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【メタの排除と"映画としてのゲーム"】OuterWildsのプレイを終えて【ネタバレあり】

どうもこはとです。就職が決まって不安でいっぱいです。みんな暖かく見守ってくれよな(ください)。

本当は技術的なことを書きたいんですけど、こう、いまいち気がのらないので、プレイしたゲームを色々観察して、学べたこと、備忘録みたいなのを書き連ねていきます。

今回は、OuterWildsについて。

(※言葉にすると結構当たり前のこともあえて書きます。)

まずはクリアしよう!

未プレイ/未クリアの君は、今すぐプレイしてクリアしよう!!!!!!!!!!!!!いいな!!!


1.ざっくりとクリア感想(海外トレーラー風)

”ここ数年で最も尊大で、鮮烈な「宇宙体験」”―四季GameStudio
”これはゲームであり、叙事詩であり、何よりもSF作品の新しい形である”―こはと

”「なるほど、そういうことか!」”自分

”知的好奇心でエンジンを吹かせ!”―私

”圧巻!!!!!”―俺

 という感じです。特に宇宙体験(後述)としてのコンセプトは圧倒的なものでしたね。

この辺の感想や紹介は先駆者様の素晴らしい記事がたくさんありますのでそちらを是非御覧くださいまし。

2.序盤が辛いのはガチ。「なぜチュートリアルが少ないのか」を考えて学べたこと。

さて、本題。

レビューでちらほら見受けるのは「序盤は何が楽しいのかわからない」という内容。実際にプレイした私も、10時間弱ほど遊んだ後に飽きてから、暫く同時にサマセで買ったRAFTやってました(たのしかった)

RAFTもそこそこにクリアしたところで、「まだクリアしてないしなあ」としぶしぶOuterWildsに戻った次第。そこから数日ちょくちょくプレイすると、点と点がつながっていき、段々と興味はOuterWildsに飲み込まれていき、気づけばボーッとしている時も量子の月について考えるようになっていました。(灰の双子星の中に初めて入れた時は最高だった。)

このように、このゲームの「序盤がダルすぎる」というファーストインプレッションは特徴的であるでしょう。しゃーなし。

でもなぜ、このゲームにはチュートリアルが存在しないんだろう?

例えば、普通なら小粋なムービーとともに、「自分がどういうキャラで、なんの使命を負い、何を目的としているか」などを説明するところ、このゲーム開始直後は、道具の扱い方と操作、ざっくりとした目的、そして発射コードを伝えられるだけで、宇宙に放り出される。「まずはここにいけ!」みたいな目的も無ければ、クエストマーカーもない。もはやクエストすらない。

さらに言えば、このゲームは道中にもチュートリアルが少ない。

「階段」の無きナゾトキ

例として、巨人の大海の「彫像島」を上げてみましょう。

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(この星だけ水が豊富&高重力。もしかしたら地球の未来の姿なのかも?)

さて、ここ、どうやって解決しました?

私は「水の中に調査艇を発射する」→「調査艇が流れて出てくる」→「その場所を頼りに潜って行く」の順で攻略しました(多分正規ルート)

さて、ここを攻略するには「調査艇は水に流れる」「深く潜ることができる」というチュートリアルが必要になります。まあ潜るというのは自分でも分かるかもしれませんが、例えば任天堂のゲームだったら、調査艇が重そうな見た目をしてたり、あるいは調査艇を水の中にぶち込むチュートリアルがどっかにあってもいいかもしれません。任天堂のタイトルの大体は、謎解きに「初級」「中級」「上級」のステップアップを入れることで、謎解きに程よい刺激を残しながら「全くわからんくて詰む」みたいな減少を極力なくすように工夫されています。

しかし、このゲームにおいてそのような「階段」は非常に少なく、この彫像島の内部へのアプローチは、あくまでも「調査艇水にぶち込んで流れを読む」という気付きに「調査艇を発射する」というマジで最低限のヒントのみで到達する必要があります。謎解き要素がありながら、こんなにプレイヤーを突き放した作品は最近でも少ないんじゃないんでしょうか(グリムファンダンゴ…うっ、頭が…)

他にも、「”表面完全性”は脆い空洞のその面の崩れるまでの耐久度」や「マシュマロで体力回復」などは、チュートリアルがあっても良かったんじゃないかな〜なんて思いました。わかんなくない????????????(クリアに29時間かかりました)

「チュートリアル」というメタ

じゃあ、ここまでこのゲームがチュートリアルを排除したのはなんでだろうな〜となんとなく考えた結果「メタの介在の徹底的な排除」なんじゃないかなと思いました。

例えば彫像島の手前で「調査艇は水に沈む」という行為を含む簡単な謎解きジャブがあれば、賢い人はおそらく「はは〜ん、これチュートリアルだな?」と気づくでしょう。もしそうじゃなかったとしても、実際にその知識を使う面が来れば、「あれはチュートリアルだったんだ!」と思うことでしょう。

しかし、チュートリアルの介在というのは、言い換えれば開発側が「ここはこうするんだよ」という「メタフィクション」の介在であると捉えられます。

もし、OuterWildsの開発者がチュートリアルの存在に対し、そのようなメタさを感じていて、それを忌避したのであれば、このゲームの圧倒的なチュートリアルの少なさにも納得できますし、そこから見えるこのゲームのコンセプトがなんとなく見えてきます。

「自らの足で歩く」という体験

メタの介在を徹底排除した先には、何が残るでしょう。例えば、自力で彫像島に入れたとき。闇のイバラでやっとFeldsparに会えたとき。初めて灰の双子星内部にワープしたとき。

ふと振り返ると、様々な試行錯誤とひらめきがありませんでしたか?

