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ごめんなさいがビャン

 笹塚ではじめてビャンビャン麺を食べました。ビャンはものすごい画数が多くてアホみたいに難しい漢字として最近少なからず話題になっているので私のスマートフォンが変換してくれることを期待したのですが、まだ時代に追いついていませんでした。

 ウォーズマンのマスクを剥がしたときみたいな複雑さのくせに、ビャンビャン麺のときくらいしか使われないこの漢字の費用対効果の悪さ、嫌いじゃない。この記事の私のようにせっかくビャンビャン麺のことを書いているにもかかわらず正式な漢字を使ってもらえないケースもある。ちゃんと画数を数えたことはないですが、百の大台に乗るのではないかというくらいの押し出しがあります。

 肝心のビャンビャン麺そのものが、この漢字に見合うほど複雑なのかといえばそんなこともない気はする。ビャンビャン麺の定義もよく知らないくせに生意気ですが。だって実際、私が笹塚で食べたビャンビャン麺も本当にビャンビャン麺だったのか、すら私は知らない。きしめんみたいな太麺で濃厚なスープに肉の塊やミンチ肉が乗っかっており、パクチーも入ってたと思うんですが、そのどこにフォーカスするのがビャンビャン麺なのか、わかっていないのでなんともいえない。余談ですが、さっきから「複雑」って書いてますけど、この「複雑」という熟語よりも「ビャンビャン」は明らかに複雑ですから、こうした場合、「複雑」はどんな思いで「ビャンビャン」を眺めているのでしょうか。俺、複雑って名乗ってるけど、君のほうがずっとずっと複雑だよな。ちょうど島田紳助がダウンタウンの漫才を見て漫才をやめたのと同じ感じで「複雑」をやめたりするのではないかしら。

 ビャンビャン麺の時くらいしか使わないのに複雑すぎて費用対効果が悪すぎると書きましたけど、かといって、我々がよく使う場面にあの漢字が使われるのは嫌です。ありがとうの漢字が「ビャン」だったりしたら、ありがとうを使う機会が減るかもしれない。ごめんなさいが「ビャン」だったら?
 明らかに悪いことをしているのに謝らない人、いますよね。裏金とか失言とか、そんな大袈裟な話じゃなくても、頼んでいたことを忘れてたりとか、締切を守らなかったりとか。そういうときに「ごめんなさい」を言えるかどうかって、人としての「品」が問われていると思うんですよね。立場が上とか下だとか、そういうのは抜きにして、悪いことをした場合、やっぱり謝るのが筋というものだと思うんですけど、謝らない人は本当に謝らないですよね。それによって保たれる、その人にとって大切な何かのために、その人の信頼は削り取られてしまう。あの人たちは、どうしてそんなつまらないことをしてしまうのだろうとずっと思っていましたが、たぶん、そうだ。あの人たちにとっては「ごめんなさい」の漢字が「ビャン」なのだ。そんなことをいったらビャンビャン麺に失礼ではないか!大変申し訳ありません。よかった。私の「ごめんなさい」はまだ「ビャン」ではない。

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