために』は全部弾ける様になりたい。




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