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エッセイ『二流以下の哀歌』

 誰の言葉だったか忘れましたが、批評なんて二流以下の人間がやることだ、なんてことを言った人がいて、その文章を僕は「所詮、批評などというものは音楽なら音楽、小説なら小説、美術なら美術を作る一流になれなかった者がやることなんだから批評するのは二流以下の人間ばかりなんだ」という風に読みました。なかなかおもいきったことを言う人だなと思ったんですが残念ながら誰が言ったか忘れてしまいました。けっこうな大物やったと思います。そうでないと、こんな風に心をえぐりませんからね。名言なんて発言者とセットですから。「仕事じゃないんだからマジメにやれよ」とか、タモリじゃなかったら相手にされてないですよ。いや、そういう話をしたいんじゃなくて、今回の「批評なんて二流以下がやることだ」っていうのは発信者に拘らず、僕にとって大変有難いお言葉なのでした。
 僕は四十三歳なんですが、僕くらいの年齢を超えますと、何に対しても一家言ある人が多く、立場が偉い人であるほど、偉くない僕たちに対してその一家言を振り撒くわけです。伝統芸能から昨日のテレビドラマの主演の演技についてまで、とにかく一言もの申したいというような人たち。こういう人たちに辟易としていた僕にとっては「批評なんて二流以下がやることだ」なんていう言葉は渡りに船でしかなくて、この言葉を知って以降、なんやかんやと世の中に意見しておられる方を見かけても「あ、あの人って二流以下なんだ」という納得の仕方ができるようになりました。「ものすごく偉そうにどこからの視点で文句を垂れてるのかな、って思ってたんだけど、そうか、そういうこともよくわからない二流以下の人やったんですねー」という精神状態で話を聞いていれば、幾分、ストレスが軽減されるような気がします。自分にとって有益な言葉というのは、何処に転がっているかわからないものです。常に貪欲にアンテナを立てておくことが大切ですね。

蠱惑暇(こわくいとま)

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