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『なぜ「百合カップルの間に挟まれたい」だけは迫害されるのか』を考える
前に「全ての性癖は実際に行動に移さない限りは許容されるべきであるのに、なぜ『百合カップルの間に挟まれたい』だけはこれほどまでに迫害されるのか」って趣旨のツイートを見かけたことがあるんだけど、これはちょっと考えみると面白いかもしれない。前提条件が正しいかも含めて。
— 喜多見 71乳 (@71titip) July 7, 2019
面白い考察だなと思って考えてみたんですが、これって百合の概念を壊す存在になってるからだと思うんですよ。同性愛ジャンルって同性同士で完結するのでBL或いは百合概念として存在できるのであって、その概念を捻じ曲げて自分がそこの世界に存在するという行為にはそれなりの覚悟が必要なんじゃないでしょうか。
許容はされるけれど、優しくされるとは限らない
探せば同志もいると思いますし、夢ジャンルとして存在できるかも知れませんが、同性愛ジャンルとしては認められないと思います。なんといっても異性愛な上にBL、百合を好む層から見ればストーリーの中心にいるキャラクターは彼/彼女に依ってではなく、まったく関係のないメタ的存在に依って彼/彼女の間は邪魔されるわけですから、観葉植物となって見守りたい人間が大多数である同性愛ジャンルでは厄介中の厄介でしかありません。
厄介はその「客が主役」というのを都合の良いように拡大解釈して、声優ライブといった商業ベースで完成度の高いライブに出没しては雰囲気を壊す非常に迷惑な存在である
まさにこんな感じじゃないでしょうか。まぁなんでしょうか…厄介な性癖を持ってしまったと思って頑張ってください。
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