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切り抜き'24

 大御所タレントが金メダリストの姿を「トドみたいだ」と表現した。

 情報がこれだけだと、なんて失礼なことを言うんだと怒る人がいるのも無理はないが、実際の映像を見てみると、大御所タレントに悪意は全くなく、むしろ「トドみたいでかわいい❤️」と語尾に❤️マークの付く感じで話していた。だからといって比喩のチョイスはよろしくなかったかもしれないし、悪意がなければなんでもよいのかといえばそういうわけでもないのだが、少なくとも文字オンリーの情報からは削ぎ落とされてしまった愛情を確認できた。

 近頃、情報の「切り抜き」が問題視されているが、動画の中で起こった出来事を文字化するということ、それ自体が既に「切り抜き」になっているのだと思う。

 文字は怖い。お互いに知った人同士であれば汲み取れるニュアンスも、知らない人には伝わりにくいものだ。
 デモ行進への参加呼びかけについて、「まだやってるよ」と書いていたらどう思うか。「おいおい、あいつら、まだあんなことやってるよ」と捉えるか、それとも「受付締め切りまであと15分です。まだまだやってるので参加希望の方はお早めにお願いします」と捉えるか。同じことを書いていても捉えられ方は全く逆になりかねない。※こうした事例については、川添愛さんの『世にもあいまいなことばの秘密』という本にいろいろ書いてあって面白いので是非読んでみてほしい。いま挙げた例も似たような例がこの本に掲載されていた。

 文字での意思表示には、常にこういう誤解が渦巻いているから気をつけなければならない。私はそれが嫌だから、誤解されてはいけないことについては本当は電話なり直接会って話すなりしたいのだが、近頃はそれをすると「相手の時間を奪っている」と見做されてしまうのがコミュニケーション下手にはツラいところだ。表情、声色、息遣いなど、大事な情報が削ぎ落とされたうえに短く簡潔に要件を伝えなければいけない文章でのやり取りは常に緊張感がある。面と向かった話していれば省くことができる主語も文章で省いてしまうと誰のことを書いているのかが全く伝わらない。

 というのを憂うのが四十四歳、ギリギリ昭和世代の老害思考であり、令和を生きる若者たちは、そのコミュニケーションが当たり前になっているため、意外になんの問題もなく、うまいことやれているのかもしれないけど、トドの一件をみてみても、やっぱり文章というのは、何か大事な情報が削ぎ落とされていないかについて、神経質なくらいにチェックしないといけないものだと思うのだけど。

 トドの一件に関しては、そういったことを踏まえたうえで、故意に炎上させようとした節もある。情報を得る側に私としては、そういった悪意も嗅ぎ分け、何が削ぎ落とされ、何を増幅させているかを入念に確認したうえで情報として飲み込まなければならない。

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京都情報発信ZINE『京都のき〜KEY OF KYOTO〜』と蠱惑暇(こわくいとま)こと涌井慎の著書『1人目の客』、1人目の客Tシャツは是非ウェブショップ「暇書房」にてお買い求めください。

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