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短編小説『YOASOBIがうまく歌えない』

 合唱団の練習が終わる18時15分頃、門の近くのバス停前に自転車を止め、木製の椅子に腰掛ける。太腿の裏側が密着する。タイツとズボンの二層を容易く越えてくる冷たさだ。

 「さっぶいさっぶいなー」

 京都人が感情をキョンキョンのように2回続けるのを真似してみるが、我ながら白々しい。「やってみている」うちは、白々しさはなくならないのだろう。気づけば2回繰り返していた、というのが正解だ。いつの間にか落ちている恋と同じではないか。

 合唱団の練習を終えた弥助を待つあいだも、恋のようなものだと思う。僕の待つバス停前に弥助がやってくるときに、スマートフォンをいじっていたくないから、太腿に冷気を感じながら、真っ暗な空を眺めてぶるぶると震えている。こないだは満月を見上げていたな。

 寒い。首巻きをあごまで手繰り上げたらマスクが耳から解けて太腿の表側にこぼれ落ちた。たいして詳しくもないくせに、そのマスクを見てパレスチナみたいだなと思った。

 18時35分。
 おかしい。練習は15分に終わったはずだ。ひょっとして僕が着く前に一人で帰ってしまったのか?いや、あの子はしっかりしてるとはいえ、まだ小学4年生だ。夜道を一人で歩いて帰る度胸はないはず。いや、でも最近は合唱団にも友達ができたと言っていたな。一緒に帰っているのかもしれない。待たされて怒りより心配が先にくるのは久しぶりな気がした。

 「お待たせ〜しましたっ!!」
 ぴゅんっ!という感じで弥助が現れた。いつものことながら、合唱終わりの弥助はキラキラしている。親子そっくりとよく言われるが、僕にはあんな輝きはない。腹の底から声を出し、ハーモニーを奏で一体になるのは、三密を避けるソーシャルディスタンシングの今、なおのこと心地よさがあるのだろう。二重のマスクで1時間半、歌い続ける苦しさからの解放感もあるのかもしれない。

 自転車を押して歩く僕の隣、弥助の足取りは軽やかでテニスボールみたいに跳ねている。何も聞いていないのに、今日の出来事を饒舌に話し続ける話のリズムも跳ねていて、僕は乗っかるのが精一杯で「ああ」とか「うん」とかしか言えない。YOASOBIがうまく歌えないあの感じに似ている。

 今日は寒かったから友達の住んでるマンションの池の水が凍ってたのを剥がして持って帰ろうとしたけど、冷たいから無理だったとか。
 水が0度で凍るみたいに人間も0度で凍ったらもうやばいけど、そういえば今日、池の氷触ったりしてから合唱で検温したら33.2°しかなくて先生ビックリしてたとか。

 話したいことが反射神経で次から次から溢れ出てきて罪が無いのが羨ましい。思えば、こうして人の「自分の話」を聞くのは久しぶりだ。
いつぶりか思い出したら、先週合唱の帰り道で弥助に聞いた「自分の話」ぶりだったのが泣ける。職場では誰も僕に「自分の話」をしない。すぐ隣で僕に話してくれてもよさそうな話題が僕以外の人間で展開されている。
 悲しい気持ちになり、憤りを覚えたりするが大人気ないのはわかっているから、最低限、気持ちを伝えたいがためにわざとらしく深い溜息をついてみるのだが、それで「どうしたの?」と聞いてくる人間は一人もいない。

 「なあなあ、国語の宿題の参考にしたいんやけど、お父さん、悲しいってどういう意味?って聞かれたらどう答える?」

 少し考え事をしていたら予想だにしないところに話題が流れていく。そのうえ難しい質問だが、いまの自分にジャストな質問でもあるから、話題が流れていく前になんとか答えてやりたい。

 「そうやなー。思いが伝わらなくてシュンとする気持ちかなー」
 「確かにそれは悲しいな」
 「でもその悲しい気持ちって人に押し付けるものではないから、ぐっと堪えないと、こっちの都合を相手に押し付けたら相手にしてみたら『は?』やからね。悲しい気持ちって一人よがりなことが多いから、その身勝手な悲しさを人にぶっつけるのはよくない。律するってわかる?」
 「わからん」
 「いざ説明するとなると僕もわからんのやけど、『決めたことを守る』って感じかな。これは良くないと思ってることでも、気持ちが暴走してやってしまいたくなるってことがこれからあるかもしれんけど、そんなとき如何に自分のことを抑えられるか、っていうことやね」

 弥助に説いているつもりだったが、途中で僕は僕に言い聞かせているような気がした。

 「なんかわかる。みんな好き勝手してたらめちゃくちゃになるもんな」
 「そう。それでもどうしても堪えきれなかったら泣けばいい。泣くのは悪いことじゃないよ」
 
 おー、久しぶりに反射神経で話したな。そうか、僕は悲しい悲しいさかいに、泣いて泣いてしたかったんやな。気づけば2回繰り返していた。しかし、白々しい。涙。

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