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令和4年8月10日の太陽日記〜コロナ禍の記憶〜

 先日、数年ぶりに会った友人がマスクをしていた。コロナ禍においては当たり前のことなのだとわかってはいても、なんら互いにやり取りすることなく、互いが同じようにマスクを着けていることのほうが実は異様なんじゃないかと思う。

 同じようにマスクを着用していても、閉め切った車でクーラーをギンギンに効かせているところ、換気をしようかと問うてみたところ、やや不機嫌そうに、それは別にいいでしょうと答えた彼と私はやはり、同じようで違う世界を生きているのだ。

 近頃は出産の際にも夫が妻に立ち会えないのだと彼は憤っており、それは別に彼と妻にそういう機会があったからではなかったのだが、新たな生命が生まれくるその時にまで、ウイルス感染の可能性を考慮して夫が立ち会えないことに彼は憤っており、私もその通りと思った。だいたい夫婦が一緒にいられないなら、多くの場合には出産にいたることはできないではないか。

 三密禁止とあれだけうるさく言われているなかでも出生数はゼロにはならない。出生数が減少していることを憂うニュースさえある。感染症対策を徹底したら、そうそうやすやすとは子供は産まれないはずだ。出産に立ち会えなくするなら子供を産ませるなというところまで踏み込むべきであり、子供が産まれてほしいというのなら出産の立ち会いは認めるべきだ。

 ウィズコロナと言いながら毎日毎日感染者数を報じ、あの人は濃厚接触だから外出させるな、あの人は同居人だから外出させるわけにはいかない、あいつは37.3度まで発熱したからひょっとすると危ないかもしれないから発熱外来に行かせろ、君子危うきには抗原検査である。誰がどこで何をこうまでややこしくしているのだろう。世間体を気にして責任逃れをすることが正義に繋がっているような気になっているのがいちばん危ない。

 こんなおかしな世界からは早く解き放たれたいと思う気持ちが、久しぶりに会った友人のマスク姿を異様に思わせたのかもしれない。

※極端なこと書いてますから、極端なことを書いてると思って読んでくださいませ。

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