大げさなチュートリアルや、与えられたパズルをこなすだけなどの、ありがちな要素を排除し、ただ「調査する」「考える」「見つける」「知る」という純然たる知的好奇心に基づく行為の連続。(蛇足だけどゼルダのスカウォはパズルが単調すぎてやらされている感がハンパなかった。チュートリアルがただの道標になってた)

つまり、このゲームが目指したのは、OuterWildsの星系を「自らの足で歩く」という体験への、徹底した追求であるということ。メタの介在を極限まで少なくし、すべての謎解きを、与えられた最低限のヒントと、プレイヤーの「ひらめき」のみに頼る事で、難易度が高すぎて諦めることもなく、かつ「全て自らの手で解法を導けた」という、極めて超絶技巧なバランスによってのみ成し得る体験こそが、このゲームが目指したものなのかなと思いました。

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(”得られたヒントが次のヒントへとつながる”からついついプレイを続けちゃう。中盤はまだ見ぬ星の姿にずーーっとワクワクしてた。完全に少年)

いうなれば、任天堂のゲームはチュートリアル100%、「分からせるためのヒント」だとすれば、OuterWildsのチュートリアルはほんの数パーセント。本当に「わかるかわからないかぐらいのヒント」のみを与えることで、極限まで「自らの手で道を切り開いた」という体験を引き出すことが目的だったのではないでしょうか。

3.「自らの足で歩く」という体験が意味すること。

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結局それらが達成したであろう、このゲームのコンセプトは何だったのでしょうか。

”OuterWildsVentures”の名が示すとおり、このゲームの根幹にあるのはおそらく「冒険」「探索」であることでしょう。それは明白です。

しかし、これは裏を返すと、このゲームはいわゆる「謎解きゲー」でもなければ決して「雰囲気ゲー」で終わる作品でもないと言えます。

その証拠に、このゲームは謎を解いたときに”ゴマダレ”なSEも流れなければ、マシュマロを焼きながら魚釣りを楽しむゲームでもありません。謎を解いても時々酸素が回復するくらいだし、のんきにマシュマロなんて焼いてたら20分後には惑星ごと炭になります。(SEが流れないのも多分メタの排除だと思う)

このゲームは、他でもない、「探索ゲーム」なんです。

私はTwitterでもちょいちょい言いましたが、このゲームは「戦闘が一切起きないメトロイドプライム」なんです。

私はメトロイドプライム3でほぼ100%になるくらいスキャニング(OuterWildsでいうNomai語の翻訳)をしてましたが、このゲームはそういう探索要素に着目して作られたゲームと言っても過言ではないでしょう。

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(道中のオブジェクトのスキャニングにより、物事の前後とヒントが得られる)

だから謎解きはあくまでも探索のエッセンスだし、全てのゲームデザインの目的は「探索を楽しむ」ということ(このゲームでは特に「知的好奇心を喚起する」ということ)につながり、メタの排除によって、それが非常に徹底されている。

そしてなによりもすごいところは「探索」という要素だけでここまでの壮大な物語、ゲーム性、そして感動を生み出すことができたところ。昨今ではあまり注目されなくなった探索ゲームという素材で、ここまでの体験を作り出したOuterWildsの功績もとても大きいと思います。

このゲームは、明らかに今まで体験したことが無い、新しい「探索ゲー」だと思います。

4.「映画としてのゲーム」ー探索という要素の徹底によるもう一つの功績


(あと数秒でこの星系は終わりを迎えるーーーーGabbroと、僕を除いて。)

「探索」という要素にフォーカスを当て、メタが排除されたことにより、もう一つの功績が現れました。それは、まるで映画のような体験であったということです。

なぜ、映画みたいな体験に感じたんでしょうか。

それは、一連の壮大な物語と、その始まりから終わりまでを体験したからです。

ただ、このゲームのすごいところは、映画という物語的な存在を、ここまでインタラクティブなものとして昇華したことです。

先述の通り、このゲームは序盤にほぼヒントがなく、下手すりゃ最初に行く星ですらプレイヤーごとにばらつきがあるでしょう。

つまりこのゲームは、例えば「メタルギア」や「ウイッチャー」のような「一本道の物語を追体験する」という意味での映画ではなく「一つの物語を、自らの足で歩くことで、自分の中にオリジナルの映画が完成する」という意味の映画としてゲームを完成させています。これはなかなか成し得ない事ですし、ある意味「マルチエンディング」よりもよっぽど叙情的な、ゲームでしか成し得ないストーリーテーリングの形だと言えます。これ故に、口コミが広がりやすかったということもあるのでしょう。

以上が、このゲームで最も大きな学びでした。

長くなりましたが、要約すると

OuterWildsを思考してわかったこと

・「チュートリアルというメタの排除」により、「自らの足で物語をすすめる」というより没入的な体験と経験を生み出していた。(が、同時にプレイヤーを突き放すことにもなり得る。バランスが難しい)

・OuterWildsは謎解きゲーでもなく、雰囲気ゲーでもなく、全く新しい「探索ゲー」の形であった。

・ゲームを通し、自分の中に自分だけのオリジナルの物語が作られるということで、結果としてどんなストーリーテリングよりも印象的な物語をプレイヤーに残すことができた。(口コミにも有効だった)

ここまで読んでいただきありがとうございました。以下は単なるメモ書きみたいなものです。暇な人は読んでね。

何がこのゲームをユニークな存在にしたか

このゲームを単なる尖ったコンセプトのゲームで終わらせなかったのが、量子システムや、今までのプレイのスクショが見れる点、島が飛んだり、壁を歩いたりなどという、目にも新しいアイデアが豊富に盛り込まれており、それらも相まって、ゲーマーの目を留めることに寄与した。何か斬新なアイデアが一つでも入っているということの重要性がわかる。(個人的には島が飛ぶシステムマジでヤバいと思ってる。)

今まで体験し得なかった「オープンワールドのスケール」

「オープンワールド」には「拡張性」があるなとこのゲームを通して思った。「拡張性」とは、プレイヤーが「あそこいけるのかな…」に対するレスポンスを指し、これが高いと「さすがオープンワールドやな…」と評価が上がる。今までプレイした中でも「ジャストコーズ」(見えるところは大体行ける)や「DyingLight」(室内も意外と行ける)が「拡張性」の高い部類としてあった。(ちなみに今までやった中で一番ひどかったのはドラゴンズドグマ。大体行けん)。このタイトルでは、その拡張性はとても大きく、というより意外性に富み、「プレイヤーが一番最初に見上げていた惑星」に飛んで行くことができる。家の中に入るでも山の上に登るよりも、もっと様々なフィールドが広がる、すごいスケールの拡張だなと思った(やったことはないけどNoman'sSkyはもっとすごいのだろうか)

宇宙とのコミュニケーションというサブテーマ

とにかく宇宙の表現がすごい。映画「ゼロ・グラヴィティ」の精巧なゲーム版だ。なおかつ、このゲームの宇宙は単なる広い空間ではなく、非常に自然的で、強大な存在として描かれているのが非常に魅力的で、例えばブラックホールで一人宇宙に放り出されたとき。宇宙空間でスペースシップを修理しているとき。ゆっくりと迫ってきているようにみえた惑星と衝突し大ダメージを負った時は、まさに「ゼロ・グラヴィティ」で見た体験そのままだった。今までのゲーム体験に無い恐怖を感じたし、純粋な自然の強さ、宇宙空間の尊大さを感じた。これだけでもすごい。いつの間にかお部屋が宇宙船へ早変わりだ。(宇宙空間ってマジで身動き取れない。)

時間で変わる惑星のゲームデザイン

例えば、22分間で砂の満ち欠けが起こる灰の双子星には、時間によって行けるところ行けないところが出てくる。脆い空洞は時間が立つほど接地面が少なくなるが、ブラックホールに入ることによって道が開けることもある。その情報がわかると、今度は「その時間に合わせて動く」という行為も発生するし、焦りが時に失敗を生み出すこともある。「ここで引くかもっと調べるか」といった駆け引きが起こることや、あえてゲーム中に時計が無いのも、明確な時間を見せて精巧な計画を立てづらくするためだろう。(関係ないけどこの設定本当に好き)

どの星を集中して調べても、必ずどこか違う星のヒントが必要。

・灰の双子星→脆い空洞(ブラックホール鍛冶場)

・闇のイバラ→灰の双子星(アンコウのヒント)

・脆い空洞→灰の双子星(ブラックホールへのワープ)

・巨人の大海→脆い空洞(南極研究所))

一個一個で完結させず、ヒントを散りばめることで「様々なヒントの点と点が繋がり合う」感覚を意識した?

物語を生み出す「ハプニング」

灰の双子星や巨人の大海などいくつかの要素は、上記で述べた物語性を助長するたの「ハプニング」とも言える。ドラクエプレイヤーなら誰もが一度データを飛ばしたように、巨人の大海の竜巻で宇宙に放り出されたり、脆い空洞で足を滑らせてブラックホールに落ちたりするハプニングは、プレイヤー自身のストーリーを助長し、同時にプレイヤー同士の共通言語を生み出す。

以上です。また気づきがあったら追加するかもですが、ひとまずここまで。

ここまで読んでくださいましてありがとうございました。


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